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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.21 ■■■

堕胎の説話

"小説"はまともな書とみなされていないのに、あえて小説を書くと宣言した成式だが、非小説的にもとれる例外的な記述が無い訳でもない。
比喩を用いた仏教説話風に仕上げてあるのである。
但し、それは自明な内容とは言いかねる。題材は夜叉による人さらいだし、いかにも怪奇伝聞話に映るように仕上げてあるからだ。そういう点では手が込んでいる創作と言えないこともない。 [卷十四 諾記上]

博士丘濡説,
汝州
[河南]旁縣,五十年前,村人失其女。數忽自歸,言初被物寐中牽去,倏止一處,及明,乃在古塔中。
見美丈夫,謂曰:
 “我天人,分合得汝為妻。自有年限,勿生疑懼。”
且戒其不窺外也。日兩返,下取食,有時炙餌猶熱。

博士の丘濡がしてくれた話。
汝州の近傍の県での、50年前のこと。ある村人が突如娘を失った。
ところが、数年後、忽然と帰ってきたという。
その娘が言うには、一番初めは就寝中のことで、何者かに引き連れられ、何処かに留め置かれた。夜が明けるとそこは、古い塔の内部。
見ると、美男子がいて、話しかけてきた。
 「私は天人。分があり、あなたを妻にすることに。
  でも、その年数には限りがあり、懼れ疑うことなかれ。」と。
但し、外を覗かないようにと戒めた。
その上で、日に二度塔に戻り、食べ物を取ってきた。しばしば、炙った料理だったが、それはまだ熱かった。


どうせ怪奇譚だという思い込みがあると、ギョとするかも知れぬが、「天人」という箇所だけ書き換えれば、違う話になる。娘を一目見て愛してしまい、恋心に火がついてしまった王子様がついに決断しただけのこと。身分上の壁があるからといって、恋をあきらめることができなかったに過ぎない。
この辺りの問題については優しさを感じさせる記述になっている。

經年,女伺其去,竊窺之,見其騰空如飛,火發藍膚,磔磔耳如驢焉。至地乃復人矣,驚怖汗洽。
其物返,覺曰:
 “爾固窺我,我實野叉,與爾有縁,終不害爾。”
女素惠,謝曰:
 “我既為君妻,豈有惡乎?君既靈異,何不居人間,使我時見父母乎?”
其物言:
 “我輩罪業,或與人雜處,則疫癘作。今形跡已露,任公蹤觀,不久當爾歸也。”

年月を経て、娘は男が去った頃合いを伺い、外を覗き見してみた。
すると、その男は飛ぶが如くに空を上った。火の様な髪で藍色の肌だった。磔磔としたその耳は驢馬のよう。ところが、大地に着くと、人に復帰。驚愕すると同時に、恐怖に襲われて冷や汗だくだく。
その物が返ってきて、娘が覗き見したことに気付いてしまった。
 「あなたは、わしを覗いてしまったな。
  わしはナ、実は野叉なのだ。
  でも、あなたには縁が有る、
  従って、終始、絶対に害することはない。」と。
娘はもともと知恵があったので、すぐに謝った。
 「わたくしは、すでに、あなた様の妻ですから、
  あなたのことを悪く思う訳がありませんわ。
  あなた様には霊異の力がおありだし、
  どうして、人間の住むところにいらっしゃらないの。
  時々でも、
  わたくしに父母と会う機会を下さってもよさそうなものに。」と。
すると、その物は言った。
 「わしは、罪業ある輩。
  人間と雑居したりすると、疫病に襲われてしまう。
  今、わしの形跡が露出してしまったから、
  あなたに、そのまま観るに任せているだけ。
  それに、遠からず、あなたは帰還することになる。」と。

其塔去人居止甚近,女常下視,其物在空中不能化形,至地方與人雜。或有白衣塵中者,其物斂手側避。或見枕其頭唾其面者,行人悉若不見。
及歸,女問之:
 “向見君街中有敬之者,有戲狎之者,何也?”
物笑曰:
 “世有吃牛肉者,予得而欺之。或遇忠直孝養,釋道守戒律、法録者,吾誤犯之,當為天戮。”

実際、その塔は、人間の住居と甚だ近い処にあった。そこで娘は常に下に降りて視ることができた。
その物は空中ではその形を変えることはなかったが、着地すると、人間と混じってしまうのだった。雑踏のなかで白衣の人がいたりすると、その物は手を取り込んで横に避けてしまう。場合によっては、その頭に枕をぶつけたり、面に唾を吐くといった挙も見られた。しかし、通行人は誰一人それが見えない様子。
そこで、帰ってきたので、娘は尋ねてみた。
 「先に、あなたは街中で、
  敬う姿勢を見せたり、悪戯したり、侮ったりしていましたが、
  それは何故。」と。
その物は笑いながら語った。
 「世の中で、牛肉を食う人々なら、わしは騙すことができる。
  でも、儒教の忠直孝養、
     佛道の戒律遵守、
     道教の法録厳守の人々もいる訳で、
  そんな人に会って、わしが間違ってかかわったりすれば、
  その犯で、天戮を受けてしまうのだ。」と。


夜叉はもともとは人を食らう鬼神であるが、仏教では、護法善神の一尊(執金剛神や、薬師如来の十二神将)とされている。
ここでは、夜叉と人の間の愛が語られているともいえそう。それは、妾や婢と主人の間での愛となんら違いはないともいえるからだ。結婚相手とは、政治的地位獲得のための道具でしかなかったりする訳で、その子は「家系」維持の役割を担うことが第一義的に求められているから、パンク化することも少なくなかった訳である。
又經年,忽悲泣語女:
 “縁已盡,候風雨送爾歸。”
因授一青石,大如卵,言至家可磨此服之,能下毒氣。
一夕風雷,其物遽持女曰:
 “可去矣。”
如釋氏言屈伸臂頃,已至其家,墜之庭中。
其母因磨石飲之,下物如青泥鬥余。

又、何年か経った。
突然、悲しそうに涙をこぼしながら女に語った。
 「縁が尽きた。風雨が過ぎたらそなたを送る。
  家に帰るように。」と。
そして、鶏卵大の青い色の石を1つ授け、家に着いたら、これを磨いて粉を服用するように、さすれば、毒気を下すことができる、と言った。
その夕べ、風雷が。
しかして、その物は娘をつかんで言った。
 「それでは、行くぞ。」と。
仏教で言われているように、腕を屈伸しているうちに、家に到着し、娘は庭の真ん中に墜落。
その母が石を磨いてその粉を飲むせると、青泥のようなものが1斗ほど下った。


「一那中離五濁,屈伸臂頃到蓮池」を語ったりすることろなど、いかにも説話臭芬々である。
それに、どうみても、これは勝手に駆け落ちした娘が家に戻った話だろう。そして、家の都合で堕胎させられたというストーリー。
不義密通や後継者争いで、しばしば堕胎が図られることをよしとしない成式が、どこからか引いてきた奇譚風を説話化してみたと解釈するのが妥当では。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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