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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.31 ■■■

庚申信仰の大元

庚申信仰とは、六十日に一度訪れる「庚申の日」に人々が家に集まり、夜を徹して酒食を共にして
語り合い、不眠を守るという風習。

道教に取り込まれた"三尸"(悪霊としての虫)の俗信である。
 人の体内に棲息し、
   寿命を司る役割を担う虫がいる。
 この虫、庚申の日に体を抜け出し、
   宿主の悪事を天帝(司命神)に報告する。
 結果、寿命が書き換えられ、
   宿主、短命化とあいなる。
常識的には、頭(私的悪欲)、内臓(食欲)、下腹(色欲)に棲む3種を指す訳で、それが人の死後に出てくる寄生虫とされたのだろう。道徳的戒めである。

ともあれ、寄生虫の恐ろしさは遍く知られていたのは間違いない。・・・

此尸形状似小兒,或似馬形,皆有毛長二寸,在人身中。人既死矣,遂出作鬼,如人生時形象,衣服長短無異。

此三尸九虫,種類群多。
蛔虫長四寸五寸或八寸,此虫貫心人死。
白虫長一寸相生甚多,長者五寸,躁人五藏,多即殺人,兼令人貪食煩滿。
 肺虫令人多咳嗽。
 胃虫令人吐嘔不喜。
 肺虫令人多涕唾。
赤虫令人腸鳴虚脹。
虫令人動止勞劇,則生惡瘡痴,,種種動作。
人身中不必尽有,亦有少者,其中有十等就中,婦人最多也。其虫凶惡,好人新衣,極患学道,欲調去之即可矣。
  [太上三尸中経]

それを、道教は、魂靈鬼神と見なした訳である。・・・
身中有三屍,三屍之為物,雖無形而實魂靈鬼神之屬也。  [東晋代 葛洪[283-343年]:「抱朴子 内篇卷六 微旨」]

もっとも、庚申信仰の発祥は"戒め"的な説話にありと解釈するのは勝手な見方というか、仏教的視点からの道教信仰の解釈にすぎまい。
道教に、そんな感覚がある訳なし。中華社会で、現代的な倫理道徳観念が通用しているとは思えないからだ。悪行は、自分のしたことではなく、虫の居所が悪かったとすることで、頬かむりできるということ。

虫が天帝に"悪行"をご報告し寿命が削られると言うなら、どうすべきか即時答えを出せと迫る風土。ご教訓もなにもあったものではない。もちろん、これに対応できない呪術師は不要。なにもできないなら抹殺するゾと脅迫するだけ。従って、符咒が用意され、駆虫薬としての金丹も処方されることになる。
第二之丹名曰神丹,亦曰神符。服之百日仙也。行度水火,以此丹塗足下,歩行水上。服之三刀圭,三屍九蟲皆即消壞,百病皆愈也。  [「抱朴子内篇卷四 金丹」]

しかし、それに効果がなく、死人が出続ければ、何をされるかわかったものではない。大枚はたいて対処させたのに役立たずと見なされ、騙した輩ということで即時惨殺の憂き目。

さすれば、庚申の日に徹夜しさえすれば、虫は脱出不能と触れ回るのが一番お気楽。効果ゼロでも、いい加減な徹夜だったからと言い張ればよいのだから。
凡至庚申日,兼夜不臥,守之,若曉体疲,少伏床数覺,莫令睡熟,此尸即不得上告天帝。
  [太上三尸中経]

しかし、60日毎にそんなことができる訳がない。(もっとも、成熟した社会だと、盛大に宴会を愉しめる理由がつくということで、かえって大流行するが。)
そこで、脱出を3度阻めば弱体化、7度防げれば消滅してしまうとなったのであろう。この辺りのご都合主義が通用するところが中華文化の凄さ。

成式は、そんなことを想いながら、"三尸"話を引用したのだと思う。
庚申日,伏屍[=尸]言人過。
本命日,天曹計人行。
三屍一日三朝,
 上屍青姑伐人眼,
 中屍白姑伐人五藏,
 下屍血姑伐人胃。
命,亦曰玄靈。
 又曰 一居人頭中,令人多思欲,好車馬,
其色K;一居人腹,令人好食飲,恚怒,
其色青;一居人足,令人好色,喜
七守庚申三屍滅,三守庚申三屍伏。

  [卷二 玉格]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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