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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.30 ■■■

梨樹内娃館

いかにも成式らしい小話。
伝聞だが、創作でもある。・・・

臨川郡[現 江西 撫州市]南城縣令戴察,
初買宅於【館娃坊】。
暇日,與弟閑坐廳中,忽聽婦人聚笑聲,或近或遠,察頗異之。笑聲漸近,忽見婦人數十,散在廳前,倏忽不見。
如是累日,察不知所為。廳階前【枯梨樹】,大合抱,意其為祥,因伐之。
根下有石露如塊,掘之圍闊,勢如𨫼形。
乃火上沃醯,鑿深五六尺不透,忽見婦人繞坑抵掌大笑。
有頃,共牽察入坑,投於石上。
一家驚懼之際,婦人復還,大笑,察亦隨出。
察才出,又失其弟。
家人慟哭,
察獨不哭,
 曰: “他亦甚快活,何用哭也。”
 察至死不肯言其情状
 [卷十五 諾皋記下]
訳無しでもスーと流し読みできると思う。

「娃」とは美女のこと。従って、「娃館」は官女の官舎。しかし、「館娃」となれば一種の固有名詞である。
呉王は、越王からの献上美女"西施"を溺愛。蘇州に離宮別館を造った。それは"館娃宮"と呼ばれ、詩にも詠われている。その跡地が館娃坊ということだろう。

呉の男女的多情を描いた民歌も大流行していたであろう。
と言うか、李白が「呉歌楚舞」を好んでいそうだからそう思うだけかも知れぬが。・・・
   「相和歌辞 烏栖[=棲]曲」 李白
 姑蘇臺上烏栖時,呉王宮裏酔西施。
 呉歌楚舞歓未畢,青山欲銜半邊日。
 銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波,東方漸高奈楽何。


枯れた梨の樹が入り口であるというのも出来過ぎ。
玄宗は自ら“道調法曲”を作曲し、梨園に伶人300名を集めて歌舞三昧。もちろん、安史の乱後は衰退。

そこらを知っていると、思わず、ワッハッハである。
村八分に会いかねないから、怪奇譚として真面目に読む人達の前でそんなことを言ってはならぬゾ。
・・・草葉の陰から、今村与志雄[1925年-2007年]がヒソヒソ声でそう言っていそう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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