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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.28 ■■■

苔の話

茸と菌の話をして、苔を無視する訳にもいくまい。

ただ、大陸の気候は日本列島と大きく違うから、日本に於ける苔に対する美的感覚はおそらく通用しまい。
それに、ただただ長命を願う道教的風土だと、茅屋や陵墓に"苔むす"シーンに惹かれることも考えにくい。
但し、苔を翠緑と考えれば、紫色の花々を引き立たせる補色的効果は抜群だから、苔が生えている風景を魅惑的と称えることにはできそう。
  「憶新藤」 唐 李コ裕
  遙聞碧潭上,春晩紫藤開。水似晨霞照,林疑綵鳳來。
  清香凝島嶼,繁映莓苔。金谷如相併,應將錦帳回。

もっとも、茅屋や陵墓的な思いと重なることもあろう。そうなれば、それなりの気分を醸し出すことになる。
  「憶舊遊(寄劉蘇州)」 唐 白居易
  憶舊遊,舊遊安在哉。舊遊之人半白首,舊遊之地多蒼苔。---

しかし、一般的には、苔に注目する人は少なかろう。
そういうことでかはわからないが、成式には特別な関心はなかったようだ。
特定の苔に関する話だけ収載したかったように見える。(尚、苦苣苔と呼ばれる植物があるが、谷間の崖に着生する岩煙草のことで、苔ではない。)

苔,
慈恩寺唐三藏院後檐階,開成末有苔,
 状如苦苣
[=Endive]
 初於磚上,色如鹽香C輕嫩可愛。

談論僧義林,太和初改葬棋法師,
 初開冢,香氣襲人,側臥磚
[=焼成煉瓦]臺上,形如生。
 磚上苔厚二寸余,作金色,氣如檀。


前半の方から。
慈恩寺自体は有名だが、エンダイブ形の苔も知られていたのかは定かではない。しかし、以下の詩があるから、慈恩寺と苔のイメージは繋がっていた可能性もあろう。
  「慈恩寺石磬歌」 唐 盧綸
  靈山石磬生海西,海濤平處與山齊。
  長眉老僧同佛力,呪使鮫人往求得。
  珠穴沈成腰Q痕,天衣拂盡蒼苔色。
  星漢徘徊山有風,禪翁靜扣月明中。---

  「慈恩寺上座院」 唐 賈島
  未委衡山色,何如對塔峰。
  曩宵曾宿此,今夕値秋濃。
  羽族棲煙竹,寒流帶月鐘。
  井甘源起異,泉湧漬苔封。

  「酬慈恩寺文郁上人」 唐 賈島
  袈裟影入禁池清,猶憶郷山近赤城。
  籬落罅間寒蟹過,莓苔石上晩蛩行。---


日本人的には、
 懐かしき 経書の堂に 跡もなし
   哀愁深き 階の苔
といったところか。
この場合、スギゴケが似合う。

後半に移ろう。
長安来訪のインド僧、善無畏[637-735年]と金剛智[669-741年]の弟子が、不空[705-774年]、一行[683-727年]、義林[n.a.]である。
いずれも高僧だが、インテリとの交流も欠かさなかった人達。なかでも義林は談論僧とされているから、さぞかし話が面白かったのであろう。
呪術的密教教義を確立した人達でもあり、熱の籠った議論で、皆、高揚していたと思われるが、会昌の廃仏@840年を経てしまえば、それも今何処である。苔むす墓のイメージと重なってしまうのでは。

ぶ厚い苔マットができていたということは、もともと痩せた場所だったことを意味するし、人工的整備も嫌っていたことになろう。都会であっても、落ち葉が溜まったりせず、苔が拡がるような森を好む僧が多かったのだろう。動物に邪魔されずの環境を目指したのかも知れない。

ただ、薫り立つ苔が、不思議感を与える。
「苔」は、地衣類とは違って、動物は普通は食用にしない。香りで動物を引き寄せたたり、避けたりする意味が薄いということになる。しかし、カビ臭い苔も知られており、鳥の巣用クッション材利用防止との推定話をどこかで読んだ覚えがあるので、そんなところかも。香りで昆虫を始めとする動物を忌避し、富栄養化させないようにして、競争的な菌類や植物の侵入を防いでいる訳だ。
マ、墓の壁から香りを出してどうしたいのか、苔に直接訊いてみなければ本当のところはわからぬが。

香りというなら、その王者はなんといってもキノコ。
にもかかわらず、その意味はわかっていないようだ。唐代の知識と五十歩百歩。
もちろん、素人的には理屈はつくが、専門家は証拠もなしにおいそれと語る訳にはいくまい。・・・アミノ酸リッチの美味さで惹きつけておいて、素敵な香りを発散させることで存在を知らしめるだけ。要するに、動物を呼び寄せて胞子をばら撒いてもらおうとの魂胆。
ただ、そう言いきれないのは、真逆の、胞子散布は風まかせタイプがあるから。こちらは、毒入り危険!食べるな!との警告色と、硫黄・燐系の臭気発散で動物を避けさせるのである。

苔の話はもう一つある。

蔓金苔,晉時外國獻蔓金苔,聚之如雞卵;
投水中,蔓延波上,光泛鑠日如火,亦曰夜明苔。

   [卷十九 廣動植類之四草篇]

水中棲のようだから、これは藻だろう。該当しそうなのは、黄金色藻系の光藻。日光が余り入らない場所の水溜りに生育している、単独遊泳の極微小単細胞生物。
時として水面で癒合し膜を作るそうだ。光の反射で黄金色に見えるが発光している訳ではない。
おそらく、工夫を凝らして塊状にし、運べるようにしたのだと思う。当然ながら、水に入れれば水面に広がり黄金色に輝くことを狙った訳である。(「拾遺記」によれば、祖梁國が獻じたそうだ。)

珍しい生物かと問われれば、Yes.と言わざるを得ないのは、天然記念物(千葉県富津市竹岡の群生地)に指定されているから。
小生は、かつてはいたる所に棲息していたと見る。気付かなかったにすぎず、そのうち、ほとんどが絶滅してしまったということでは。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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