表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.24 ■■■ 珍譚(異の解釈)いよいよ、「物異」篇の核心。そんなお話に免疫があるかないかで受け取り方は大きく違うかも知れぬので、小生の感覚をお伝えしておこう。 時期外れに、単独行で山小屋泊まりに行くような人なら、奇譚話などいくらでも聞いたことがあるので、ちょっとやそっとなストーリーでは驚くことはない。小生は、その類。 よくあるのは、早くついてのんびり景色を見ながらお茶を飲んでいたりすると、廃道ではないかと思うようなところから突然若者が現れたりする。たいていは、挨拶すると、ちょっと前に到着した人がいないか尋ねてくる。こんな早い時間に、小屋に入ったのは小生だけですゼと答えると、ア、そうですかで話は終わる。 しかし、夜は長い。そして、その人がたいていは話の口火を切る。 実は、今日道に迷ってしまってどうしようかこまっていたら、後ろからかなりの年齢の人がやってきて、同じ小屋に行くのでご一緒しましょうということで案内してもらったんですとうちあけ話。でも、直前になって、それじゃ一本道なのでお先にということだったんですが、小屋にいないんですヨ。 それを切欠として、皆が、山での不思議な出来事をこれでもかというほど話始めるのである。閑で、他にすることもないし。それに、政治や経済、はたまた芸術論でもなかろう。 ま、そのうち飽きて馬鹿話になってお開き。早寝の世界である。 そんな暇な時間が有り余るほどあったのが、成式の時代かも知れぬ。 なにせ、山に籠って仙人になりたい人だらけの世だったみたいだし。 もっとも、成式先生だけは違うようである。 道教系の話とはこんなモノといくつか事例をあげてくれている。 【人足】 處士元固言,貞元初,嘗與道侶遊華山,谷中見一人股,襪履猶新,斷如膝頭,初無瘡跡。 崋山とは、陝西にある五名山の一つである西岳。標高は2,160mしかないが、写真で見る限りいかにも急峻で岩場だらけ。もちろん道士の修行場。 山では、この手の訳のわからぬ落としモノはよくある話である。目玉が落ちていたのを見たなる人がいたりするもの。 はたして、誰が落としたものやら。 プロの場合はこうなる。成式先生ポイントを逃さずである。 【金兎】 虞虞有山觀,甚幽寂,有滌陽道士居焉。太和中,道士嘗一夕獨登壇,望見庭□忽有異光,自井泉中發。俄有一物,状若兔,其色若精金,隨光而出,環繞醮壇。久之,復入於井。自是毎夕輒見。道士異其事,不敢告於人。後因淘井得一金兔,甚小,奇光爛然,即置於巾箱中。時禦史李戎職於蒲津,與道士友善,道士因以遺之。其後戎自奉先縣令為忻州刺史,其金兔忽亡去。後月余而戎卒。 「異変があったが、誰にも言わなかったんだ。」 これが殺し文句である。それならずっと言うなヨと言う人はいない。 要は、贈り物をしたのだが、その際に、突然、特別な由緒がある品だと言いだすのである。当然ながら、それは神がかり的な事績でなければならない。何故に、そんなものを贈与しなければならないかは不問。 金製品であれば、奴婢が大勢いるのだから、盗まれることは珍しくはない。 その後、その人に悪いことがおこれば、そのせいかも知れぬネと言う訳である。 因果応報論を上手に活用する訳である。 こうした理屈がお好きな方は、現代の方が多いかも。もちろん、道士ではなく、たいていは博士号を関する方々。 僧侶にしても、似たところはある訳だが、その場合は記載の仕方が微妙に違うのである。 【壁影】 高郵縣[江蘇]有一寺,不記名,講堂西壁枕道。毎日晩,人馬車輿影悉透壁上,衣紅紫者,影中鹵莽可辯。壁厚數尺,難以理究。辰午之時則無。相傳如此二十余年矣,或一年半年不見。成式太和初揚州見寄客及僧説。 成式先生、思わず「難以理究。」とポロリ。信頼できそうな人からの、直接の伝聞だからだ。 全くその通りで、確かに、説明できかねる不思議な現象はある。 しかし、重要なのは、それは単なる「現象」でしかなく、それによって生活に影響がでていない点。ご利益とはおよそ無縁なのである。 おかしな事もそのうち解明されることもある訳だし。 【玄金】 唐太宗時,汾州言青龍白虎吐物在空中,有光如火,墜地陷入二尺。掘之,得玄金,廣尺余,高七寸。 これは、隕石落下でしょう。 なんだかわからぬものの、以下のような自然現象はありえそう。 【雪】 貞元二年,長安大雪,平地深尺余。雪上有檣K色。 「栫vは冠から見て、炙った香草から立ち上る煙を指しているのだろう。さすれば、それは吉兆とされよう。 尚、南宋 謝惠連[407-433年]:「雪賦」には以下のような箇所がある。格調高い美文とされているらしい。 ・・・歌曰縮:攜佳人兮披重幄,援綺衾兮坐芳褥。燎熏兮炳明燭,酌桂酒兮揚清曲。又續寫而爲白雪之歌。・・・ しかし、ここまで行くと想像を絶する。 【雨木】 貞元四年,雨木於陳留[河南],大如指,長寸許。毎木有孔通中,所下其立如植,遍十余裏。 しかし、実際に発生している珍現象なのである。 貞元元年、・・・是秋,雨木冰。・・・ 四年、・・・雨木冰于陳留。 二十年、・・・冬,雨木冰。 [新唐書卷七] そう珍しい現象ではなさそう。さすれば、猛烈な霙混じりの暴風で、凍りついた木々が土に刺さったということか。 法華経が説かれる直前、四華(曼荼羅華,摩訶曼荼羅華,曼珠沙華,摩訶曼珠沙華)が天から降ってくるのは、仏教経典に記載されている瑞兆。仏に対する讃歌なのであろうが、樹木の場合はどのように解釈されたのだろうか。 時天雨曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。[法華経序品第一] それにしても、各地の異変をえらく気にする政治が行われていたのには驚くばかり。それらは、天の声として、専門家が意味づけして天子に上奏したのであろう。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |