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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.15 ■■■

納采と婚儀

"結婚是人生中一件重大喜事"であり、民俗学では必ずその風習を資料化することになっている。成式もそのような気分で「納采と婚儀」を眺めていたのだろうか。
「卷一 禮異」の一部だが、正直なところ、"異"質な印象はゼロ。

なんの驚きも感じさせないのは、日本の現代の風習を考えると、特段かわったところがあるとは思えないからだ。違和感ゼロ。

まず。結納から。

この習慣は今もって続いている。
日本では、デパートで売っている位のポピュラーな商品。運び易いようなセット品になってはいるものの、慣習をできる限り残しながら、取り扱い便利なように改良しているだけ。
標準的には以下の9品が揃っている。
 [-]目録
 [1]御帯/御袴[結納金]
 [2]婚約指輪
 [3]長熨斗[鮑のし]
 [4]友白髪[麻糸]
 [5]子生婦[昆布]
 [6]寿留女[するめ]
 [7]勝男武士[鰹節]
 [8]末廣[扇]
 [9]家内喜多留[角樽]

成式の時代も9品セット。もちろん、同様な縁起物のみ。
但し、宴会用の酒、単なる贈答品でしかない帯や袴(現金)は入っていない。昆布・するめ・鰹節のような実用的食品にする必要もなかったようだ。
このことは、今より、精神性が重視されており、シンプルかつ洗練されていたと言えそう。

こんな具合。・・・

 婚禮,納采有
 [1]合歡・・・ネムノキ
 [2]嘉禾、・・・黄金色にたわわに実った穀類
 [3]阿膠、・・・にかわ
 [4]九子蒲、・・・ガマ
 [5]朱葦、・・・ヨシ
 [6]雙石、・・・並び石
 [7]綿絮、・・・真綿
 [8]長命縷、・・・絹糸
 [9]幹漆。・・・うるし

選定理由の説明は、[1]合歡と[8]長命縷以外。
 九事皆有詞:
 [3][9]漆取其固;
 [7]綿絮取其調柔;
 [4][5]葦為心,可屈可伸也;
 [2]嘉禾,分福也;
 [6]雙石,義在兩固也。

長命とか合歡はそのものズバリで説明の要無しだが、流石に、合歡性状夜合とは書けなかったようである。

綿「絮」だが、フワフワ感が重要だから糸や布ではなかろう。そう考えると、木綿より、草の綿毛のパンヤが似合う。
「縷」にしても、必ずしも絹である必要はなく、長い糸ならなんでもよさそう。蜘蛛の糸は縁起を考えると最高かも。

ただ、気になる箇所も。

「九子蒲」だが、9つの穂とか、9本を編みこんだ蒲飾りを作る必然性は薄かろう。この言葉、龍生九子を暗示していると見ることもできよう。つまり、現代でも大陸では通用する9個の寶珠を編み込んだブレスレットの可能性アリ。
葦の"可伸"も記載が今一歩。その特徴とはあくまでも成長の速さ。蒲とは比べものにならぬ。
そうそう、雙石だが、指輪のような身につけるチャームとは違うが、両人がそれぞれ密かにしまっておく貴石だったかも。
尚、こんな詩がある。
   「雙石」  白居易
 蒼然兩片石,厥状怪且醜。
 俗用無所堪,時人嫌不取。
 結從胚渾始,得自洞庭口。
 萬古遺水濱,一朝入吾手。
 擔舁來郡内,洗刷去泥垢。
 孔K煙痕深,罅青苔色厚。
 老蛟蟠作足,古劍插為首。
 忽疑天上落,不似人間有。
 一可支吾琴,一可貯吾酒。
 峭絶高數尺,泓容一鬥。
 五弦倚其左,一杯置其右。
 窪樽酌未空,玉山頽已久。
 人皆有所好,物各求其偶。
 漸恐少年場,不容垂白叟。
 回頭問雙石,能伴老夫否。
 石雖不能言,許我為三友。


お次は、お輿入れ行事。
北と南では違うようだが、布張の小屋を作るところを見ると乾燥草原の遊牧民の伝統を引き継いでいそう。花婿の家の人達が集団で花嫁を迎えに来て大騒ぎするのも、大草原ならではのシーンだろう。
現代モンゴルに、そのままの形でこの風習が残存していてもおかしくなかろう。
 北朝婚禮,青布幔為屋,在門内外,
  謂之青盧,於此交拜。
 迎婦,夫家領百余人,或十數人,隨其奢儉,
  挾車倶呼新婦子,催出來,至新婦登車乃止。


花婿をからかうのは、古代はどこでもあったようである。
 婿拜閣日,婦家親賓婦女畢集,
 各以杖打婿為戲樂,至有大委頓者。


もちろん、逆も。
 娶婦之家,弄新婦,

ただ、度が過ぎることも少なくなかったようで。
 律有甲娶,乙丙共戲甲。
 旁有櫃,比之為獄,舉置櫃中,復之。
 甲因氣絶,論當鬼薪。


と言っても、あくまでも婚儀とは、"血族"としての家同士を結びつける儀式。"血族"に徹底的にこだわる社会ならではの風習であり、中華帝国が儒教から離れられない根源でもあろう。
"李"朝が、道教崇拝を第一義に掲げたのも、そうした社会であれば止むを得まい。漢族貴族とは思えない家系でありながら、天子として君臨することに貢献できるのは道教しかなかったからである。いうまでもなく、道教勢力が一致して、"李"家の祖先は老子であるとして、唐朝樹立以前から支援してきたからである。
しかしながら、インターナショナルな都市化が進んだせいもあってか、婚儀の性格も相当に変わってきたようである。
なにせ、花婿-花嫁の契を取り結ぶことが儀式の核になりつつあると記述されているようなものだから。(道教徒ですゾという意味でもあるが。)・・・
 娶婦。夫婦並拜,或共結鏡紐。
三々九度の盃やリングの交換ではなく、鏡の紐結びであり、それぞれの宗教観を反映していることがわかる。
成式先生、ポイントをついた書き方。

それを感じさせるのは、婚礼の作法は変わっていくものとの認識を披歴しているから。昔とは相当に変わっているヨと指摘しているのだ。
要するに、婚儀は、根底の思想をそのままに、表面的にはファッショナブルなものになったり、"おどけ"で楽しんだりと、色々と変化する性質ありと見ている訳だ。イベントメーカーが新企画を生み出し、それが一気に流行ったりするものなのであろう。・・・
近代婚禮,當迎婦,以粟三升填臼,席一枚以覆井,三斤以塞窗,箭三只置戸上。婦上車,婿騎而環車三匝。女嫁之明日,其家作黍。女將上車,以蔽膝覆面。婦入門,舅姑以下悉從便門出,更從門入,言當躪新婦跡。又婦入門,先拜豬霍枳及竈。
この辺りの習俗、日本の京の町屋にひっそりと残っていたりして。

民間習俗として、婚儀の期日について、なんらかの忌事もあったようだ。
 臘月娶婦,不見姑。
この辺りの習わしは過去形ではないかも。
現在でも「正月不結婚 臘月不訂婚」なる言葉が知られているからだ。義理の母にとってみれば、なんらかの、冥界感覚が生まれるということなのだろうか。ともあれ、現代とは違って、婚礼時期は出産時期を規定してしまうから、お勧めし難い頃ではある。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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