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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.19 ■■■

花の精霊達と親しむの図

収録されている奇譚は妖怪話が多いが、妖艶さ抜きで情緒的美しさだけを感じさせる話もしっかりと選んでいる。
言葉遊びもあり、ここらは成式好みかも。

ざっと見ていこう。[續集卷三 支諾下]・・・

【1】 天寶中,處士崔玄微洛東有宅,耽道,餌術及茯苓三十載。
因藥盡,領童仆輩入嵩山采芝,一年方回,宅中無人,蒿滿院。

天宝年間[742-755年]の話。
洛陽東側に邸宅を構えていた処士、崔玄微は道術に耽溺状態。
食事療法に凝っており、茯苓
[ブクリョウ]を30年に渡って服用。
薬が無くなったので、家の者どもを引き連れ、嵩山に入り、1年かけて方々を回って茸採集。
家に帰ってみると無人状態。
お屋敷の中庭はヨモギやアカザのような雑草で草茫々。

嵩山[河南登封]は洛陽に近く、五岳の中岳。武則天は神岳と呼ばせた。
貴族の若者が多かったのだろうが、このような生活は珍しいものではなかったようだ。

【2】 時春季夜間,風清月朗,不睡,獨處一院,家人無故輒不到。
三更後,有一青衣雲:
 “君在院中也,今欲與一兩女伴,過至上東門表姨處,暫借此歇,可乎?”
玄微許之。
須臾,乃有十余人,青衣引入。
有刻ヨ者前曰:“某姓楊氏。”
指一人曰:“李氏”。
又一人曰:“陶氏。”
又指一緋衣小女曰:“姓石,名阿措。”
各有侍女輩。
玄微相見畢,乃坐於月下。

時は春の夜。風清月朗の素晴らしき雰囲気。
玄微さっぱり眠れず。
中庭で一人たたずむのみ。
こんな夜に、用などある筈もなく、家人は誰一人として出てこない。
そのうち深夜になってしまったが、青色の衣を身に着けた下女が出てきた。
 「ご主人様は、お庭におられたのですネ。
  今、一人か二人の女性を伴って、
  東門近くの姨のところに行くところです。
  しばらくの間、この場所をお借りしてよろしいでしょうか?」と。
玄微許す。
暫くすると、青衣の下女が十数人を引き連れて来た。
そのなかから、緑色の裳をまとった女が前に出て、
 「わたくしめの姓は楊です。」と挨拶。
一人を指さし、
 「あちらの姓は李です。」と。
もう一人については、
 「陶です。」と。
さらに、緋色の衣の小さな女性を指し、
 「姓は石で、名は阿措。」と。
皆、侍女をかかえていた。
玄微は、それぞれと挨拶し終え、月下に座した。


【3】 問行出之由,對曰:
 “欲到封十八姨。數日雲欲來相看不得,今夕衆往看之。”
坐未定,門外報封家姨來也,坐皆驚喜出迎。
楊氏雲:“主人甚賢,只此從容不惡,諸處亦未勝於此也。”
玄微又出見封氏,
言詞,有林下風氣。
遂揖入坐,色皆殊絶,滿座芬芳,馥馥襲人。

すぐに、玄微は、どうして行かねばならぬのか尋ねた。
その答えは、
 「封十八姨に会いに行こうと思ってまして。
  日を数え、来訪して、会いたいと言っていたのですが、
  それができなかったので、今晩、皆で会いに行くのです。」と。
皆が座に付かないうち、門外から、封家の姨がいらっしゃったとの知らせ。
皆、大いに驚き、喜んでお出迎え。
楊さんは、
 「ココのご主人は甚だ賢きお方。
  なんといっても、ココにいると落ち着くし、悪くないワヨ。
  ココに勝るところなど無いのでは。」と。
玄微、再び立ち上がり、封十八姨に挨拶に出る。
封の言葉は冷然たるもの。林下の雰囲気を感じさせるものがあった。
正式な礼で挨拶を終えてから座した。
皆、滅多に見かけない程のあでやかさ。満座には芳香が立ち込め、濃厚な香りが襲った。

ここまでくると、現代感覚では、もう立派な小説の出だし。
成式も書いてみたくなったのであろう。この手のモチーフは、簡素な文章で読者に想像してもらう訳にはいかないということもあろう。

【4】 命酒,各歌以送之,玄微誌其一二焉。
有紅裳人與白衣送酒,歌曰:
 “皎潔玉顏勝白雪,況乃青年對芳月。
  沈吟不敢怨春風,自嘆容華暗消歇。”
又白衣人送酒,歌曰:
 “絳衣披拂露盈盈,淡染脂一輕。
  自恨紅顏留不住,莫怨春風道薄情。”

酒を持ってくるよう命じ、各自が歌を唄いながら、その酒を送った。
玄微は、そのうちの1、2の歌を記しておいた。・・・
  白くして清らかなら、玉顏は白雪に勝る。
  若くしてうるおいあれば、芳月に対抗できて当然。
  静かに口ずさめば、敢えて春風を恨むことなし。
  自ら嘆くのは、花の美しき顔がくすみ消えて行くことのみ。
続いて、白き衣の方が酒を送って唄った歌は、
  あかき衣、露を吹き払って、盈盈たり。
  淡く染めた脂粉の一輪の軽きこと。
  自ら嘆くのは、美麗紅潤な容顔を保てぬことのみ。
  春風の薄情さを恨むこと無し。

読者はここで、宴の意味かわかる訳である。
起承転結型ストーリーで行くなら、ここから「転」に突入。

【5】 至十八姨持盞,情頗輕佻,翻酒汚阿措衣,
阿措作色曰:“諸人即奉求,余不奉畏也。”
拂衣而起。
十八姨曰:“小女弄酒。”
皆起至門外別,十八姨南去,諸人西入苑中而別。
玄微亦不至異。

封十八姨は杯を手にしていたが、頗る軽薄な体質らしく、酒をこぼしてしまい、石阿措の衣を汚してしまった。
阿措、色をなし、
 「皆さん直ぐに封に奉ずるが、私は奉じないし、
  そんなこと恐れない。」と。
そう言い放って、立ち上がって衣を払った。
これに対し、封十八姨は、
 「この小娘。酒をもて弄ぶんじゃないヨ。」と。
皆立ち上がり、門外まで足を運んで、封をお見送り。
そして、十八姨は南へと去っていった。続いて、見送った人達も西へ向かい、苑の中に入って行ってお別れとなった。
玄微も、コレを異怪な事とは感じなかった。

奇怪もなにも、ここらで読者にはほぼストーリーがわかってしまう。

【6】 明夜又來,欲往十八姨處。
阿措怒曰:“何用更去封嫗舍,有事只求處士,不知可乎?”
諸女皆曰:“可。”
阿措來言曰:
  “諸女伴皆住苑中,毎多被惡風所撓,居止不安,常求十八姨相庇。
   昨阿措不能依回,應難取力。處士不阻見庇,亦有微報耳。”
玄微曰:“某有何力得及諸女?”
阿措曰:
  “但求處士毎日與作一朱幡,上圖日月五星之文,於苑東立之,則免難矣。
   今已過,但請至此月二十一日平旦,微有東風,即立之,庶可免也。”
玄微許之,乃齊聲謝曰:“不敢忘コ。”
各拜而去。玄微於月中隨而送之,逾苑墻乃入苑中,各失所在。

翌日の夜になったが、再び、皆集まって来た。そして、十八姨のところへ行こうと。
阿措は怒った。
 「今更、封婆さんの家に行くなんて、どういうこと。
  ただの頼み事なら、処士の崔さんに頼めば。
  どうなのヨ。できないの?」と。
集まった皆、それに対して、
 「できます。」と。
そこで、阿措、玄微のところにやって来て、
 「一緒にいる女の人達は、皆、苑内に住んでいるのです。
  毎年、風による被害が多くて、撓んでいます。
  そんなことで、住んで居ても、安んずることができず、
  いつも十八姨に頼んで、庇護を受けてきました。
  昨晩、私がしたことで、
  十八姨に依ることができなくなってしまいました。
  おかげで、その力を借りるのは難しい状態です。
  処士の崔さん、敢えて気にせず、
  私達を庇護して頂く訳にはいきませんでしょうか。
  そうして頂けるなら、
  些少ですが、お礼をさせて頂くつもりです。」と。
玄微尋ねる。
 「女性の皆様方から庇護して欲しいと言われても、
  それがしに、どんな力があると言うのですか。」と。
阿措、
 「処士の方にしてもらいたいのは、
  単に、毎年元旦に1本の朱色の幡を作って頂くこと。
  その上の方に日月五星の文を描いて、
  苑の東に立てれば私どもは難を逃れることができるのです。
  今年はその時を過ぎてしまいましたが、
  今月の21日夜明けに、東からの微風がございましたら、
  即刻、立てて頂ければ、難を逃れることができるのです。
  それだけをお願いしたいのですが。」と、
玄微が許諾すると、それぞれ口々に、
 「この"御徳"を忘れることはありません。」と。
そして、一人一人謝意を示して、去っていった。
月が照らす中、玄微は付き添って見送ったが、
苑の垣根を越えて苑内に入っていったところで、一人残らず見失ってしまった。

【7】 乃依其言,至此日立幡。
是日東風振地,自洛南折樹飛沙,而苑中繁花不動。
玄微乃悟諸女曰姓楊、姓李及顏色衣服之異,皆衆花之精也。
緋衣名阿措,即安石榴也。
封十八姨,乃風神也。

依って、玄微は約束通りに、その日になって幡を立てた。
この日の東風は地を震わせるほどで、洛陽の南から吹き付け樹木の枝は折れ、小石が飛ぶほど。
しかし、苑の中に茂る花に影響はなかった。
それを見て、玄微は悟った。
楊という姓、李という姓、そして顔色や衣服の違いを考えれば、集まった女性達とは花の精霊だったのだナ、と。
緋色の衣を身に纏っていた阿措という名前の女性は、安石榴、つまりザクロの精霊に他ならない訳だ。
そして、封十八姨とは風の神。

楊はそのままズバリの柳系の縁起の良い樹木だが、同時代の楊貴妃[719-756年]を彷彿させるし、陶と李と揃えば、桃李である。
この辺りの記載はいかにも民俗色芬々。成式がこの話を書き残したことで、以後もこの精霊譚が伝承されることになったと言えなくもない。・・・
  「浣溪沙 其一十五」 張孝祥[1132-1169年]
 婦灘頭十八姨 顛狂無ョ占佳期
 喚它滕六把春欺 愁鶯鶯並燕燕
 惶柳柳與梅梅 東君獨自落便宜

尚、今村与志雄が指摘しているように、17世紀の話本集に収録されている「灌園叟晩逢仙女」[抱甕老人:「今古奇觀」 第八卷]には、この話が取り入れられている。

このような話は確かに作られたものだが、それはある意味、社会が生み出したものとも言えよう。
現代に残る“花朝節”[「春秋 陶朱公書」の"二月十二日為百花生日。無雨,百花熟。"]は、古代から連綿と繋がる風習であることがわかる。当然ながら、その頃は、皆が、春一番の突風が吹いて花が散らぬようにと祈っていたのであろう。

【8】 後數夜,楊氏輩復至愧謝,各裹桃李花數鬥,勸崔生:
 “服之,可延年卻老。願長如此住護衛,某等亦可至長生。”
至元和初,玄微猶在,可稱年三十許人。

その後、数夜してから、楊氏一行が再びやってきて、恥じるようにしてお礼を述べた。それぞれが桃李の花を包んで持って来て、崔玄微にそれをのむように勧めた。
 「これを服用すると、寿命が延び、老いも防ぐことができます。
  願わくは、
  長きに渡って、護衛役のようにここに住み続けて頂くこと。
  そうすれば、私達も又長生に至ることができますし。」と。
元和年間
[806-820年]の初頭に至っても、玄微はまだ生きていた。
見たところ、年齢は30と称してもよさそうなほど元気だったとか。

花の精気を頂戴できると長生できるという凡庸なストーリーでしかない、と見なしてしまえば、身も蓋もないが、「酉陽雑俎」収録話のなかでは長文であり、美しく仕上げようと考えたのだと思われる。
大げさな祭祀や宗教勢力による呪術を避け、個人信仰的に突風よ吹かないでおくれと祈りながら、ひっそりと春の花の美しさを愛でる文化を捨てないで欲しいものということで、力が入ったのでは。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 4」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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