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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.14 ■■■

【詭習】虫の仕込み芸

「卷五 詭習」の2つ目の話。

これは凝った話である。
ストーリーの核は、小さな蜘蛛達が芸を覚え込まされていた、というだけにすぎぬが。

常識的には、そんなことはなかろうと考える考えることも可能だ。さすれば、政治的な諷刺がまぶされている作り話ということになる。そんな風にかんがえてしまうと、前置きの人物紹介が余計な感じがしてくる。今村与志雄の注によれば、登場人物の高級官僚はなかなかの曲者で、白楽天が揶揄したそうだし。

ただ、小生はそう読まない。
単なる【虫の仕込み芸】の実話にすぎないと見るのである。もちろん、多分に尾鰭がついてはいるものの。

この話のポイントは蜘蛛の芸という点。間違いなく「奇」である。
"アラクノフォビア"症状を呈する人は少なくない筈だし、五毒(蝎,蛇,蜈蚣,蟾蜍,蜘蛛)として危険扱いされている虫をわざわざ扱うのだから、そんな虫を飼育して見世物する必要などなさそうに思うが、当時の支配層は安穏とした社会のなかで、「奇」を眺めて気晴らし、という生活だったからそんなこともあったのだろう。

ただ、本の虫である成式は、紙魚を食べるくれるから、蜘蛛には個人的に大いに愛着を感じていたと思う。
と言っても、この話を耳にして、なんで蜘蛛の芸なのだと感じただろう。しかし、物知りだから、すぐに"闘鶏"ならぬ"闘蜘蛛"の存在に気付いたに違いない。・・・現代でも、フィリピンでは"Laban Ng Gagamba"が知られている位だ。昔は、大陸はもちろんのこと、日本にも存在していたと思われる遊びである。従って、蜘蛛を飼うこと自体は珍しくもなかったことになる。

その蜘蛛だが、名称は「蠅虎子」。決して特殊な種ではなく、と言うより、世の中で一番ポピュラーな種類。そうそう、和名に直せば、"猫蠅取蜘蛛"。(何時のことかは知らぬが、虎を猫に変えた学者がいる。)
  要するに、そんじょそこらで見かけるピョンピョン跳ぶ手の小さなクモ。餌を獲るのだから神経毒を持つ筈だが、このサイズだと人への被害などおよそ考えられない。

クモは調教できぬが、"闘蜘蛛"なら誰でも簡単にできるのだから、その本能的動きを考えて、ある程度動きの制御はできる筈。そんなことで、敢えて究極に挑戦した御仁もいたということだろう。おそらく、一部は奇術要素も入る筈だが、どもあれ、実に成熟した社会だったのである。
行き過ぎではないかというのが、成式先生の見方だったかも。

在襄州,嘗有山人王固謁見於。
於性快,見其拜伏遲緩,不甚知。
書生別日遊,不復得進,王殊怏怏。
因至使院造判官曾叔政,頗禮接之。
王謂曾曰:
 “子以相公好奇,故不遠而來,今實乖望矣。
  予有一藝,自古無者,今將歸,
  且荷公見待之厚,今為一設。”

遂詣曾所居,懷中出竹一節及小鼓,規才運寸。
良久,去竹之塞,折枝連撃鼓子,
筒有蠅虎子數十,分行而出,分為二隊,如對陣勢。
 毎撃鼓,或三或五,
 隨鼓音變陣,天衡地軸,魚麗鶴列,無不備也。
 進退離附,人所不及。
 凡變陣數十,乃行入筒中。

曾觀之大駭,方言於公,王已潛去。
於悔恨,令物色求之,不獲。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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