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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.25 ■■■

葬儀のしきたり

釈尊は、呪術的な土着信仰にからめとられる生活からの脱却をことの他重視していたようだ。
成式のものの見方には、そうした思想の影響がみられるが、ドグマを嫌う人であり、あくまでもリアリズムに徹していそう。

後代になって出版された書籍の校訂者[周登]が後序で指摘しているが、成式はあくまでも「実録」に拘っている。小説ではあるが、フィクションとは違う。素材を吟味して収録してあり、余分な装飾をすべて取り去り、どのように作られたかを示唆するような情報をさりげなく加えるという高度な手法が用いられている。物事の本性は何かを考えることをお勧めしていると言って間違いなかろう。
従って、自分が見聞したものは、必ずその旨を記すし、伝聞・伝承は徹底的に編集はするもののママである。
たとえ、収録話が奇異に映るものだらけであっても、そのような話のコレクションとは違うのである。伝奇博物学書を目指している訳ではないからだ。しつこく書くが、ここは常に思い起こしておく必要があろう。

どう考えるべきか頭を使ってもらうために、読者に素材を提供している本であり。気付きに大いに期待しているのだ。
ただ、しかめっ面をして悩むようなことをせず、苦闘を愉しみながら、苦笑を交えて楽しんで欲しいということ。

ただ、そんなことができるのは知力がみなぎる南方熊楠翁や、先鋭な問題意識を持ち続けていた魯迅位のものかも知れぬ。ここが一番の難点。

それを考えると、この本を理解するには、先ずは葬儀に関する風習についてまとめてある篇、「卷十三 屍」から読むのが一番かも知れぬという気にもなる。ヘンテコな風習だとか、訳のわからぬ事績と感じたところで、伝奇ではなく、独自の風習があるだけとしか感じないからだ。なにせ、どうしてそんなことをするのかわからず、ともかく決まり事通りに行わないとなんとなく気持ち悪しが葬儀の風習が続いている理由でもあるからだ。

例えば、よく耳にする「北枕は縁起でもない。」というのは、道教的健康法でもある"頭寒足熱"とは正反対。大陸では全く通用しない風習である。それに、「明治天皇紀」でも、それに従った大葬の儀が執り行われた様子はないそうだし。釈迦牟尼遷化の“頭北面西右脇”にしても、体調不良になったらこの休み方が最善と考えるのが常識だと思うが、涅槃像を見かけない国だと縁起悪い寝方とされる訳だ。
要するに、葬儀分野の風習はブラックボックスであり、どうなっているのかわかったものではないというのが実情。何故にそうなったのかを思い巡らすには絶好の素材とも言える。

成式もそのあたりは理解していたようだが、こうした話はどうしても面白味が消えてしまうので、ココを中心にできないのがつらいところ。それに題材が題材だけに笑わせるようなストーリーにすると顰蹙ものだし。葬儀話はご法度だらけなのだ。

釈尊ほど、葬儀に関心を示すなと言いきった聖人はいないように思うが、その言葉に従う人はいないのが現実。ここらを「酉陽雑俎」がどう扱っているかを眺めると、成式のセンスもわかってくるだろう。

そういう点では、「卷十三 屍」なら、先ずはコレ。
民俗学的見地の文章である。
【”弔”文字】
“吊”字,矢貫弓也。・・・吊=弔(繁体字)
古者葬棄中野,《禮》:貫弓而吊,以助鳥獸之害。
禮記にあるが、「弔」とは、弓に矢を付けた象形で、遺骸を野原に棄てたので、喰われぬようにいつでも射ることができる体勢にいたことを示す。それが弔問の始まり。鳥葬の文化とは相いれないということでもある。

犬の禁忌もある。これも同様な理由がありそう。
もっとも、日本ではとうの昔に無視されてしまった風習である。墓地での犬の散歩が習慣化されていたりするのだから。
【狗】
又忌狗見屍,令有重喪。
父母の喪はことのほか忌み嫌われる訳だが、"遺骸に犬を近づけるな"は当たり前だろう。犬とは狼でもあり、死肉に跳びつきかねない訳で。実際、日本でも、犬に喰われている死体絵が描かれた時代があった訳だし。
この辺りの嫌悪感覚はヒトの原始的感情ではないかと思われる。ヒト肉の味を獣に覚えさせてはいけないのである。
人喰い熊はなんとしても見つけ出して殺すというのが日本の山の掟でもあったし、だからこそ早くに狼が絶滅に追いやられたのだと思われる。

これが典型的と言えるが、古代人のなんらかの合理的理由から風習が生まれていそうと考えるのは自然な話。そうした行為が社会的に一般化してくると、儀式として定式化され、そのうち原点は忘れ去られてしまうだけのことと考える訳だ。
その手の儀式を社会制度に取り込むと、それはそれで別の価値が生まれるもの。ただ、それを、当初の目的をゆがめて上手く利用していると考えるべきではなかろう。無意識層にある習い性はいつまでも残っているだけというのが実情だと思う。

【棺】
後魏俗竟厚葬,棺厚高大,多用柏木,・・・
葬儀は盛大なのを好む流れがあるようで、お棺も厚手で大きいものが良いようだ。成式は特別製もあり、それは位階で仕様が決まるとしている。お棺の木ではなく、外面の漆加工の違いがあるのだ。いかにも、官僚制国家の習わし。・・・
【漆棺】
先賢大臣冢墓,𣏾題其官號姓名,五品以上漆棺,六品以下但得漆際。
天子は7重棺で、士になると2重棺といった取決めも、すでにこの時代にはあったと思われるが、記載されていないが、それを示唆するような記述はある。
材の「柏」は檜系の樹木を指すと思われるが、死臭を消すヒノキチオールの香りが好まれたのと、重厚感を醸し出すところが嗜好にあったのだと思われる。現代でも、この流れは続いているようで、最上級品は大木から切り出した金絲柏木とか。日本の檜は輸出できるかも。
日本だと、もっぱら桐という軽量材で正反対。虫がつかないことの方が重要だったのであろうし、近親者がお棺を運ぶことを重視したせいもありそう。

【罔象】 =魍魎
《周禮》:“方相氏區攵罔象。”罔象好食亡者肝,而畏虎與柏。墓上樹柏,路口致石虎,為此也。
《周禮》では、罔象は亡者の肝を食べるとされている。虎と柏を恐れるので、墓の上には柏の木を、墓への通路入口には虎の石像を設置する習慣があるそうだ。
いかにも、古代の虎崇拝の名残。
樹木で言えば、おそらく、松柏梧桐が葬儀に向いている樹木ということなのであろうが、そのなかでは柏がピカ一ということなのだろう。緑々しているのと、死臭と正反対の清涼な芳香が立った尾ばれたのであろう。

=豬(ぶた)
昔秦時陳倉人,獵得獸若而不知名。道逢二童子,曰:“此名弗述,常在地中食死人腦。欲殺之,當以柏插其首。”
豚が嫌われるのは、死肉も食べるせいでは。柏で首を刺せば殺せるというのは、金属の武器を使うなということだろうか。


洛陽奉洛裏多賣送死之具,涵言:“作柏棺莫作桑。吾地下發鬼兵,一鬼稱是柏棺,主者曰:‘雖是柏棺,乃桑欀也;;。”
都では葬儀用品が数多く売られていた。
お棺は柏製にすべきだが、その時に重ね板の支え材に桑を使うなと主張する人がいる。
その人の話によれば、鬼になってしまい、裁定を下される際に、棺は柏と主張したが通らなかったと。裁定によれば、それはそうだが、桑材を使っているから駄目だと。
流石、都会のマーケティング。あっぱれ。

そんな高価な材でなくてもよいのだという話もあるのが、成式らしいとこと。

【梓棺】
南陽縣民蘇調女,死三年,自開棺還家,言夫將軍事。赤小豆、黄豆,死有持此二豆一石者,無復作苦。又言可用梓木為棺。
葬儀のほとぼりが冷めた頃に生還する話はどこにでもあるが、お棺の材質について云々するのは珍しいのでは。
梓為木王と言われている位だから、住んでいる辺りの樹木の方が合理的ということのように見えるが、おそらく道教的な生き返りの気を与えるということなのであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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