表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.26 ■■■

胡散臭いお話

この本は実録集。ソースがあやふやな伝奇話収集書ではない。勿論、作り話はゼロだが、伝承を詳細に記載しようという気がある訳ではない。
それがわかる話を取り上げてみよう。

【輔星】  [卷十一 廣知]
舊説不見輔星者將死,成式親故常會修行裏,有不見者,未周而卒。
輔星とは趙有名な紫微垣の星官。明るくなると、宰相謀反の疑いということになる厄介な星である。恒星の光量が変わる訳がないから、どのように言いがかりをつけるのか知りたいものである。もっとも、この話については、成式は一言も触れていない。当たり前だが。
さて、伝説だが、輔星を見なかった者は、まさに死ぬ寸前とか。 よく見えなくなるほど視力が弱ると、もうすぐ御迎えだというのならわかるが、そういうことでもないようだ。
それはともかく、成式の縁故者に、そんな人がいるが、そんなことないゼ、と。

【人星】  [卷十一 廣知]
相傳識人星不患瘧,成式親識中,識者悉患瘧。
マラリアらしいが、人星を知ると罹患しないですむとの俗説あり。
成式によれば、親類知人のなかでこの星を知っている人は悉く患ったという。

【天獄星】  [卷十一 廣知]
又俗不欲看天獄星,有流星人,當被發坐哭之,候星卻出,災方弭。《金樓子》言:“予以仰占辛苦,侵犯霜露,又恐流星入天牢。”方知俗忌之久矣。
流星が天獄星に入るのを見たりするのは、大いに拙いとか言われている。頭髪を崩し、号哭して、星が出て行くのを待つ必要があるそうだ。さすれば、災禍を避けることができる訳だ。
《金樓子》にはそんな俗説に繋がる話が収録されている。
成程、古くから忌み嫌われていたのだ。成る式はそんなことを初めて知ったようだ。
出典:荊州陟嚮ネ寺僧那照善射,毎言光長而搖者鹿,帖地而明滅者兔,低而不動者虎。又言,夜格虎時,必見三虎並來,挾者虎威,當刺其中者。虎死威乃入地,得之可卻百邪。虎初死,記其頭所藉處,候月K夜掘之。欲掘時必有虎來吼擲前後,不足畏,此虎之鬼也。深二尺,當得物如虎珀,蓋虎目光淪入地所為也。

【金剛力士像】  [卷十一 廣知]
都下佛寺往往有神鳥雀不汚者,鳳翔山人張盈善飛化甲子,言或有佛寺金剛鳥不集者,非其靈驗也,蓋由取土處及塑像時,偶與日辰王相相符也。
又言,相寺觀當陽像,可知其貧富。故洛陽修梵寺有金剛二,鳥雀不集。元魏時,梵僧菩提達摩稱得其真像也。

ウ〜ム。
日本の大寺院、例えば、東大寺の南大門を護る快慶作の仁王様は金網で囲われている。高尾山など硝子張り。言うまでも無く鳩避け。
長安では、主に雀だったようで、金剛力士像にとまって汚されるのが常だったようである。
ところが、そうならない像もあると。ソリャ、それなりの理由があるから、と言う天竺僧も。
ソウソウ、日本だと法隆寺伽藍の中門には網無し。鳥もウロウロしていない。鳥の吽置[ウンチ]不要だとか。

【手板】  [卷十 物異]
宋山陽王休以言語忤顏。有道敏者,善相手板。休以己手板托言他人者,曰:“此板乃貴,然使人多忤。”休k以淵詳密,乃換其手板。別日,於帝前稱下官,帝甚不ス。
手板とは笏のこと。君子から直接申し渡された時の備忘録用だったようで、大臣としての地位を象徴するものになった。さらに、道教は法器とみなすまでに。
そんなこともあって、帝にチグハグな対応をしがちな官僚が、手板が気になっていた。手板の相を占うのがお得意という道術師がどう見るか知りたくなって、鑑定してもらった。すると、チグハグ発生の原因は板だと。
そこで、同僚に板を交換してもらった。その板で帝に伺候した同僚は不興をかったそうな。
ハハハ。
さすがプロ。

次は、"石旻"という人の話。この場合、なにやら怪しげな話が背景にある。
このような評判の人である。・・・
會昌中,有石旻者,蘊至術。嘗游宛陵,宿雷氏林亭。時雷之家僮網獲一巨魚,以雷宴客醉臥,未及啓之。値天方蒸暑,及明日,其魚已敗,將棄去。旻曰:「吾有藥,可令活,何棄之有?」雷則請焉。旻遂以藥一粒,投魚口中。俄而鱗尾皆動。鮮潤如故。雷大奇之,因拜請延年之餌。旻曰:「吾之藥。至清至潔。爾曹嗜慾無節,臟腑之内,諸穢委集。若遽食之,若水火相攻,安能全其人乎?但神仙可學,人自多累。如籠禽檻猿,徒有騫翔騰躍之志,安可致焉!」(出《補録記傳》) [「太平廣記 」卷第八十四 異人四]
石旻は底知れぬ道術使いとされていた。
宛陵に遊びに来て、雷氏のお宅に寄宿し、宴会に出席した時のこと。皆、深酒で酩酊してお休み状態だったのに、家人が巨大な魚を網で捕獲。
蒸し暑い天気だったので、翌日になってしまい魚は腐敗。捨てさせようとすると、石旻これを止める。「薬があるから、蘇生できますゾ。捨てなくても。」と。
それならやって見てヨとなり、魚の口に薬を一粒放り込む。すると、尻鰭が動いて、生き帰ったかの如し。
雷氏、これは奇なこと。できれば、延命の餌として私も頂きたいと。
それに応えて、石旻の言うことには、「私の薬は、清にして潔な人用。無節操に好きなだけ飲み食いする御仁の臟腑は穢れてすぎ。もし、そこで服用すれば、水と火の来が互いに攻め合うような状況になること必定。これで、人体の安寧が望めると思いますかネ。
神仙を学ぶのに何の難しさもないのです。人目を気にしなければ。籠の鳥や、檻に囚われた猿のようなものなのに、駆けたり、飛んだり、跳び越したりと、徒に志ばかり高いのでは、どうにもならないでしょう。

まあ、雷氏はとてつもない大金持ちだろうから、最後の御言葉は、一理ありますナ。
そこで、成式先生も注目と相成った次第。
【兔皮】  [卷五 怪術]
衆言石旻有奇術,在揚州,成式數年不隔旬與之相見,言事十不一中。家人頭痛嚏咳者,服其藥,未嘗效也。
至開成初,在城親故間,往往説石旻術不可測。盛傳寶歴中,石隨錢徽尚書至湖州,常在學院,子弟皆“文丈”呼之。於錢氏兄弟求兔湯餅,時暑月,獵師數日方獲。因與子弟共食,笑曰:“可留兔皮,聊誌一事。”遂釘皮於地,壘塹塗之,上朱書一符,獨言曰:“恨校交遲,恨校交遲。”錢氏兄弟詰之,石曰:“欲共諸君共記卯年也。”至太和九年,錢可復鳳翔遇害,在乙卯。

石旻は奇なる術を使うと評判なので、成式も、揚州にいた時に結構お会いしたもの。でも、これがさっぱり当たらない。頭痛持ちで咳き込む歌人のために薬をもらったんだが、未だに効いたためしなし。
マ、弟子達は凄い凄いと言うのではあるがネ。
こんな話はあるようだ。
湖州でのこと。尚書の錢徽に随行していたという。皆で兔湯餅をということで、兎狩を行い仕留めたそうな。石旻、やおら、皮を取って朱書でご符を。そして、「恨めしか、遅すぎた。」と嘆息。
当然、ナンダ、ナンダとなり、兎年まで皆さんとご一緒させていただきたかっただけのことと。
そして、錢徽は兎年(829年)に誅されたそうだ。

実は、カネと人事でゴタゴタがあった訳ですヨ。成式の親父と。・・・
段文昌極為惱怒,便上奏説錢徽會試取士全憑私心,於是錢徽反以「取士以私」被劾,貶為江州刺史。

(参考) "CELEBRATION OF THE STRANGE: YOUYANG ZAZU[酉陽雑俎] AND ITS HORROR STORIES" by LIN WANG (Under the Direction of Karin Myhre)
(重要序跋のリスト@「《酉陽雜俎》校證:兼字詞考釋 劉傳 北京大学出版社 鴻」2014) 李士高跋,李宗準跋,崔應賢跋,張丑跋,勞權跋,毛晉《前集》跋 & 《續集》跋,黄丕烈《前集》十一卷末跋 & 《前集》二十卷跋
(引用) 「清廉善報的錢徽」by 靜遠 人民報電子盤416
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2016 RandDManagement.com