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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.16 ■■■

現代的には異様な仏像

「酉陽雑俎」を読むのは骨である。
いや、色々な情報を得たくなるから、筋肉か。
あるいは、「気付き」が生まれないとさっぱり面白くないから、脳味噌と言うべきかも。
と言っても、一種の娯楽。疲れれば、疲れるほど、楽しみが深まる読み物。もっとも、無駄に時間を費やすことが体質に合わない人にとっては無縁な喜びではあるが。

但し、創造力を鍛える習慣がついていないと、「気付き」が無いので、恐ろしくつまらぬ本でしかない。有名な本らしいから力を入れて読もうと決意したところで、下らぬ本との印象をぬぐうことはできまい。およそ時間の無駄だったとの感想しか生まれまい。・・・
なにせ、体裁は、馬鹿馬鹿しい奇譚を、どこからか拾ってきて、簡素な表現にしてから、いい加減にバラバラと並べただけ。網羅的に集めた志怪モノや、博物学的記述本とは違っていかにも中途半端。しかも、寺の巡礼本を合本化したりと、訳のわからぬ編纂方針だから、気に喰わぬ本だとなろう。
その例外は妖怪フェチ。他書未収録モノありというだけにすぎぬ。

う〜む。
頭脳を使うといっても、何を意味しているのかわかりにくいか。
一例をあげてみよう。それほど面白い訳ではないが、わかり易そうなので・・・

成都寶相寺偏院小殿中有菩提像,
其塵不集如新塑者。
相傳此像初造時,
  匠人依明堂先具五藏,
  次四肢百節。
將百余年,纖塵不凝焉。
 [卷六 藝絶]

この文をどう考えようと、読者の勝手。
百年たっても塵もつかず、新品のような仏像があるとの奇譚と見てもよい。
"藝絶"篇に収載しているから、そんな機能が発揮できる仏像を造った匠の技の凄さを指摘していると考えることもできよう。
あるいは、臓器が入っている仏像コンセプトは先進的と感じるかも。
読者のセンスによって、大きく違ってくる訳だ。

今村与志雄がつけた注は3つ。ポイントは以下の通り。
[1] 寶相寺@成都は不詳。
[2] 菩提像は、観音菩薩像であろう。
[3] 明堂は、ここでは九品。
   頭から像を作り始めたと思われる。

素晴らしい注。成式流だから。
つまり、訓読み文用の、難解な字句の説明を目指してはいないのである。これ以上余計なことは言わぬが、この程度の注を読めば自ずと感ずるところアリの筈といった姿勢。注の文章の行間を読めと言っているようなもの。

さて、話に戻ろう。

成都にある寶相寺の本院(正面にある施設)の傍らにある(偏院)小殿から始まっている。
なんと、そんな寺がないと。
マ、当時の成都には仏教寺院は数百あったかも知れず、名前が残っていなくてもおかしくないと言えなくもない。しかし、有名な仏像がある寺の名前位はどこかに記載されていそうなもの。
考えられるのは、名称変更か。

実際、僖宗が黄巣の乱で避難してきたのは大石寺だが、滞在中に宝光寺と改名されている訳で。現在は、大伽藍の禅寺として観光地になっているようだ。
もともと、この地は土着信仰が強いところ。換言すれば、道教的土壌の地域となる。そこに仏教が一挙に押し寄せ、地域信仰の主流を担うまでに。そんな両者の角逐が熾烈化していたのが成式の頃。
現在でも、成都観光と言えば、青羊宮、武侯祠、張道陵といった道教関連の地がウリの筈だし。

そんな背景を理解しておく必要があろう。

その、本堂脇の小さな社殿に祀られているのは菩薩像。
普通なら、そこは閻魔大王ではないかと思うのだが。そうでないなら、やはり観音像。
しかし、内臓があるということは、修行中のヒトを意味していそう。そうなると、これは、修行中の釈尊の可能性もあるかナ、となる。
そう考えた途端に、ハッと気付く。・・・
嵯峨釈迦堂(清涼寺)所蔵の釈迦像を。
「三国仏像」伝承話の像。古代インドの優填王が釈迦の在世中に造らせた像の複製品[985年]と判明したのは現代になってから。像に北宋の彫師の署名が見つかったからである。
それだけではなく、胎内に、由来書、経文、五臓(肺,心臓,肝臓,腎臓,脾臓)が入っていたのである。

しかし、この現物を成式が拝観した訳ではない。
と言うか、それとは似ても似つかぬ像。
なんと、「明堂」の位置がわかるような頭だと言うのだから。
観音菩薩の変化は自由自在とはいえ、頭の表面に「明堂」が記載されているとしたら、かなり奇怪。
鍼灸医院に置いてある、経絡記載の大型人体像のようなものなのだから。

だが、考えてみれば、そうなって当然かも。
成都とは、中医の考え方をも大胆に取り込んで呪術化した道教のメッカなのだから。道仏習合像なのかも。
コレ、無茶な推定とも言えない。成都は中医の一大拠点でもあったから。
それがわかったのは、2012年のことである。
成都老官山の漢墓から、900点を越える中医扁鵲学派の経典書籍竹簡が出土したからだ。
それには、經脈絡穴が表示されていた。五臟六腑、四肢百骸=四體百節は当たり前の概念だったことも判明。言うまでもないが、經絡を、体の機能としての概念に落としたのが「明堂」に他ならない。
仏教は、道教に対抗し、医学的な「ご利益」でも、人々の信頼を勝ち取っていくべく努力していたことになろう。

ついでながら、この漢墓からは人体像も出土している。それは、漆技法で作られていた。表面は滑らかだったようだ。と言うことは、埃は、団扇で仰げばすぐに落ちるということか。
工芸的には素晴らしいが、はたして信仰対象の観点ではどうなのだろう。
マ、「酉陽雑俎」は、そんなことを感じさせる記載になっている訳だ。

結局のところ、その手の仏像も、所蔵していたお寺も、現実世界から消滅してしまった。思い出さえも、どこにも残っていないのである。
「酉陽雑俎」だけがソレを伝えている訳で、成式がつけた本の題名はまさにズバリ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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