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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.16 ■■■

【詭習】曲芸達人

「卷五 詭習」4つ目の話。

武將には達人逸話がつきもの。多少の誇張はあるものの、おおむね実話と考えてよいものが多いと思われる。

日本の例で言えば、「平家物語」の屋島の戦いでの"扇の的"に登場する那須与一。儀礼でも実戦でも、弓術に錬磨を重ねている武将だらけの社会だから、とてつもない達人が生まれていたことがわかる。現代社会なら、断トツで優勝といったところか。

馬術でも同じ。
現代にまで伝わる流鏑馬は、疾走する馬上から、次々と的に鏑矢を射る弓術競技だ。極めて高度なテクニックを要するが、当時の実戦を考えれば、武将なら当然身に着けておくべき技術。しかし、それを現代社会に求めるのだから、いかにも過酷そうな行事である。未だに様々な地域で続いているから、騎手役の方々の努力たるや大変なものだろう。
藤森神社には、それを越えた馬術披露行事"駈馬神事"が伝わっている。馬上での突拍子もない技のオンパレードである。(手綱潜り,逆乗り,矢払い,横乗り,逆立ち,藤下がり,一字書き)現代感覚では、サーカスの曲芸とか、馬術好きが高じた手慰みになりかねないが、行事が始まった頃の社会では、実戦を意識した、武将としての強さを見せつけるものだったに違いあるまい。

成式が記載している「走馬書一紙」の【曲芸】とは、"一字書き"のこと。唐代であっても、長安の都市住民からすれば、まさに曲芸中の曲芸に映ったことだろう。しかし、武将にしてみれば、戦時の必須能力以外のなにものでもなかろう。
後方に情報を送りながら疾走し続けるには、これ以外に手が無いからだ。
なにせ、想定する敵とは遊牧民軍団。開戦となれば、日々馬上生活者の住民全員が即時騎兵に変身して攻めてくる。彼等にとっての、"一字書き"程度の技などお茶の子さいさい。

しかし、長安の安寧な生活環境下で、戦争の話でもない訳で、強弓の名手であっても、ポロ競技用の馬術の技を徹底的に磨く必要がでてくる。それが、唐代武人のたしなみになっていたということ。
従って、コインを重ねて、上から一枚づつスティックで打ち飛ばすことができる騎士も出てくる訳だ。日々、この手の技に全身全霊をかけているのだから、驚くようなことではない。
但し、煮豆を、一丈離れた築地壁につけた茨に投げて突き刺せることも可能という話は、流石に、眉唾臭いが。

建中[780-783年]初,有河北軍將姓夏,

彎弓數百斤。

嘗於球場中累錢十余,走馬以撃鞠杖撃之,
 一撃一錢飛起六七丈,其妙如此。

又於新泥墻安棘刺數十,取爛豆,
 相去一丈,一一擲豆貫於刺上,百不差一。

又能走馬書一紙。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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