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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.20 ■■■

蛤菩薩像

蛤蜊の殻のなかから仏像出現という話はどういう現象を指しているのだろうか。
ハマグリが蟹になるという話は、一見突飛に映るが、貝の中に小さな蟹が住んでいるからそう考えるのはそれなりの論理ありで、それに気付かない方が鈍い訳だが、こちらは果たしたなんだろう。

マ、常識的には真珠のことだと思われるが、ハマグリで果たして上手くできるものだろうか。

「酉陽雑俎」では、随朝の皇帝が見つけ、数千万個も獲って来たことを反省し、それ以来蛤蜊断ちをしたと。
左顧蛤像,舊傳雲,隋帝嗜蛤,所食必兼蛤味,數逾數千萬矣。
忽有一蛤,椎撃如舊,帝異之。
置諸幾上,一夜有光。
及明,肉自脱,中有一佛、二菩薩像。
帝悲悔,誓不食蛤。
非陳宣帝。
 [續集卷五 寺塔記上]

わざわざ、これは隋帝であって、陳の第4代皇帝の宣帝/陳[530-582年]は間違いと書いている。(隋朝文帝/楊堅の治世下589年に陳は滅亡。)

この二菩薩像だが、大切に扱われたのはいうまでもない。そして、靖恭坊の大興善寺に納められたのである。

上好食蛤蜊,一日左右方盈盤而進,中有擘之不裂者。
上疑其異,乃焚香祝之。
俄頃自開,中有二人,形眉端秀,體質悉備,螺髻瓔珞,足履,謂之菩薩。
上遂置之於金粟檀香合,以玉屑覆之,賜興善寺,令致敬禮。至會昌中佛舍,遂不知所在。傳之州從事陳訥。
 [唐 蘇鶚:「杜陽雑編」]

會昌[841-846年]には、武宗の廃仏方針が実行されどうなったかというところなのだが、残っていたようだ。
   「蛤像二十字連句」
 雖因雀變化,不逐月虧盈。
 縱有天中匠,神工可成。(柯古)
 相好全如梵,端倪祗為隋。
 寧同蚌頑惡,但與鷸相持。(善繼)

   [續集卷五 寺塔記上]

"雀入于海為蛤"[大戴禮記 夏小正]というか、七十二候の"雀入大水為蛤"で知られるお話と、"鷸蚌の争い"(漁夫の利:争っているシギとハマグリを一度に漁師がつかまえた。)を引きながら、蛤像を賞賛しているところを見ると、自然にできた異形の珠ということか。単なる「蛤像」としているから、逸話に合わせて作った菩薩像ではなさそうだ。
成式としては、仏教国の隋の帝が奉納した像でなければ意味無しという気分だったと思われる。

一方、禅宗系の書では、反宦官の唐朝第17代皇帝文宗/李昂[808-840年]が納めた話が知られている。
唐朝文宗皇帝有天吃蛤蜊,遇到顆特別的蛤蜊,
用盡各種方法都無法把殼打開,皇帝認為這可能是某種警示,便焚香告。
這時蛤蜊竟然變化成觀世大士的模樣。
皇帝立刻召來終南山惟政禪師,問他:
 「怎麼回事?」
禪師回答:
 「這是菩薩要來為陛下建立佛法信心而變化的。
  經典上説:『應以此身得度者,即現此身而為説法。』」
皇帝:
 「觀音大士是現身了,但沒聽到大士説法。」
禪師:
 「陛下所見到的景象,是常見還是罕見?是相信還是不信?」
皇帝:
 「這種事稀有罕見,怎會不信?」
禪師:
 「大士已經為演開大法了!」
皇帝非常法喜,詔令天下寺院立觀世音菩薩像供奉禮拜。
蛤蜊觀音像,也因此廣為流傳。
  [南宋 僧志磐:「佛祖統紀」巻四十二@1269年]

言うまでもないが、これが、蛤観音の由緒である。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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