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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.22 ■■■

珍習(文化)

「物異」篇を分割して整理してきた。・・・珍品(貢物とお宝,石,異種),珍景(水と塩)
このなかには、もちろん異国話が含まれているが、その地域の文化に関心があって掲載した話ではなさそう。それに対して、異国の特徴そのものへの関心で引いてきた話がちらほらあるので、そこらをまとめてみょう。

この場合、成式のグローバル感覚がどのようなものかを考えておく必要があるのだが、わかる筈もないので、玄奘の「大唐西域記」に当て嵌めて考えてみようと思う。

その「大唐西域記」だが、序には、"親踐者一百一十國,傳聞者二十八國,或事見於前典,或名始於今代。"と。"具覽遐方異俗,絶壤殊風,土著之宜,人備之序,正朔所񀊕,聲教所覃,著《大唐西域記》,勒成一十二卷。"と。
対象国の数が多すぎて、素人にはなかなか手が出ない訳である。それに、編纂方針が理解しにくい。

と言うのは、玄奘のそもそもの出国目的は、那爛僧伽藍/ナーランダ寺院で原典を学び、梵語経典を持ち帰り翻訳することだった筈。旅行記などどうでもよい話。つまり、その頭脳を外交に生かそうと考えた帝との政治的妥協で生まれた書と言えよう。従って、なんらかの政治的意図でまとめられていると見るべきだろう。
とは言え、編纂者は、記贊の最後の一行に"庶斯地誌,補闕《山經》,頌左史之書事,備職方之遍舉。"と記述しており、一種の便覧として山海経の補遺的利用を念頭においた書としている。

本当にそうだとすれば、この本は帝の検閲でバサバサと挟みが入れられているということになろう。「西域」と銘打っているのに、12巻のうち、10巻がインドなのだから。常識的には「天竺記」とすべきだ。しかも、西突厥の支援なしには中央アジアでの旅行などできる訳もないというのに、そちら関係の地誌を書く気はなさそう。一方、インドとその周辺は関しては伝聞を矢鱈に詰め込んでいる。

成式先生がそこらを理解していない筈もなく、その上で、「大唐西域記」から、(さらには、「水経注」からも、)気になる記述を引いている訳である。

そういうことで、成式型ピックアップがわかるようにまとめてみた。大仕事の割に、質の低いことしかできないので気が重くなるが、やっておかねば気分が悪いので致し方ない。

なにが厄介かといえば、地名の読みが予想できないことが多いから。それだけならよいのだが、読み方はテキストによって違うし、字体は違うのが当たり前で、代替文字に変えてあったりすることが多い。それに、似た漢字の地名も少なくない。素人がココに入り込むには、電子化がもう少し進んでからにした方がよさそう。
問題はそれだけでなく、適当な解説書が見当たらないことも大きい。西遊記のために書いたものも少なくないので、探すのが面倒なのである。それと、地理的概念を説明していないものだらけだ。「大唐西域記」の構成とは真逆の方針で解説するつもりなのであるから、目を通す気にもならぬ。

こちらとしては、成式の関心領域が河西走廊の先、どう散らばっているか、わかればよいので、そんな観点でまとめてみただけ。
(引用された国は赤字で示した。)

長安 627年出立
  泰州/天水
河西走廊
  蘭州/金城⇒凉州/武威,甘州/張掖,粛州/酒泉,瓜州/安西,沙州/敦煌
  嘉峪関 (玉門関)

西突厥統治
 (西那汗國)・・・【風聲木】
 (倶位國/コーワル)・・・【馬】
 哈密/ハミ(伊吾国)
トルファン盆地
 吐魯番/トルファン(高昌国)
タリム盆地(天山山脈南側-タクラマカン砂漠北側)
 /クチ(屈支国 or 拘夷國)・・・【石駝溺】
 "↓”・・・このルートではなく北の山越えで大回り
 疏勒/カシュガル@盆地西端(沙国)
イシク・イル湖/大清池
ソグド/利総》胡六国
 赭時/シャジ or タシュケント(石国)
 /フェルガナ(大宛)
 蘇都瑟匿國/ストリシナ・・・【蛇磧】
 颯秣建/サマルカンド(康国)→←捕喝/ブハラ(安国)
  (倶コ建國/カバディアン・・・【銅馬】
 弭秣賀/マーイムルグ(米国)
 劫布/カプータナ(曹国)
 羯霜那国(史国)
 倶振提國@タジキスタン-ソグド州ホジェンド・・・【神廚】
トカラ/覩貨邏
 蜜国/テルメズ
 縛喝国/バルフ(バクトラ)
 梵那衍國/バーミアン・・・【齒】
 迦畢誠國/カーピシー・・・【舍利】
帰路
 活國/クンドゥーズ@アフガニスタン北部
     ---//--
大食/タジク・・・【人木】【銅馬】
  or 國/コータン(瞿薩旦那国)・・・【旃檀鼓】【辟支佛靴】【石靴】
北印度
 健駄邏國/ガンダーラ・・・【像】【焦米】
 賓國 or 迦濕彌羅國/カシミール・・・【上清珠】
中印度
 秣菟羅/マトゥラー
 劫化他國/カピタ・・・【石柱】
 摩/マガダ---那爛僧伽藍/ナーランダ
東印度
 迦摩縷波國@アッサム
南印度
 私訶條國 or 僧伽羅國/セイロン・・・【石
西印度
 信度国/シンド
 鉢伐多国/ハラッパ
 波斯國/ペルシア・・・【銅馬】

これを踏まえて、といきたいところだが、考えがまとまらない。時間をかけてもなんとかなるものでもないので、異国の話を並べてみることにしよう。・・・

【旃檀鼓】
[コータン]東南有大河,漑一國之田。忽然絶流,其國王問羅洪僧,言龍所為也。王乃祠龍,水中有一女子,波而來,拜曰:“妾夫死,願得大臣為夫,水當復舊。”有大臣請行,舉國送之。其臣車駕白馬,入水不溺。中河而後,白馬浮出,負一旃檀鼓及書一函。發書,言大鼓懸城東南,寇至鼓當自鳴。後寇至,鼓輒自鳴。
出典:<龍鼓傳説>城東南百余裏有大河,西北流,國人利之,以用漑田。其後斷流,王深怪異。於是命駕問羅漢僧曰:「大河之水,國人取給,今忽斷流,其咎安在?為政有不平,コ有不洽乎?不然,垂譴何重也?」羅漢曰:「大王治國,政化清和。河水斷流,龍所為耳。宜速祠求,當復昔利。」王因回駕,祠祭河龍。忽有一女波而至,曰:「我夫早喪,主命無從。所以河水絶流,農人失利。王於國内選一貴臣,配我為夫,水流如昔。」王曰:「敬聞,任所欲耳。」龍遂目ス國之大臣。王既回駕,謂群下曰:「大臣者,國之重鎮;農務者,人之命食。國失鎮則危,人絶食則死。危、死之事,何所宜行?」大臣越席,跪而對曰:「久已虚薄,謬當重任。常思報國,未遇其時。今而預選,敢塞深責。苟利萬姓,何吝一臣?臣者國之佐,人者國之本,願大王不再思也。幸為修福,建僧伽藍。」王允所求,功成不日。其臣又請早入龍宮,於是舉國僚庶,鼓樂飲餞。其臣乃衣素服,乘白馬,與王辭訣,敬謝國人。驅馬入河,履水不溺,濟乎中流,麾鞭畫水,水為中開,自茲沒矣。頃之,白馬浮出,負一旃檀大鼓,封一函書。其書大略曰:「大王不遺細微,謬參神選,願多營福,益國滋臣。以此大鼓,懸城東南,若有寇至,鼓先聲震。」河水遂流,至今利月。月浸遠,龍鼓久無。舊懸之處,今仍有鼓。池側伽藍,荒無僧。 [大唐西域記 巻十二 瞿薩旦那國]
天水が全く期待できぬ乾燥地域では、遠き雪山からの伏流水に頼る生活になる。そんな川は突然にして水が途絶えてしまうことがある。社会存続の一大危機である。元通りになるよう、必至に水神様にお願いするしかないが、そのためには人身御供が必要となる。女神なので婿にふさわしい立派な男を選ぶしかないが、該当しそうな大臣が自分から申し出ることになっている。しかし、水が枯れている以上、川に入っての溺死は無理であり、かつての川筋を通って出奔することになる。有能であるから、隣国に召し抱えられることに。しかし、お世話になった故国を裏切ることなどできない。従って、もしも侵略を企てそうになったら、国境から太鼓でお知らせしますとの書状が、乗って出て行った馬が届けに戻ってくる訳である。

続いて、同じ地域の話。
【辟支佛靴】
[コータン]贊摩寺有辟支佛靴,非皮非彩,久不爛。
出典:王城南十余裏有大伽藍,此國先王為毘盧折那(唐言遍照。)阿羅漢建也。昔者,此國佛法未被,而阿羅漢自迦濕彌羅國至此林中,宴坐習定。 [大唐西域記 巻十二 瞿薩旦那國]
乾燥地帯だが、伏流水が豊富に流れ続けてくれるなら、緑の美しい地域であり、菌類が繁殖しにくいので腐敗を知らぬ土地柄と言ってよいだろう。従って、余裕綽々の生活を送っているから、お寺も大伽藍。そんな風土だと、仏足石ならぬ仏靴石が信仰の象徴にされたりすると、【石靴】で書いたが、足跡ではなく、靴そのものも信仰対象になっている。通常の靴用素材ではないが、腐らないまま、長い年月保存されているのである。

一方、どうなんだろう型の信仰もある。
【舍利】
迦畢誠國[カピシー]𡨧堵波,舍利常見,如綴珠幡,循繞表樹(一曰柱)。
出典:聞諸先志曰。堵波中有如來骨肉舍利。可一升餘。神變之事難以詳述。一時中堵波内忽有煙起。少間便出猛焔。時人謂堵波已從火燼。瞻仰良久火滅煙消。乃見舍利如白珠幡。循環表柱宛轉而上。升高雲際旋而下。 [大唐西域記 巻一 迦畢試國]
ストゥーパに収納された仏舎利も一升になるると、霊魂の雲のようなものを発生させるらしい。西域記に、神がかり的な現象で、筆舌尽くし難しと書いてあるので、これは捨て置けぬと。

釈尊は偶像や遺物への信仰を否定的に見ていたようだし、遺骸に価値を認めていなかった可能性が高いが、現実の仏教での聖物信仰はただならぬものがある訳だ。

【齒】
梵那衍國[バーミアン]有金輪王齒,長三寸。
出典:臥像伽藍東南行二百餘里。度大雪山。東至小川澤。泉池澄鏡林樹青葱。有僧伽藍。中有佛齒及劫初時獨覺齒。長餘五寸。廣減四寸。復有金輪王齒。長三寸廣二寸。 [大唐西域記 巻一 梵衍那國]
南北が雪山の渓谷地帯がバーミアン。閉ざされた地だが、要衝とも言える。
非上座部仏教(説出世部)の宗學小聖地だった。
そんな説明より、タリバンが爆破した摩崖石像の東大仏の地と言った方がピンとくる。
当時は、この像も上塗りされて彩色されていたことがわかる。"金色晃曜”だったというのである。
玄奘はそれよりは、長千餘尺の涅槃像に圧倒されたようだが。成式は金色法輪王の三寸歯がえらく気になったのであろう。

石仏については、作り話とし思えない話があり、成式もうなったに違いない。
像】
健駄邏國[ガンダーラ]石壁上有佛像。初,石壁有金色,大者如指,小者如米,石壁如雕鐫,成立佛状。
出典:堵波東面石陛南鏤作二小堵波,一高三尺,一高五尺,規形状如大堵波。又作兩躯佛像,一高四尺,一高六尺,擬菩提樹下加趺坐像,日光照燭,金色晃曜,陰影漸移,石文青紺。聞諸耆舊曰:數百年前,石基之隙有金色蟻,大者如指,小者如麥,同類相從,噛其石壁,文若雕鏤,廁以金沙,作為此像,今猶現在。
は虱の幼虫だが、中華帝国ではそれはヒトの祖先という話もある。玄奘の書は蟻であるが、これは半砂漠地域に見られる蟻塚が仏像に見えるところから来ているのであろう。金色とまではいえないが、黄褐色の蟻は存在するだろうから、そんな話が生まれてもおかしくない。石像の意味が大きく変わってきたことがよくわかる話といえよう。

そんな、ガンダーラでの信仰変遷がわかるもう一つの例。
【焦米】
乾陀國[ガンダーラ]昔屍王倉庫為火所燒,其中粳米焦者,於今尚存。服一粒,永不患瘧。
出典:"屍毘迦王" 如來昔修菩薩行,為求佛果,於此割身,從鷹代鴿。 [大唐西域記 巻三 烏仗那國]
王とは、おそらく仏教渡来以前の、ローカルな権力者にすぎない。しかし、絶大なるご利益を与える偶像に祭り上げられているのである。よくある、部族を束ねる土着信仰の対象が、釈迦如来を従える状況を産み出している訳だ。しかも、その部族的紐帯を教化する術としてのチャームも出来上がっている。・・・焼けた倉庫に残った焦げた米を頂戴すれば、病気予防万全とされているのだ。

成式は仏教国が気になっているようだが、長安にしても、仏教遺骸の渡来宗教の普及活動も活発だったから、そこらも無視はできないから、一応、引いてきている。

【人木】
大食[タジク]西南二千裏有國,山谷間樹枝上化生人首,如花,不解語。人借問,笑而已,頻笑輒落。
「生花如人首」というセンスの文化圏と付き合うのは難しいですゾ。言葉での意思疎通ができないことを意味している可能性が高いのだから。>

同様に、馬に矢鱈に入れ込む人達も、感覚が違う可能性は高かろう。
【馬】
倶位國[コーワル]以馬種蒔,大食國[タジク]馬解人語。
西突厥系は馬を駆使するだけあって、疾風怒濤の動きを見せるが、馬との生活を大事にしているから、はたして都会的文化と親和性があるかはなはだ疑問である。

しかしながら、「馬」でひとまとめにした文化圏を設定する思考には無理があるので、そこいらは注意が必要。特に、ゾロアスター教、マニ教、ネストリウス景教の雑居状態の国々もあり、極めて複雑な状況を呈している。
【銅馬】
倶コ建國[カバディアン]鳥滸河中灘派中有火祠,相傳神本自波斯國[ペルシア]乘神通來此,常見靈異,因立祠。内無象,於大屋下置大小爐,舍檐向西,人向東禮。有一銅馬,大如次馬,國人言自天下,屈前在空中而對神立,後入土。自古數有穿視者,深數十丈,竟不及其蹄。西域以五月為,毎日,鳥滸河中有馬出,其色如金,與此銅馬嘶相應,俄復入水。近有大食王[タジク]不信,入祠,將壞之,忽有火燒其兵,遂不敢毀。

余りに違い過ぎる環境であると、そこは蛇信仰の地だったりするが、ヒトが生きていけぬ沙漠に囲まれていればそうなるかも。そこは毒蛇の支配地でとても出歩くような場所ではないのだ。
【蛇磧】
蘇都瑟匿國[ストリシナ]西北有蛇磧,南北蛇原五百余裏,中間遍蛇,毒氣如煙。飛鳥墜地,蛇因呑食。或大小相噬,及食生草。
出典:堵波東面石陛南鏤作二小堵波,一高三尺,一高五尺,規形状如大堵波。又作兩佛像,一高四尺,一高六尺,擬菩提樹下加趺坐像,日光照燭,金色晃曜,陰影漸移,石文青紺。聞諸耆舊曰:數百年前,石基之隙有金色蟻,大者如指,小者如麥,同類相從,其石壁,文若雕鏤,廁以金沙,作為此像,今猶現在。 [大唐西域記 巻二 健邏國]

仏教は遍く広がっているかのように思いがちだし、玄奘の歩いた道はその信仰が深まっているように解釈しがちだが、現実はそれにはほど遠い。
仏教そのものも、多種多様だし、とても同居できそうにない異教も力を持っている。さらには、どう見ても鬼神らしき信仰が深く根付いている地域もあるのだ。
理解を越える信仰があろうと、それをそのまま受け入れるしかないのである。

【神廚】
倶振提國[タジキスタン-ホジェンド]尚鬼神,城北隔真珠江二十裏有神,春秋祠之。時國王所須什物金銀器,神廚中自然而出,祠畢亦滅。天後使驗之,不妄。
この地は、ペルシアの最果て。ギリシアから見れば、最東端のイメージ。そこは、フェルガナ峡谷への入り口。
なんと、ここには神がいる。
春秋に国王が祭典挙行。それに必要な什器や金銀器は、神の厨から自然と出てくる。祭祀終了後には消滅。
則天武后が使を派遣し本当なのかと確かめさせたら、妄想ではなかったと。
これこそ外交官僚の正しき道。

ざっと流してみたが、ココは結構重要なパートであることがわかる。その話は別途。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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