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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.25 ■■■

分身

精神医学のターミノロジーに"Autoscopy/自己像幻視"がある。自分の身体と周囲の環境の境界がわからなくなる精神疾患だろうから、重篤と言ってよさそう。
しかし、死ぬ直前に自分の身体を上から見下ろす状態(体外離脱)になるという巷の俗言があり、こちらの場合は疾患とは見なされない。それどころか、臨死体験談から、寿命が尽きる寸前によくみられる現象と主張する人もいるようだ。しかし、そんな話をいくら集めたところで、死者ではなく回復者のお話にすぎないから、そんな現象が一般的なのかはなんとも。
この辺りになると、医学と言うよりは心霊学の領域だと思われる。

"Doppelgänger/分身"という類似概念もある。どのジャンルの用語かは知らないが。
こちらは、本人に関係のする場所に同一人物が出現する現象のことで、本来は臨死体験とは関係ない概念だと思われる。

小難しい話から始めたが、そのような意図はさらさらない。
誰でも知るような古典落語「粗忽長屋」で取り上げられている現象にすぎないからだ。・・・
お前は粗忽者だから自分が死んだことにも気が付かないんだ。」と言われて、その気になる熊さんもいるというだけのこと。この場合のオチは「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?

この言葉が知られるようになったのは、芥川龍之介:「二つの手紙」[大正6年 現在@青空文庫]のせいではないか。但し、さほど有名な作品ではないようで、知る人ぞ知るレベルらしい。
評判は芳しくなかったからである。発表直後の江口渙の書評は以下のようなものだったという。
然し私が特に不満に感じるのは
 描かれたるその心理が
 善の場合にも悪の場合にも
 単なる普通の善又は悪を
 唯其儘の質に於いて拡大してゐるに過ぎない事である。

極めて常識的な見方である。
あらかじめ竜之介がとるべき姿勢の範囲が設定されているということでもあろう。従って、そこから逸脱すると、最初に現れるのは嫌悪感。
それを素直に書いた評論と言えよう。
マ、そのように感じてもらえたなら、逆説的だが、この作品は大成功とも言える。
「子不語怪・力・亂・神。」[論語 述而第七之二十]と言われているそばから、敢えて「怪」を大仰に議論しようと言いだすようなもの。
この辺りの感覚がつかめないと、「酉陽雑俎」の面白味は半減する。

一般には、「分身」の原初的作品としては、陳玄祐:「倩娘」があげられることが多い。これを所収した「太平広記」には以下のような一文が付随しており、様々な人に弄られてきた作品かも。
出陳玄祐《離魂記》云。
玄祐少常聞此説,而多異同,或謂其虚。

  [「太平広記」三百五十八巻 神魂一 王宙]出《離魂記》]

この話はえらく有名なようで、翻訳本もある。[陳玄祐 田中貢太郎 訳:「倩娘」@青空文庫]
小生は全く知らなかったが、元 鄭光祖の戯曲「倩女離魂」のお蔭で広く知られるようになったとされているようだ。こんなストーリー。・・・
王宙は伯父の衡州[湖南]の長官張鎰宅で、娘の倩娘と許嫁状態で一緒に育ってきた。相思相愛なので後は結婚を待つばかりだったが、突然反故にされた。
王宙はいたしかたなく、都へと出発。ところが、それを追って、倩娘がやってくる。結局、成都[四川]で5年を過ごし子供も二人。
そして、倩娘出奔を謝るべく、一家は衡州に帰ってくる。すると、なんとそこにはずっと病んだままだった倩娘が。
両者はそこで一体化と相成る。

・・・端的に言えば、愛する人を慕うあまり、魂が身体から離れてしまい、身体は脱け殻として別途残っているというだけのお話。終局はメデタシメデタシだが、その部分が異なっていたところで本筋にたいした違いはない。

「太平広記」[三百五十八巻 神魂一]には、「阿」(出「幽明録」)、「鄭生」(出「靈怪録」)、「柳少遊」(出「廣異記」)もあり、"分身"話はつきない。

小生は、これらを他と一緒にして「怪」奇譚と見なしてよいかが気になる。
妖怪や鬼とは本質的に違うから、対処の仕方も違う筈だし。

一般に、妖怪に対しては情け容赦もなく、ともあれ絶滅させてしまえとの態度で臨む。そこにはなんの躊躇もない。いかにも大陸的。精霊を愛おしむ気持ちの欠片も感じさせない所業だらけ。
鬼の場合は、死者の霊だったり、冥界で出会う可能性があるせいなのか、用心しながら、どう対処すべきか考える。官僚組織がついているから、手ごわい相手であり、それなりの覚悟で臨むべしとの認識があるのだろう。
しかし、分身となれば、これらには当てはまらない。

と言うより、中華社会の道教的生命観からいえば、「魂魄」観が土台にあるから、分身とは異常な状況になってしまっただけかも。
そもそも、仙人になって不老不死を実現しようと考えるのは、「拘魂制魄」が可能と見ているからだろう。魂と魄の両方を身体のなかに閉じ込めておけるなら、原理的に死ぬことは無いという単純な理屈である。
つまり、論理的には、上記のような"分身"現象はあってしかるべしとなる。
仙人の存在を「怪」とみなさないなら、「分身」現象も「怪」とは言えないことになろう。

成式が、そこらをどう考えていたのかは残念ながらよくわからない。

ただ、分身例は記載されている。
同一人物が、同時に遠く離れた二ヶ所で目撃された話である。
予讀梁元帝《雜傳》雲:
“晉惠末,洛中沙門耆域
[天竺人306年着],蓋得道者。
  長安人與域食於長安寺,
  流沙人與域食於石人前,
 數萬裏同日而見。---”
 [卷四 貶誤]
"洛陽商人胡湿登講,他曾在這天的黄昏時分在西域流沙境内見到耆域,"、ということ。
この場合、倩娘とどこがどう違うか提起しているのである。
恋する余り、魂が身体から離れてしまうことがあるのは知られているが、そうだとすれば僧侶は一体どういう理由で分身が生まれるのか、考えてみよ、と成式は読者に呼びかけているのだ。

分身現象は馬鹿げた話と言いながら、霊の存在を感じるという人だらけの社会がある。それが現代日本。成式の時代の人々と比べて科学的思考ができるようになったとは言い難い。

(参照) 西田一豊:「芥川龍之介「二つの手紙」論」千葉大学人文社会科学研究 Vol.24 (2012年)
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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