表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.27 ■■■ 科学技術と技能「酉陽雑俎」からの引用が少なくない類書総揃本に北宋 太宗の勅命編纂書「太平広記」がある。全500巻にして目録10巻に達する百科事典。注目すべきは、小分類1,500、大分類92としたまとめ方。 この本こそが博物学的巨大本と言えよう。当然ながら、「酉陽雑俎」も素材が共通のことも多いから、似た様な書籍と見なされがち。つまり、成式の個人ベースで作った小振りの書とされかねないのである。 この手の発想で読んでしまうと、考証学のデータを眺めているようなもので、せっかくの価値がなくなるのでご注意のほど。 そんな話をしているのは、「太平広記」の分類を見ていて、ハタと気付いた点があるからだ。 「太平広記」 卜筮(216-217) 医(218-220) 相(221-224) 伎巧(225-227) 博戯(228) 器玩(229-232) 酒(233) 食(234) 交友(235) 奢侈(236-237) 「酉陽雑俎」 卷六 藝絶 器奇 樂 卷七 酒食 醫 と言ってもたいしたことではなく「伎巧」と「器奇」の違い。 宋朝期は数々の発明が生まれたから、当然ながら、そこに焦点があたる訳である。と言うか、印刷技術の実用化が大きいとも言えよう。 どんな内容かわかりにくいだろうから、「卷第226 伎巧二」から代表的話(#8,9)をご紹介しておこう。 【楊務廉】 將作大匠楊務廉甚有巧思。常于沁州市内刻木作僧,手執一碗,自能行乞。碗中錢滿,關鍵忽發,自然作聲云布施。市人競觀,欲其作聲。施省日盈數千矣。(出《朝野僉載》) 木工匠のリーダー楊務廉は技工が甚だ巧み。沁州で木製僧侶像を作成。手には一個の椀があり、自動で托鉢行ができた。銭で一杯になると、仕組みが働いて「布施」と発声するように作られていた。市民は競って見物に。結果、施しで数千もの銭が集まった。 【王琚】 郴州刺史王琚刻木為獺,沈于水中取魚。引首而出,蓋獺口中安餌為轉關,以石縋之則沈,魚取其餌,關即發,口合則銜魚,石發則浮出。(出《朝野僉載》) 郴州の刺史に任ぜられた王琚は、木製の川獺を彫った。潜水して魚が取れ、浮上すれば水面から首を伸ばす。口に餌を入れて蓋をすると稼働する仕掛け。石をしっかり取り付ければ沈むだけのこと。魚が餌を取ると、口で魚をはさみ、石が放り出され浮かんでくるのである。 要するにカラクリ。 宋朝期には大流行りだった訳だが、成式の時代にも精巧なものはあった。このように大衆化していなかったにすぎない。 成式が選んだ、とてつもなく精緻で素晴らしい工芸品の代表はコレ。 【青玉燈】 [卷十 物異] 漢高祖入鹹陽宮,寶中尤異者有青玉燈。檠高七尺五寸,下作蟠螭,以口銜燈。燈燃則鱗甲皆動,炳煥若列星 ラリックの灯りなど、これからすればたいしたものではない。残っていれば素晴らしかったのだが。 国立故宮博物院所蔵の清朝期の作品を見ればおわかりのように、天子所有の工芸品はとんでもないモノだらけ。「象牙多層球」に至っては、一本の象牙から21の中空球体を入れ子にしてあるのだ。理論的には可能だが、そんなものを作らせる発想もさることながら、それを可能と引き受ける匠が存在する社会の凄さを感じる。途中で失敗して首が飛んだ人も少なくなかろう。天子が空前と賞賛したら、絶後にするために官僚は匠を抹殺するのかも。 ただ、見ているだけでも楽しくなる工芸品はいつの世にもあるもの。 唐朝期はインターナショナルだったから、皇帝の周囲には、その手の工芸品が溢れかえっていたと考えてもよいのでは。ただ、珍しいというに過ぎないと言えないでもなく、すぐに飽きられることも多かったと思われるが。 【鼠丸】 [卷十 物異] 王肅造逐鼠丸,以銅為之,晝夜自轉。 もちろん、成式の頃と、一般的には科学技術が花開いたと言われる宋朝期では科学技術史的には全く状況が違う。宋代の時代感覚を象徴するのは、通常は、通才科学家とされる沈括[1030-1094]の著書「夢渓筆談」とされる。数学、地理学、地質学、経済学、工程学、医学、藝術評論、考古学、軍事戦略、外交、等々が記載されている。 笑うのは、「酉陽雑俎」の内容を嘘と見なしていたりして、競っているかのような姿勢が垣間見える点。ソリャ、当たり前のことだと思うが。 類書では全く見かけない、成式の冷徹な姿勢を見てとり、元祖科学技術史の看板を取られてなるものゾという感覚だったのだろう。そもそも、両書は目的が全く異なるが、創造性に深く関係する著作という点ではライバルに映ったのであろう。 もっとも、素人からすれば、沈括も成式と大同小異の奇譚話を掲載しているように映るのであるが。 ということで、成式が選んだ技術の話をとりあげてみよう。 【豫章船】 [卷十 物異] 昆明池漢時有豫章船一艘,載一千人。 超巨大船舶である。実際に、そのような舟を建造しても、軍事的にさしたるメリットがあるとは思えないが。作ってみれば、新しい価値に気付くこともあろうということか。 【篊】 [卷十 物異] 晉時錢塘有人作篊,年收魚億計,號為萬匠篊。 漁業の生産性を一変させるような漁具が発明されたようだ。「億」単位の漁獲高なのだから、画期的なことは間違いない。しかし、道具そのものが新規なら、その話が伝わっていそうなもの。そうでないとすれば、漁撈マネジメントを一変させたということでは。漁具群をシステム化し、効率的な集団漁業を実現したのでは。 これらとは違うが、なんらかの用途があったのではとの示唆も。 【錐】 [卷十 物異] 中牟縣[河南]魏任城王臺下池中,有漢時鐵錐,長六尺,入地三尺,頭西南指,不可動。 漢代の大きな鉄製錐。宗教的なものとは思えないから、なんだろうネということ。 なにか考え付いたのだろうが、想像もつかない訳で、先人の知恵を読むのは難しい訳である。 もちろん、自明なものもあるが、その知恵の素晴らしさには脱帽である。 【狼糞】 [續集巻十六 廣動植之一 毛篇] 狼糞煙直上,烽火用之。 古代の通信方法が記載されている。これが、狼煙の最初ではないかと、推定している訳である。そうは書かないのが成式流である。証拠となる文献が見つからないからだ。 すでに取り上げた、ペルシアの伝書鳩も、そういう観点では立派な長距離通信技術と言えよう。 ただ、西洋的な、現象の本質を抉るという意味での物理科学話は流石に少ない。ゼロという訳ではない。 すでに招き猫でとりあげたが、猫皮を摩擦すると静電気が発生する。その、放電現象を冷静に観察していることがわかる。 【猫皮】 [續集巻 八支動] 貓,・・・其毛不容蚤,虱K者暗中逆循其毛,即若火星。 科学技術史上の重要な発明とされる火薬についての記載も。 【弾丸】 [卷十一 廣知] 慈恩寺僧廣升言,貞元末,閬州僧靈鑒善彈。其彈丸方,用洞庭沙岸下(一曰畔),土三斤,炭末三兩,瓷末一兩,楡皮半兩,泔澱二勺,紫礦二兩,細沙三分,藤紙五張,渇搨汁半合,九味和搗三千杵,齊手丸之,陰幹。鄭篆為刺史時,有當家名寅,讀書,善飲酒,篆甚重之。後為盜,事發而死。寅常詣靈鑒角放彈,寅指一枝節,其節目相去數十歩,曰:“中之獲五千。”一發而中,彈丸反射不破,至靈鑒乃陷節碎彈焉。 黒色火薬がどのように作られるか記載されている。秘密ではなかったようである。ただ、応用場面は、パチンコで的を狙う弾丸。名人が作った玉だと命中すると爆発して木の節程度は粉砕する威力があったようだ。淡々と書いているから、すでに当たり前の技術だったことがわかる。 尚、銃身を作れるようになって、武器として軍隊が使用するようになるのは13世紀。 しかし、圧巻はなんといっても、発明者をとりあげた話。 魯般という、機械製作の名匠がいた。城攻めの画期的用具"魯般雲梯"を作ったので認められたのであろう。ほば、祭神扱い。 ただ、凉州で仏塔を建造していたというのがこの話の味噌かも。 【木鳶】 [續集卷四 貶誤] 今人毎睹棟宇巧麗,必強謂魯般奇工也。至兩都寺中,亦往往托為魯般所造,其不稽古如此。據《朝野僉載》雲:“魯般者,肅州敦煌人,莫詳年代,巧r造化。於涼州造浮圖,作木鳶,毎撃楔三下,乘之以歸。無何,其妻有妊,父母詰之,妻具説其故。父後伺得鳶,撃楔十余下乘之,遂至呉會。呉人以為妖,遂殺之。般又為木鳶乘之,遂獲父屍。怨呉人殺其父,於肅州城南作一木仙人,舉手指東南,呉地大旱三年。蔔曰般所為也,賫物具千數謝之,般為斷一手,其日呉中大雨。國初,土人尚祈禱其木仙。六國時,公輸般亦為木鳶以窺宋城。” 敦煌の人である魯般が涼州[武威]で浮圖を造っていた時のこと。 ハンググライダーのような木製"鳶"で家と仕事場を行き来していた。それを知った父が、その木鳶に乗って呉国に行ってみた。ところが、妖怪とされ殺されてしまう。その恨みをはらすべく、木仙人でその地に旱魃をおこさせる。人々陳謝。それを受け入れ、木像の手を切断。すると、呉は大雨。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |