表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.14 ■■■ ゴチャゴチャの河伯「河伯」とは黄河の神とされている。ヒンドゥー教に於ける穢れ落としの「恒河/ガンガー」女神に対応した、中華帝国の神であるぞヨ、ということかと思いがちだが、全く異なる。 その辺りを探ってみたい。 以下の詩が、黄河(九条支流)の河川祭祀で詠われた歌とされているようだ。 と言っても、魚鱗とか龍が詠われているから、そう思うだけで、厳かなものとは言い難い。逢引讃歌としか思えない内容だからだ。もっとも、祭祀の賦とは、そういうものかも知れぬが。・・・ 「河伯」 與女遊兮九河,衝風起兮波。 乘水車兮荷蓋,駕兩龍兮驂螭。 登崑崙兮四望,心飛揚兮浩蕩。 日將暮兮悵忘歸,惟極浦兮寤懷。 魚鱗屋兮龍堂,紫貝闕兮朱宮。 靈何為兮水中,乘白黿兮逐文魚。 與女遊兮河之渚,流澌紛兮將來下。 子交手兮東行,送美人兮南浦。 波滔滔兮來迎,魚鱗鱗兮媵予。 [屈原:「楚辭」卷第二 九歌] 直接的にはさっぱり役に立たない才を愛する、多彩なインテリが集う成式のサロンでは、この詩のモチーフについて様々な意見が出たに違いない。 さすれば、成式先生はそこらを是非とも突いてみたくなったろう。と言っても、難しい話ではなく、河伯譚は、矢鱈とゴチャゴチャしているんですゾ、と指摘するだけ。 要するに、何故こうなるのか、考えてみたことあるかネ、と投げかけてみようとの企画。 それだけで、サロンの皆様方ならワッワッハだからだ。 どんな文章に仕上げたかといえば、こんな感じ。 【1-0】"河伯"・・・姿はヒト。2頭の龍の上に乗っている。 【2】"冰夷"・・・何故か、"河伯"と同じとされている。 【3】"馮夷"・・・〃 【4】"−"・・・頭はヒトだが身体は魚。 まだまだ、沢山あるゾ。 河伯,人面,乘兩龍。 一曰冰夷, 一曰馮夷。 又曰人面魚身。 《金匱》言名馮循。 《河圖》言姓呂名夷, 《穆天子傳》言無夷, 《淮南子》言馮遲。 《聖賢記》言:“服八石,得水仙。” 《抱樸子》曰:“八月上庚日,溺河。” 甲子神名弓隆, 欲入水内,呼之, 河伯九千導引,入水不溺。 [卷十四 諾臯記上] 真面目に読めば、オイ、オイ、ソリャ本当かとなろう。河で溺れる話があるというのだから。 しかし、道教の特徴を知っていれば驚くことはない。「河伯」とは、官僚組織におけるポジション名。上は、誰を指名しようと勝手気まま。 だが、どうしても「河伯」になりたければ、できない訳ではない。道士ご提供の"八石"ブランドの仙薬を服用すれば、水官になれるのだ。そこまでするメリットはなんだかわからぬが。 そして、当然ながら、雨を降らす、水神である。 ・・・中原は内陸の乾燥がちの気候帯に属すので、本流は水が流れていても、灌漑に用いる支流の 水量が減り、降雨祈願が必要になることが少なくなかったということか。河で斎戒沐浴の上、祭殿で舞踏を奉納し、牛を捧げて祈祷といったところか。 【1-1】"河伯" 火を見ると雨を降らせる性格らしい。 そこで、旱魃期に降雨祈願で崖山を焼く。 崖山の神が河伯女を娶っているから。 太原郡東有崖山,天旱,土人常燒此山以求雨。 俗傳崖山神娶河伯女,故河伯見火,必降雨救之。 今山上多生水草。 [卷十四 諾臯記上] 雲がかかってきたところで、大量に煙を出す手法は悪くない。有効率が高かったので、因果律を創ったのであろう。 【1-2】"河泊" 日本と大陸の河川感覚は全く異なっているからわかりにくいが、それぞれから見れば海と滝に映ると考えたらよいかも。中華帝国でも、時として大洪水は発生するものの、中流域ではそれほど恐ろしいものではなかろう。(デルタはそうはいかぬだろうが。) 水神の力を感じさせるのはもっぱら急流域。岩に叩きつけられたり、底に引きづりこまれ、多くの人が死んでいるからだ。そんな場所には、廟[=宇]とか、お社を作ってお祀りするのは自然な流れ。その神の名前は場所毎に違うと思われるが、一般名としては"河伯"しかないのだろう。 と言うか、そのような荒ブル神を、官僚制ヒエラルキーの水官たる"河伯"と見なしたかったということ。それなしには、落ち着かないのであろう。 河泊下材,中宿縣[広東]山下有神宇,溱水至此沸騰鼓怒,槎木泛至此淪沒,竟無出者,世人以為河泊下材。 [卷十 物異] & [續集卷十 支植下] 【1-3】"河伯"と"濟伯" 「華夏四瀆」[黄河,済水,淮水,江水]のうちの2つ。今は、済南市で黄河と済水が合流する。つまり、現在の黄河下流とは古代の済水河道なのである。 この辺りは、中原辺りとは違って、洪水の恐ろしさに直面する。 そんな地域では、河伯の墓が果樹の林(落葉樹自然林)の下にあるとの伝説があるという。・・・ 指示通りに葉を水に投げ入れると、案内人が現れて、河底の宏麗な宮殿に導かれ、水難避けの刀を頂戴したというのだ。主は、水晶の椅子に座っている翁であるから、仙人も兼ねているのだろうか。 その後の大洪水の際には、座った椅子を亀が支えてくれたので、どうということもなかったという。 政治の話もあるので、焦点は今一歩はっきりしないが、河伯にハクをつけるためか。 平原縣[山東]西十裏,舊有杜林。 南燕太上末,有邵敬伯者,家於長白山。有人寄敬伯一函書,言:“我呉江使也,令吾通問於濟伯。今須過長白,幸君為通之。”仍教敬伯,但於杜林中取樹葉,投之於水,當有人出。敬伯從之,果見人引出。敬伯懼水,其人令敬伯閉目,似入水中,豁然宮殿宏麗。見一翁,年可八九十,坐水精床,發函開書曰:“裕興超滅。”侍衛者皆圓眼,具甲胄。敬伯辭出,以一刀子贈敬伯曰:“好去,但持此刀,當無水厄矣。”敬伯出,還至杜林中,而衣裳初無沾濕。 果其年宋武帝滅燕。敬伯三年居兩河間, 夜中忽大水,舉村俱沒, 唯敬伯坐一榻床,至曉著履,敬伯下看之,床乃是一大黿(一曰龜)也。敬伯死,刀子亦失。 世傳杜林下有河伯冢。 [卷十四 諾臯記上] 吉林〜朝鮮半島両江道[豆満江+鴨緑江]にある火山である長白山[白頭山]の人とされているのが意味深。地理的にはかなり遠いが、おそらく、熱烈な河川神信仰の地ということだろう。 【1-4】"河伯" 他愛のない話。・・・ 結氷期、船が黄河で転覆。詔書紛失。 責任者は、発見できなければ、関係者死罪、と。 黄河の神への祭祀要望が高まったので、挙行とあいなり、天子の詔書を守らずに沈めてしまうなど、実にけしからんと詰問。酒を氷に注ぐと、直ぐに反応あり。見付けることができたのである。 李彦佐在滄景,太和九年,有詔詔浮陽兵北渡黄河。時冬十二月,至濟南郡,使撃冰延舟,冰觸舟,舟覆詔失。 李公驚懼,不寢食六日,鬢發暴白,至貌侵膚削,從事亦訝其儀形也。乃令津吏:“不得詔盡死。”吏懼,且請公一祝,沉浮於河,吏憑公誠明,以死索之。 李公乃令具爵酒言祝,傳語詰河伯,其旨曰: “明天子在上,川瀆山嶽祝史鹹秩。 予境之内,祀未嘗匱, 爾河伯洎鱗之長, 當衛天子詔,何返溺之? 予或不獲,予齋告於天,天將謫爾。” 吏酹冰,辭已,忽有聲如震,河冰中斷,可三十丈。吏知李公精誠已達,乃沉鉤索之,一釣而出,封角如舊,唯篆印微濕耳。李公所至,令務嚴簡,推誠於物,著於官下。如河水色渾,駛流大木與纖芥頃而千裏矣,安有舟覆六日,一酹而堅冰䧟,一釣而沉詔獲,得非精誠之至乎! [卷九 事感] これぞ"精誠之至"との感想が付記してある。 もっともなご意見。多少の脚色は差っ引いて、これに類する話はよく耳にするからだ。紛失して、もう駄目だと諦めざるを得なくなったその時、祈ったら、どういう訳か見つかったという単純なストーリーにすぎない。事実と言えば、その通り。ただ、それをことされを言いたがる人と、沈黙する人がいるにすぎない。前者は、もう後がなくなった時の辛さをシミジミと語り、信仰のお蔭で助かったことを感謝感激の面持ちで皆に伝える。精誠な人の心底から生まれた言葉だと、それが人々のシンパシーをかきたてるもの。本当によかったネと。 おそらく、成式が引用したかったのは、以下の文。もちろん、地誌や志怪小説の類ではない。従って、これを読めば、上記すべては、その露払い役の文章と化してしまう。 しかし、そんなことをしないのが、成式流。あくまでも、読者の皆様方の頭で考えて欲しい、との姿勢を貫くのである。・・・ 魏文侯時,西門豹為鄴令。豹往到鄴,會長老,問之民所疾苦。長老曰:「苦為河伯娶婦,以故貧。」豹問其故,對曰:「鄴三老、廷掾常歲賦斂百姓,收取其錢得數百萬,用其二三十萬為河伯娶婦,與祝巫共分其餘錢持歸。當其時,巫行視小家女好者,云是當為河伯婦,即娉取。洗沐之,為治新上Y縠衣,闍鞘V戒;為治齋宮河上,張緹絳帷,女居其中。為具牛酒飯食,行十餘日。共粉飾之,如嫁女床席,令女居其上,浮之河中。始浮,行數十里乃沒。其人家有好女者,恐大巫祝為河伯取之,以故多持女遠逃亡。以故城中益空無人,又困貧,所從來久遠矣。民人俗語曰『即不為河伯娶婦,水來漂沒,溺其人民』云。」西門豹曰:「至為河伯娶婦時,願三老、巫祝、父老送女河上,幸來告語之,吾亦往送女。」皆曰:「諾。」 至其時,西門豹往會之河上。三老、官屬、豪長者、裏父老皆會,以人民往觀之者三二千人。其巫,老女子也,已年七十。從弟子女十人所,皆衣恕d衣,立大巫后。西門豹曰:「呼河伯婦來,視其好醜。」即將女出帷中,來至前。豹視之,顧謂三老、巫祝、父老曰:「是女子不好,煩大巫嫗為入報河伯,得更求好女,后日送之。」即使吏卒共抱大巫嫗投之河中。有頃,曰:「巫嫗何久也?弟子趣之!」復以弟子一人投河中。有頃,曰:「弟子何久也?復使一人趣之!」復投一弟子河中。凡投三弟子。西門豹曰:「巫嫗弟子是女子也,不能白事,煩三老為入白之。」復投三老河中。西門豹簪筆磬折,向河立待良久。長老、吏傍觀者皆驚恐。西門豹顧曰:「巫嫗、三老不來還,柰之何?」欲復使廷掾與豪長者一人入趣之。皆叩頭,叩頭且破,額血流地,色如死灰。西門豹曰:「諾,且留待之須臾。」須臾,豹曰:「廷掾起矣。状河伯留客之久,若皆罷去歸矣。」鄴吏民大驚恐,從是以後,不敢復言為河伯娶婦。 [「史記」卷一二六 滑稽列傳 第六十六 西門豹] [Wikiの訳文をママで引用] 西門豹はまず地元の農民達を集め、どんな苦難があるか聞いた。当時鄴では地元に伝わる迷信で、毎年河に住む神(河伯)に差し出すため、若い女性と多大な財産を巫女や三老と言われる長老や儀式を管理していた役人に差し出し、それらを河に沈めるという人身御供の儀式がしきたりとなっていた。これにより集められた金銭は膨大なもので、民衆の生活が困窮するほどであったが、儀式に使われるのは一部で、残りは巫女達が山分けしていた。また年頃の娘がいる家は逃げ出し、その田畑は荒れ放題となっていた。これを聞いた西門豹は「横取りされているのが解っているならば、止めればよいではないか」といったが、農民たちは「そんなことをしたら河の神のお怒りを買います」と恐れた。西門豹は「なるほど、わかった」と答え、農民達は帰っていった。 しかし、実は西門豹は巫女・三老・役人が迷信に付け込み肥え太り、農民達が困窮したので土地が枯れたと考えた。更に灌漑が必要だが、迷信ある限り河に手を付けられないと判断し、まずはこの一掃に着手することにしたのである。 儀式が行われる日、河辺には巫女達と多数の見物人がいた。そこへ西門豹は見学したいと護衛の兵士を伴って参加した。そして生贄の女性を見せられるや、「これでは器量が悪すぎる。『もっと良い娘を連れて行きますので待ってください』と河の神に伝えられよ」と言い、「お怒りを買わぬためにも、使者には最も河の神と親しい者がよかろう」と巫女の老婆を河に沈めた。しばらくして「巫女が帰ってこない。様子を見てこられよ」と言い、弟子の女性たちを河に沈めた。更に「弟子達も帰ってこない。女では河の神への願いが難航しているようなので、次いで河の神に貢献している三老に手助けをお願いしよう」と言い三老を河に沈めた。あまりのことに誰もが唖然としていたが、一人西門豹だけは恭しく、河の神がそこにいるかのようであった。更にしばらくして「おかしい、三老も帰ってこない。更に次いでとなると、多額の金銭を集めた役人であろうか」と役人達を沈めようとしたが、役人達は「その任は何卒お許しください」と平伏して詫びた。その顔色は血の気が引きすぎて土のような色で、額を地面に打ちすぎて流血するほどであった。西門豹はしばらく待った後、「どうやら河の神は客をもてなして帰さないようだ。皆も帰るがよい。もし誰かが儀式をやりたいならば、私に話すがよい」と言った。役人も民衆も度肝を抜かれ、これ以降生贄の儀式は行われなくなった。 間違えてはいけぬが、成式、これに拍手喝采している訳ではない。伝えたいのは、この西門豹のやり方は大局的には何も生み出さなかったという点。中央官僚にとっては、キックバックが多い方が嬉しいのだから、生贄の儀式があろうとなかろうとどうでもよい話。西門豹もポジションを確保したいなら、大重税で中央官僚へのバラマキを始めるしかないのである。 そもそも、「河伯」伝説は錯綜しているのが一大特徴なのである。 天帝は夷系の羿を降下させ、夏の民の過誤を改革させようとした。ところが、やったことといえば、河伯を射落とすこと。 雒嬪を娶りたかったからなのであろう。中原の勢力争いは熾烈なのだ。河神というより、部族の親玉的雰囲気濃厚。 冒頭の詩の"恋"とは、黄河中流域の覇権争いか。・・・ 帝降夷羿 革孽夏民 胡射夫河伯 而妻彼雒嬪 馮珧利決 封豨是射 何獻蒸肉之膏 而后帝不若 浞娶純狐 眩妻爰謀 何羿之射革 而交呑揆之 阻窮西征 岩何越焉 化為黄熊 巫何活焉 [屈原:「楚辭」卷第三 天問第三] 怪奇表現で知られる書になると、河神感覚皆無では。ガンジスでもないのに、浅学の身には、なにして河と牛が関係してくるのかさっぱりわからぬ。 有困民國,勾姓,黍食。 有人曰王亥,兩手操鳥,方食其頭。 王亥托于有易、河伯僕牛。 有易殺王亥,取僕牛。河伯念有易, 有易潛出,為國于獸,方食之,名曰搖民。 帝舜生戲,戲生搖民。 [「山海経」海經 卷九 大荒東經] 王亥は両手で鳥を操り、頭を食す。有易国にやっかいになる。ところが、殺されてしまう。 そこに、どういう訳か河伯が絡んでくる。これは、どう考えても、黄河流域の部族長であり、軍事同盟の組換え話のようなもの。 男女の恋愛が絡み合う話であっても、その本質は、勢力争いということ。河の神はそのダシに使われているようにも映る。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |