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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.15 ■■■

【詭習】怪力達人

「卷五 詭習」の3つ目の話。
社会が平穏になり、戦争を忘れてしまうと、武人は自らの能力を見せたくなるもの。
そんな話。

例えば、巨石を持ちあげることで力を誇示した逸話など、どこにでもある。戦争で功績をあげることを待ち望んでいるのに、そんなチャンスは巡ってこまいとなれば、なにかしないではいられない訳で。
それに、力比べはえらく単純で、社会を動かす官僚が介入できる余地もほとんどない。これ以上伝え易い武人の"偉大性"はないかも。

さて、ここでの登場人物だが、碑文に兵部郎中として張芬の名前が残っているらしい。その石碑を担いだと書いてあるのか否かは知らねど。ともかく、怪力ありとされたので名前を残すことができた模様。

なにせ、持ち挙げた石碑の大きさが七尺というのだから恐れ入る。両輪水車の回転を止めることもできたというし、前人未到の力を発揮したのは間違いなさそう。

張芬曾為韋南康[746-806年]親隨行軍,
曲藝過人,力舉七尺碑,定雙輪水


馬鹿力があるのはわかったが、それで何なのとなりかねないから、この手の話にはたいていはオマケがついてくる。妙なる感じを与えないと、官僚層としては称える訳にいかないからであろう。

そんなシーンとして、四川成都の福感寺の古塔での蹴鞠が選ばれている。高く上がって、跳ねて、とんでもなく遠くまで行くというのである。
いかにも霊的な逸話が詰まっていそうな寺名。なにせ、アショカ王建立で仏舎利奉納という話まであるようだから。
力技を見せたいなら、先ずは御奉納からという原則を守っていることが示されていると言えよう。

常於福感寺鞠,高及半塔,彈力五鬥。

武人であるから、弓も必要で、怪力だから特製になる。もちろん自作しか有りえない。奉納見世物を挙行しているから、神々しい武具になる。

常揀向陽巨筍,織竹籠之,隨長旋培,常留寸許,度竹籠高四尺,然後放長。秋深方去籠伐之,一尺十節,其色如金。

インテリジェンスを感じさせるため、独特な方丈の壁作りをしているとも。戦争なき社会万々歳と主張することで、武人の鏡としての地位を獲得したのであろう。これなら、官僚の角逐に巻き込まれにくそうだし。と言うより、仏教勢力になかなかの切れ者がおり、こうした姿勢を示す武人を積極的に応援していた可能性の方が高かろう。

毎塗墻[=壁],方丈彈成“天下太平”字。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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