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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.13 ■■■

【詭習】大道芸

「卷五 詭習」に収載されている話は六つしかない。字義から言えば"奇怪習俗"譚ということになるのだろうが、小生はこれは奇ではあっても、怪ではないと思う。習俗とも言い難いのではないかと。
奇をてらった見世物と呼んだ方がよいのでは。当人からすれば一種の芸道の追求かも知れぬが、社会的にはお勧めしたくない、ということで収載にあいなったのではなかろうか。

現代で言えば、卓越した曲芸や、タネがどうしても見破れない奇術のようなもの。
しかし、観客が恐ろしく珍しいと感じる出し物はそうそうあるものではない。従って、この数に留まってしまったということでは。
この辺りに関しては、成式先生も余りご存知ないということもありそうだが。

その最初の話は、足での「書」。
いくらなんでも、これは奇異とは呼べまい。

手を欠損してしまえば、足でなんでもこなすのは当たり前。そんな状況にある方々のための機器開発用ビデオを見せてもらったことがあるので、これは断言できる。足で文字を書くことなどお茶の子さいさいといった調子なのでビックリさせられた覚えがある。
人間の能力とは、そういうものである。

つまり、このお話は、唐代の長安中心部にある橋のたもとでは、足芸を【大道芸】として見せ、食べていく人がいたというにすぎない。
おそらく、刑罰で両手を切り落とされたのであろう。それでも死ななかったということは、良家の子弟ではないか。お家存続のために、お金をつけてどこかに預けられたのだろうが、自分の力で生きていこうとの信念が強い息子だったのだろう。乞食として大道芸の道を精進すると決心したに違いない。結果、その通りに。
首都の名勝地で最高の芸を披歴し、大勢の観客を集めているとの自負心満々の図。

成式の記述の素敵な点は、そんなことをおくびにもださず、ホー、これは凄いことではないかと、何も知らないかのように書くこと。読者が勝手に想像せよというのである。どうせ、事実など誰にもわからぬのだから。

なんといっても凄いのは、役人が書く楷書より上手という点。何年もかけてようやく到達した人でもかなわないのである。大道芸に賭けた一念はいかほどのものだったのだろう。
そんな余韻を残す書き方。

大歴[766-779年]中,
東都
[洛陽]天津橋[都中央を横断する"洛水"に架かる浮橋]有乞兒,

無兩手,
以右足 夾筆 寫經 乞錢。
欲書時,先再三擲筆,高尺余,未曾失落。
書跡官楷,手書不如也。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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