表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.22 ■■■ 歌垣考元和[806-820年]初,有一士人失姓字,因醉臥廳中。 及醒,見古屏上婦人等,悉於床前踏歌, 歌曰: “長安女兒踏春陽,無處春陽不斷腸。 無袖弓腰渾忘卻,蛾眉空帶九秋霜。” 其中雙鬟者問曰: “如何是弓腰?” 歌者笑曰: “汝不見我作弓腰乎?” 乃反首髻及地,腰勢如規焉。 士人驚懼,因叱之, 忽然上屏,亦無其他。 [卷十四 諾臯記上] "踏歌"は、唐代に流行したという。歌詞の代表的な作者は、劉禹錫、張説、崔液、謝偃とか。 以下にそれらを収録しておいたが、いかにも"歌垣"の女性側バージョンといった雰囲気を与えるものばかり。垣のように円陣を組んで踊りながら歌う春の男女の相手を探すことを兼ねた農耕民の行事であり、本来は男女グループ間の掛け合いである。 遊牧民王朝が農耕主体の部族を支配するにあたって、その歌舞を取り入れたのであろう。 そのような歌舞が、帝国の都市で大々的に行われるようになったということは、文化が成熟してきたということ。 なにせ、科挙の受験生は勉学でそれどころではない訳で。寄宿先でのたまたまの出会いもあったろうが、娼館での桃源郷的な息抜きしかなかったに違いないのである。もっとも、それはお金が続けばの話だが。 もちろん、なかには、禁欲を貫いた真面目な御仁も。 そして、どうあろうと、合格した瞬間から全く異なる環境に。今度は、良家の娘との婚姻を追及する訳だ。出世のためであり、家の繁栄を願ってのことだから、これも恋とは無縁な動き。 こんな状況だと、大っぴらに女性グループと交流し、恋愛感情を育むような文化は中華帝国では生まれようがない。 しかし、それに満足している訳ではない。恋を生む仕掛けともいえる、男女交流歌合戦に淡い憧れを感じる人が増えるのは自然な成り行き。 その結果、頭のなかだけの"歌垣"ムードが肥大化してしまい、エンタテインメントとしての女性舞子による"踏歌"が大流行したということではなかろうか。 良家の息子だった成式は、その辺りはお見通し。 そこで、踏歌について是非にも書いておかねばとなったのであろう。 恋の話にしたいのだから、タネなどいくらでもあったろう。しかし、受験勉強に一生を賭けて来た人々を揶揄的に扱うのはあんまりだし、実名をあげるのも失礼の極み。 そこで、工夫して書き上げたのが上記のお話しだと思われる。 男女関係に"恋愛"感情を持ち込ませない官僚社会の仕組みに乗りたくない人をとりあげておこうと考えたのであろう。宦官は物理的に"恋愛"ご法度を強いられるが、官僚は精神的に同様な境遇に陥るだけだから、そんな人はそこそこいたに違いないのである。 人物像としてはこんなところか。・・・ 仕事は極めて熱心。受験生だった頃からの習性を引き継いで、恋は未だにお預け。 出会いを拒否しているのではないが、そのようなチャンスに恵まれないのである。 もちろんだが、出世のための婚姻は気に食わぬということで一切拒絶。 そんなこともあって、酒を飲んで酔って家に帰ってくることが多いのである。 高級官僚の道を歩んでいるから、すでに大邸宅住まい。古い家だから、年期が入った部屋だらけ。苦闘した先輩諸子の雰囲気を感じさせるので、それなりに気にいっており、そのなかでは広々とした部屋を居室にしていた。調度にことさら力を入れた訳ではないが、落ち着いた風情が漂うようにしていた。一番目立つものといえば、歌舞中の女性達を描いた大きな屏風。 お気に入りの逸品である。 ある日のこと。酔って帰宅し、バタンきゅう。 床に伏せってしまい、そのまま寝入ってしまった。これまでも、ママあること。 夢うつつではあるが、目が覚め、寝床に入ろうかと見上げると、絵から抜け出た女性達が大騒ぎ。 と言うか、踏歌を始めていたのである。 "進士のご主人さまは、恋のお相手を見つけようと積極的に動かないのヨ。"と言うことで。 その踏歌がふるっている。 長安の娘は、"春陽"を踏んで踊るもの。 でも、"春陽"はいずれ消えていく。 断腸の思いではないけれど。 袖を振って、弓腰になり、 得意げに踊ったことも忘却のかなた。 峨眉を覆う額にはいまや帯。 九重もの星霜を思わずにはいられない。 若い子は弓腰の素養もないが、古手の踊りは素晴らしいもの。でも、恋歌は未だに成就しないのである。 進士のご主人様同様に、相手が見つからないまま。今や薹が立っているかのよう。 しばらく眺めていた進士だが、ついに 「五月蠅い。」と。 その後はわからぬが、素敵な人が見つかったのかも。踏歌は現れなくなったそうだから。 決して"余計なお世話"ではなかったのである。 −−−代表的な唐代「踏歌」の歌詞 −−− 「踏歌詞」 唐 劉禹錫 春江月出大堤平,堤上女郎連袂行。 唱尽新詞不歓見,紅霞映樹鷓鴣鳴。 新詞宛轉遞相傳,振袖傾鬟風露前。 月落鳥啼云雨散,游童陌上拾花鈿。 日暮江頭聞竹枝,南人行樂北人悲。 自從雪里唱新曲,直到三春花尽時。 桃溪柳陌好経過,燈下妝成月下歌。 為是襄王故宮地,至今猶有細腰多。 「雜曲歌辞 踏歌詞」 唐 張説 其一 花萼楼前雨露新,長安城里太平人。 龍銜火樹千重焔,雞踏蓮花万歲春。 其二 帝宮三五戲春台,行雨流風莫妒来。 西域燈輪千影合,東華金闕萬重開。 「雜曲歌辞 踏歌詞 二首」 唐 崔液 其一 綵女迎金屋,仙姫出畫堂。鴛鴦裁錦袖,翡翠帖花黄。 歌響舞分行,豔色動流光。 其二 庭際花微落,楼前漢已横。金臺催夜尽,羅袖拂寒輕。 樂笑暢歡情,未半著天明。 「雜曲歌辞 踏歌詞」 唐 謝偃 其一 春景嬌春台,新露泣新梅。春叶参差吐,新花重疊開。 花影飛鶯去,歌声度鳥来。倩看飄颻雪,何如舞袖回。 其二 逶迤度香閣,顧歩出蘭閨。欲繞鴛鴦殿,先過桃李蹊。 風帯舒還卷,簪花挙復低。欲問今宵樂,但听歌声齊。 其三 夜久星沈没,更深月影斜。裙軽才動佩,鬟薄不勝花。 細風吹宝袂,軽露湿紅紗。相看樂未已,蘭灯照九華。 (参照) 陳正平:「唐代的『踏歌』之風」東海中文學報 第16期 2004年 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |