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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.23 ■■■

杜子春の元ネタ

芥川龍之介の「杜子春」の元ネタは唐代の「杜子春伝」。
日本では余りによく知られているので、元の話と大同小異であり、余計な部分をカットし、児童用に洗練させた作品と見がち。
それはどんなものか、と言い出せば、「侏儒の言葉」的な見方をするつもりか、と感じるかも。
龍之介流のアフォリズムで行くなら、以下の質問を発する筈ではなかろうかと。
何故に、杜子春に近づく必要があったのかネ、と。

そう考える人は、「杜子春伝」がどうなっているのか調べたくなるだろう。
そこでは、こんな風に描かれている。・・・
  杜子春、耐え切れずに声を出してしまう。
  その結果、道士は仙薬作りに失敗。
つまり、杜子春は道士の仙薬作りに利用されていたのである。

そこに気付けば、杜子春@太平廣記 卷第016, 玄怪録 卷1, 醒世恆言 第37卷のオリジナル性に疑問が生まれる筈。と言うか、漢語の世界では昔から改編作品扱いである。("《杜子春》是玄奘《大唐西域記》卷七婆羅斯國〈烈士池及傳説〉改編,為一佛經故事。原文不滿七百字。馮梦龍的《醒世恒言》改編為《杜子春三入長安》的故事。"  尚、今村与志雄の注では目立たぬように配慮した文章になっている。)
そういうことだとすれば、成式は「杜子春伝」の元ネタをすでに指摘していたことになる。
"ソースが間違って伝えられているゾ"篇[續集卷四 貶誤]の以下の記載で。・・・

こんな伝承話が紹介されている。
相傳天寶[742-755年]中,中嶽[嵩山@河南鄭州登封]道士 顧玄績嘗懷金遊市中。
歴數年,忽遇一人,強登旗亭,扛壺盡醉。日與之熟,一年中輸數百金。其人疑有為,拜請所欲。玄績笑曰:“予燒金丹八轉矣,要一人相守,忍一夕不言,則濟吾事。予察君神靜有膽氣,將煩君一夕之勞。或藥成,相與期於太清也。”其人曰:“死不足酬コ,何至是也。”遂隨入中嶽。上峰險絶,巖中有丹竈盆,乳泉滴瀝,亂松閉景。玄績取幹飯食之,即日上章封。及暮,授其一板雲:“可撃此知更,五更當有人來此,慎勿與言也。”其人曰:“如約。”至五更,忽有數鐵騎呵之曰避,其人不動。有頃,若王者,儀衛甚盛,問:“汝何不避?”令左右斬之。其人如夢,遂生於大賈家。及長成,思玄績不言之戒。父母為娶,有三子。忽一日,妻泣:“君竟不言,我何用男女為!”遂次第殺其子。其人失聲,豁然夢覺,鼎破如震,丹已飛矣。
要するに、とある道士が、市の中をお金を抱えて遊び回っており、気にいった男を見つけ酒浸り。一年もそれを続けて大金を費やす。
当然ながら、男は、何故にそんなことをしてくれるのか疑いを抱いて、理由を教えて欲しいと懇願。道士は笑いながら、長生の仙薬を作るためには、冷静にして胆力があるガードマンが必要で、それにピッタリというだけのこと、と。任務は、一晩無言でいるだけ。
それなら、命を捨ててもその任にあたろうとなり、中岳に入るのである。
杜子春の場合とはストーリーが違うが、結局、約束通りに無言ではいられなくなり、仙薬作りは失敗に終わる。

成式は、この話のソースを指摘したかったのである、
    釋玄奘《西域記》雲:
“中天婆羅斯國鹿野東有一涸池,名救命,亦曰烈士。
昔有隱者於池側結庵,能令人畜代形,瓦礫為金銀,未能飛騰諸天,遂築壇作法,求一烈士。曠不獲。
後遇一人於城中,乃與同遊。至池側,贈以金銀五百,謂曰:
 ‘盡當來取。’
如此數返,烈士求效命,
隱者曰:
 ‘祈君終夕不言。’
烈士曰:
 ‘死盡不憚,豈徒一夕屏息乎!’
於是令烈士執刀立於壇側,隱者按劍念咒。將曉,烈士忽大呼空中火下,隱者疾引此人入池。良久出,語其違約,
烈士雲:
 ‘夜分後然若夢,見昔事主躬來慰諭,忍不交言,怒而見害,托生南天婆羅門家住胎,備嘗艱苦,毎思恩コ,未嘗出聲。及娶生子,喪父母,亦不語。
年六十五,妻忽怒,手劍提其子:“若不言,殺爾子。”我自念已隔一生,年及衰朽,唯止此子,應遽止妻,不覺發此聲耳。’
隱者曰:
 ‘此魔所為,吾過矣。’
烈士慚忿而死。”

玄奘:「大唐西域記」に次のように書かれている。
中天竺の、"羅斯國
/Varanasi or Benares"の鹿林の東に涸れ池あり。名称は"救命"、または"烈士"。
(その名の由来はこんなところ。)
昔、その池の傍に隠者が庵を結んでいた。人間を畜生に形を変えさせ、瓦礫を金銀にする術を身に着けていたが、諸天を飛翔する能力はなかった。
そのため、壇を築いて法術を用いており、烈士1名を求めていた。しかし、何年たっても、獲得できないまま。
その後、都市の城中で偶々一人の男に会って、気が合って遊びまわった。池の傍に着いた時、金銀五百を贈答。
そして、一言、
 「使い尽くしたら、すぐ取りにきなさい。」と。
ということで、何回も繰り返されることになり、烈士はその際に、隠者に対して、自分の命を使ってくれるように求めた。
そこで、隠者はついに頼む。
 「君には、一晩中無言でいて欲しいのだが。」と。
烈士驚く。
 「死を憚ることさえないと言うのに、
  単に、一晩、息を顰めているだけとは!」と。
ともあれ、命に応じて、烈士は刀を執って壇の傍らに立ち、隠者は剣を按じて呪言を念じた。そして、将に夜明けという時点で、突然、烈士が大きな声で叫び、空中からは火が下りて来た。そこで、隠者は、急いで烈士を池に引き入れた。状況が良くなったので、池から出て、約束と違うと叱責。
烈士は言い訳。
 「夜分、朦朧としてきた後、夢の世界に入ってしまったのです。
  前に仕えていた主人がやって来るのが見え、
  慰留の言葉をもらいました。
  でも、忍耐と考え、言葉を交わしませんでした。
  すると、怒り狂ってしまい、害されてしまいました。
  そして、生まれ変わることになり、
  南天竺のバラモンの家に住む人の胎内に。
  艱難辛苦に遭遇はしましたが、何時も、恩徳を思って、
  ずっと、声を出さずにいました。
  妻を娶り、子を生み、父母を喪失しましたが、
  その間、一語も発しなかったのです。
  65歳になってしまった時のこと。
  妻が忽然として怒り始め、
  手の剣を持ち、息子を提げて言うことには、
  "若しも、何も言わないなら、この子を殺す。"と。
  私は、すでに一生を隔てていることを思い、
  年齢的にも、衰朽の域ですし、
  息子殺人を止めるべく、妻の行動を止めました。
  不覚にも、
  その際に、聞こえるように声を出してしまいました。」
隠者は言った。
 「それは悪魔の所業。我の過誤。」と。
烈士は、慚忿の念にかられ自死。
成式は簡単に言う。
蓋傳此之誤,遂為中嶽道士。
おそらく、この伝承話を誤って引用し、中岳の道士としてしまったのだろう。

この引用文章[「大唐西域記」巻第七 婆羅斯国 二 烈士池及傳説]は以下の通り。主旨はほぼ同じだが、リクルートの状況で微妙な点での違いがある。
長生之術のためには沈黙の烈士が必要なことを知って、探し始めた訳だが、金を無くして悲しんでいる男を狙って庵に招待して金を与え、その後も様々な贈り物を与える。
その結果、男は、命を捨てても、その恩に報いるべきと考えるようになるのである。かなり具体的な叙述と言えよう。
施鹿林東行二三裏,至堵波,傍有涸池,周八十余歩,一名救命,又謂烈士。聞諸先誌曰:數百年前有一隱士,於此池側結廬屏跡,博習伎術,究極神理,能使瓦礫為寶,人畜易形,但未能馭風雲,陪仙駕。圖考古,更求仙術。其方曰:「夫神仙者,長生之術也。將欲求學,先定其誌,築建壇場,周一丈余。命一烈士,信勇昭著,執長刀,立壇隅,屏息絶言,自昏達旦。求仙者中壇而坐,手按長刀,口誦神咒,收視反聽,遲明登仙。所執銛刀變為寶劍,虚履空,王諸仙侶,執劍指麾,所欲皆從,無衰無老,不病不死。」是人既得仙方,行訪烈士,營求曠,未諧心願。後於城中遇見一人,悲號逐路。隱士睹其相,心甚慶ス,即而慰問:「何至怨傷?」曰:「我以貧窶,傭力自濟。其主見知,特深信用,期滿五,當酬重賞。於是忍勤苦,忘艱辛。五年將周,一旦違失,既蒙笞辱,又無所得。以此為心,悲悼誰恤?」隱士命與同遊,來至草廬,以術力故,化具肴饌。已而令入池浴,肥以新衣,又以五百金錢遺之,曰:「盡當來求,幸無外也。」自時厥後,數加重賂,潛行陰コ,感激其心。烈士求效命,以報知已。隱士曰:「我求烈士,彌歴時,幸而會遇,奇貌應圖,非有他故,願一夕不聲耳。」烈士曰:「死尚不辭,豈徒屏息?」於是設壇場,受仙法,依方行事,坐待日暮之後,各司其務,隱士誦神咒,烈士按銛刀。殆將曉矣,忽發聲叫。是時空中火下,煙焔雲蒸,隱士疾引此人,入池避難。已而問曰:「誡子無聲,何以驚叫?」烈士曰:「受命後,至夜分,昏然若夢,變異更起。見昔事主躬來慰謝,感荷厚恩,忍不報語;彼人震怒,遂見殺害。受中陰身,顧屍嘆惜,猶願歴世不言,以報厚コ。遂見托生南印度大婆羅門家,乃至受胎出胎,備經苦厄,荷恩荷コ,嘗不出聲。乎受業、冠婚、喪親、生子,毎念前恩,忍而不語,宗親戚屬鹹見怪異。年過六十有五,我妻謂曰:『汝可言矣!若不語者,當殺汝子。』我時惟念,已隔生世,自顧衰老,唯此稚子,因止其妻,令無殺害,遂發此聲耳。」隱士曰:「我之過也!此魔?耳。」烈士感恩,悲事不成,憤恚而死。免火災難,故曰救命;感恩而死,又謂烈士池。

何故にこの話を成式が取り上げたかといえば、道教と仏教の違いが歴然としているからだ。
小生の推定でしかないが、義務教育用の芥川の作品鑑賞用アンチョコだと、母への愛情が、仙人願望を打ち砕いたことが主題で、人間性とは何かを考えさせられる作品として解釈すべし、となっているのでは。
そして、だからこそ、これは仏教的説話とのオマケ的コメントがついたりして。

成式の見方は全く異なる筈。この話の肝は、術士と烈士の対比にあるからだ。

術士は物理的な長生を第一義的な目的としているが、烈士は死より重要なのは志と考えている。しかも、そのための方法として、前者は他者を利用しても実現したい訳だが、後者は他者への恩義のためなら身をすてる覚悟。
従って、両者は根底から一致するところがないのである。術士は邪心的な"たくらみ"主体の生活に満足しており、烈士はなりゆきまかせの自然体だが、他者の心情にそれなりの"はからい"を払うことを旨として生きている。
言うまでもないが、仏教的視点から見れば、どちらも"無心"からほど遠い存在。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 4」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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