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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.1 ■■■

前世記憶

正直なところ、小生は魂についてはなんの興味も無い。従って、生まれ変わるお話を取り上げる気もなかったが、世間一般ではえらく関心が高そうなのでサラッと見ておこう。

現代日本も、成式の時代も、この辺りの状況は多分ほとんど変わらぬだろうから。・・・
Q あなたは、死んだ人の魂は、どうなると思いますか。
A 生まれ変わる_:29.8%
  別の世界に行く:23.8%
  消滅する___:17.6%
  墓にいる___: 9.9% ↑ここまででほとんど8割
  魂は存在しない: 9.0% ←1割未満
Q 宗教心について
A 「日本人は宗教心が薄い」と思う:45%
  「薄い」とは思わない_____:49%
"「魂は生まれ変わる」3割"@本社連続世論調査「日本人」(6) 讀賣新聞 2008.5.30

マ、生まれ変わりの話など、おそらく五万とあるのだろうが、成式先生、そこら辺りは用心深く、確実性あるものを入れ込んでいる。

大詩人とされていたらしい顧況[727-816年]の話。・・・
757年進士及第したのだが、後継者がなかなかできなかった。血族信仰の社会ではコレは一種の不幸と見なされていたと思われる。
ところが、50代で連続的に恵まれる。
順風と思いきや、長子が病のために17才で逝去。70才の況は、当然、傷心そのもの。あとは、妾の子である非熊に希望を託すのみ。
その死んだ子供だが、再び顧家の子供に生まれ変わったのである。そして、非熊がふざけて叩いたところ、どうして兄を叩くのだと。不思議なことに、前世の記憶もあり、皆仰天。
成式、この話、朋友である非熊から直接聞いたというのである。・・・
顧況喪一子,年十七。
其子魂遊,恍惚如夢,不離其家。
顧悲傷不已,因作詩,吟之且哭。詩雲:
   「傷子」
  “老人喪其子,日暮泣成血。
   心逐斷猿驚,跡隨飛鳥滅。
   老人年七十,不作多時別。”
其子聽之感慟,因自誓:
  “忽若作人,當再為顧家子。”
經日,如被人執至一處,若縣吏者,斷令托生顧家,復都無所知。忽覺心醒,開目認其屋宇,兄弟親滿側,唯語不得。
當其生也,已後又不記。年至七,其兄戲批之,忽曰:
  “我是爾兄,何故批我。”
一家驚異,方敘前生事,歴歴不誤,弟妹小名,悉遍呼之。

抑知羊叔子事非怪也。
即進士顧非熊。
成式常訪之,涕泣為成式言。

釋氏《處胎經》言人之住胎,與此稍差。
 [卷十三 冥跡]
成式の評価としては、これは"怪"ではない、と。
その理由は、羊叔の前世は、隣家の子だったらしいとの話があるから。
証拠としては薄弱な感じはするが。
年五,時令乳母取所弄金環。乳母曰:「汝先無此物。」即詣鄰人李氏東垣桑樹中探得之。主人驚曰:「此吾亡兒所失物也,雲何持去!」乳母具言之,李氏悲。時人異之,謂李氏子則之前身也。 [晉書卷三十四 列傳第四 羊祜]

ついでに、一寸違うが、仏教経典《處胎經》も引いて。
ハッハッハである。・・・
釈尊の入滅直前から、荼毘、仏舎利塔建立、経典読誦までを描いた経典である。母の胎内で菩薩達に行った説法を聞いていなかったということで、その様子を語る話が中心。
云何阿難:「吾處母胎十月,與諸菩薩,説不退轉、難有之法、不思議行,汝復知耶?」
對曰:「不知。」
佛告阿難:「諦聽諦聽善思念之。・・・
  [姚秦三藏法師,竺佛念譯:《菩薩從兜術天降神母胎説廣普經》]

子供と違って、大人が、自分の前世は○○である、と言うと、どこかうさん臭さがつきまとう。(しかし、もともとトーテムとか先祖の生まれ変わりという信仰は古層に残っている訳だから、小生は逆と見るが。)もちろん、大人の話も収載されている。・・・
「私は、前生、あなたとは他人の後妻だった。」と、妻が夫に言うのだからコリャ凄すぎ。
太和三年,壽州虞侯景乙,京西防秋回。其妻久病,才相見,遽言我半身被斫去往東園矣,可速逐之。乙大驚,因趣園中。時昏K,見一物長六尺余,状如嬰兒,裸立,挈一竹器。乙情急將撃之,物遂走,遺其器。乙就視,見其妻半身。乙驚倒,或亡所見。反視妻,自發際眉間及胸有如指,映膜赤色,又謂乙曰:
  “可乳二升,沃於園中所見物處。
   我前生為人後妻,節其子乳致死。
   因為所訟,冥斷還其半身,
   向無君則死矣。”
 [卷十五 諾記下]

中華帝国ではインド渡来の輪廻感はさっぱり定着しなかったようだが、時に、そのような話も流布していた模様。
驢馬になる話が載っている。お世話になった飼い主に口をきいて、前世の名前を語ったりするのだ。
開成初,東市百姓喪父,騎驢市兇具。行百歩,驢忽然曰:
 “我姓白名元通,
  負君家力已足,勿復騎我。
  南市賣麩家欠我五千四百,
  我又負君錢數亦如之,今可賣我。”
其人驚異,即牽行。旋訪主賣之,驢甚壯,報價只及五千。詣麩行,乃還五千四百,因賣之。
兩宿而死。
 [卷十五 諾記下]
直感が鋭くなっている時はあるもの。マ、空耳アワーの世界と思うか、信じるかは好き好きである。

生まれ変わるなら、確率論的に考えて、周囲に全くわからない言葉を使えてもよさそうに思うが、そのような伝承は無いようだ。あくまでも、部族的な範囲に留まるのが一大特徴といえよう。

そうそう、生まれ変わりとは少々違うが、死人の魂入れ替わり譚が収載されている。しかも、それは、成式の三従叔父の直接見聞記。・・・
開元[712-741年]末,蔡州[@河南]上蔡縣南李村百姓李簡癇疾卒。後十余日,有汝陽縣百姓張弘義素不與李簡相識,所居相去十余舍,亦因病死,經宿卻活,不復認父母妻子,且言:“我是李簡,家住上蔡縣南李村,父名亮。”驚問其故,言方病時,夢有二人著黄,帖見追。行數裏,至一大城,署曰王城。引入一處,如人間六司院。留居數日,所勘責事悉不能對。忽有一人自外來,稱:“錯追李簡,可即放還。”一吏曰:“李簡身壞,須令別托生。”時憶念父母親族,不欲別處受生,因請卻復本身。少頃,見領一人至,通曰:“追到雜職汝陽張弘義。”吏又曰:“弘義身幸未壞,速令李簡托其身,以盡余年。”遂被兩吏扶持卻出城,但行甚速,漸無所知。忽若夢覺,見人環泣及屋宇都不復認。亮訪其親族名氏及平生細事,無不知也。先解竹作,因自入房索刀具,破蔑成器。語音舉止,信李簡也,竟不返汝陽。
時成式三從叔父攝蔡州司戸,親驗其事。
昔扁鵲易魯公扈、趙齊嬰之心,及寤,互返其室,二室相諮。以是稽之,非寓言矣。

死んで一晩して生き返った。見かけはそのままだったが、中身は隣村の別人になりきっていた。当人に言わせると、間違って冥府に送られたので返されることになったが、すでにもとの体躯は使えなくなっていた。そこに、たまたま、冥界にやってきたばかりの男がいたので、その亡骸に戻されたというのである。
性格が異なる2名に手術を行った名医が、心を入れ替えてしまった話があるが、それを彷彿させる事件だと見たようだ。成式千銭としては、これが本当だとしたら、寓話ではすまんゾ、と。

(引用) SAT大蔵経テキストデータベース@東京大学大学院人文社会系研究科 次世代人文学開発センター
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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