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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.24 ■■■

儀礼の異

「卷一」に"禮異"篇が収載されている。
今村与志雄訳は"儀式習俗異聞"。素人から見ても、至極妥当な感じ。
しかし、それは文字からの話であって、記載内容を見ると、これが何故に"異"と言えるのか、首をかしげさせられたりする。
どういうことか眺めておこう。

【その1:拝謁】
 西漢,帝見丞相,
 謁者贊曰:
  “皇帝為丞相起。”

 禦史大夫見,
   皇帝稱謹謝。


謁者とは、徳川幕府で言えば、"奏者番"。
年始・五節句や、叙任の際に、大名・旗本が将軍謁見となるが、そこでの取り次ぎを務める役どころ。30名ほどが譜代大名から選ばれ、交代出場だったという。
つまらぬ受付業務に見えるが、出世階段を上るための第一歩だから重要な役職とも言える。
献上品の内容や、来訪者の期待を察し、要領よく伝えるとともに、上奏の際の発声が明瞭にして美しくなければ役目が果たせないからだ。

どの王朝だろうが、このような役目は必ず必要となるもの。その場合の言い方が引用されているが、特殊とも思えない。・・・
「丞相にお会いになるために
 皇帝が立ち上がってお見えになります。」


禦史大夫の場合、皇帝に「謹謝」するのも、"異"とは言い難かろう。
副丞相クラスは大勢存在する訳で、拝謁は恐れ多きこととされてもおかしくはないからだ。

例としては適切とは言い難いが、大相撲の呼び出しと同じで、独特の形式になるのは当然のこと。それが風情を生み出している訳だし。嫌になっしまったら、止めればよいし、気分がのるなら、今後もずっと続けようというだけに過ぎまい。従って"異"と感じる人は滅多にいまい。

そんなことを書いていて、思わず、衆議院本会議「議事進行係」のご発声を想いだしてしまった。・・・
「ぎちょーーう。・・・」と独特の言い回しで呼びかけるのだ。おそらく、家業の議員の方々だらけなのでいつまでも続けて欲しい人が多いのであろう。
こちらは、まさしき"異"。

【その2:敬称】
秦漢以來,
 於天子言陛下,
 於皇太子言殿下,
 將言麾下,
 使者言節下,轂下,

 二千石長史言閣下,
 父母言膝下,
 通類相言於足下。


いつの世だろうが、皇帝・天皇・国王を呼び捨てすることなどおよそ考えにくい。"陛下/Imperial Majesty"とすることで、直接的にお名前を出すことを避けているにすぎまい。
尚、現代日本の場合、通称ではなく、皇室典範に定められた正式な敬称である。
"殿下/Imperial Highness"にしても、「殿舎の(階の)下」であり、「(宮殿の)階の下」たる"陛下"と表現は同じようなもの。ただ、微妙な違いを感じさせる表現ではある。
階段下の侍従を通さねば上奏できぬ場合と、殿舎から直接指示されることもある状況の違いということ。

将の敬称を"麾下"とするのは、確かにおかしい。指揮下にあるという意味の言葉であり、将師ではなく、その部下を指していた筈。どうして逆転したのだろうか。

"閣下/Excellency"とは一般に認証官の敬称であり、それが2000石の官僚というにすぎまい。
これを逸脱すると失笑もの。
現代で言えば、"デーモン閣下"。
しかし、それがわからない組織もあったことが知られる。大日本帝国時代、官名のみで通用する国際派組織と、ともかく閣下と呼ばないと痛めつけられる国粋組織が併存していたことが知られている。

"膝下"は宛名の脇付に使われていたが、父母への手紙が廃れつつある現代日本では死語に近かろう。ただ、親の膝もとを離れてという言い回しだけが残っている。

"足下"は、「足下の御尽力」とか「足下のご意見」という表現で残っていないこともないが、どれだけ使われているか。高齢者と官僚の一部だけではないかと思料する。

唐代はどうだったのかさっぱりわからぬが、わざわざ話題にしているのだから、どれも当たり前に使われていたのであろう。
常にへり下る姿勢に"異"を見たとすれば、それは国際派だったということ。謙譲の美徳ではなく、単に儒教の統治システムでしかないかもと感じたからか。インド・ペルシア・チュルクの文化を知っていたから。

【その3:正月祝い】
梁主 常遣傳詔童賜群臣
 旦酒、
 辟惡散、
 卻鬼丸 三種。


節会には、天子が臣下にご下賜品を配るのは、祝い事なのだから、おかしなことではなかろう。
と言うより、皇帝独裁の儒教的官僚統治国家を目指すなら、それは半ば義務的な儀式と言ってもよいのでは。
ただ、その内容は、センスの問題となる。

梁主は薬酒、散薬、丸薬と、長命を祈っておるゾとのメッセージを送ることが肝要と考えたようだ。
「荊楚時記」を見ると、元旦の飲食は多彩だった訳で、その流れに沿ったものと言えよう。(椒柏酒.飲桃湯.屠蘇酒.膠牙.五辛盤[,蒜,韭菜,蒿,芥菜].敷於散.卻鬼丸)その辺りから、これぞと思うものを選んだのだろう。

ただ、旦酒は、必ずしも、屠蘇酒とも言えなかったように思える。柏は桃の方が縁起よさそうに映るからだが。
  「正旦蒙趙王賚酒詩」 南北朝 庾信
正旦闢惡酒,新年長命杯。柏葉隨銘至,椒花逐頌來。
流星向椀落,浮蟻對春開。成都已救火,蜀使何時回?


薬は定番か。
  盡應制詩」 南北朝 肩吾
序去已殫,春心不自安。聊開柏葉酒,試奠五辛盤。
金薄圖神燕,朱泥卻鬼丸。梅花應可折,惜為雪中看。


辟惡散とは、敷於散か。
もう一つの卻鬼丸だが、朱砂の調剤品のようだ。紅色辟邪ということなのであろうが、こんなものをもらっても。

ともあれ、天子が推したこともあって、屠蘇酒だけが後世まで続いたのだろう。
清 乾隆帝の正月に行う儀式としては、元旦子の刻に"開筆"、「金甌永固杯」での屠蘇飲酒、「玉燭長調燭台」での点灯から始まり、「万年青筆」での寿辞の揮毫と、暦を捲ることで、国家安泰人民安寧の祈願としたというのだから。["「屠蘇酒」について"國立故宮博物院@台北]

尚、屠蘇酒は配合が決まっている訳ではないが、「肘後備急方」記載の以下の七味懸沈が一番知られているようだ。
 大黄
 川(蜀)椒・・・花椒
 白朮・・・オオバナオケラ
 桂心・・・桂皮
 桔梗
 鳥頭・・・鳥兜子根の附子の母根
 ・・・金剛藤/サルトリイバラ(西日本の柏餅用葉)

尚、現代の屠蘇散は、普通に用いられる香辛料の丁子、山椒、茴香、桂皮。陳皮、等々に、甘草と紅花を加えてているようだ、ただ、伝承を重んじていると、朮や桔梗も入っていそう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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