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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.2 ■■■

指導者が見た吉兆

「卷四 喜兆」は、たった3つの話のみ。そこに意味がありそう。

中華帝国では、出家を別として、官僚あるいは武人でなければヒトとして扱われない。しかも、そこで力を発揮するには出世する必要があるが、ポストの数は少なく、賄賂や情実で決まる人事が横行している上に、能力があり、本気で社会改革を進めようと考える人物を引きずり下ろしたい人々がいたる処で蠢く世界である。ギラギラした出世欲を隠すこともなく、日々権謀術数に励む輩だらけ。
そんななかで指導力を発揮した傑物は稀である。
そのような方々には滅多に感じられないオーラありだったろうし、神仏のご加護あれと祈りたくもなるような状況だったに違いない。

つまり、"我々は"、そのような指導者を支援するゾというのが、このパート。
よくぞ、ポストを射止めてくれました、と。

【その1】
張希復は遊長安諸寺聯句にも登場する成式の朋友"善繼"。集賢校理學士である。(父は張薦[744−804年]で、子は張讀[鬼神霊異集「宣室志」著者]。)
彼と共に、指導者を称えたいということで、粛宗朝の宰相の話。

と言っても、その期の宰相は16人もいる訳で。その前の玄宗の時なら34名だ。
李揆[711-784年]は、"卿門地、人物、文章皆当世第一。故時称三絶。善文章,尤工書"で"美風儀,善奏対"。

集賢張希復學士嘗言:
 李揆相公將拜相前一月,日將夕,
 有蝦蟆大如床,見於寢堂中,俄失所在。
又言:
 初授新州,將拜相,井忽漲,才深余尺。


ヒキガエルに"財源興盛,生活幸福美好"の寓意あり、ということ。"蟾宮折桂"が科舉登第を指していたせいもありそうだ。
井戸に水が漲ってくるというのも、なかなかの表現。

【その2】
[752-829年]は"守道寡欲,為人正派"の人だったようだ。もちろん"愛好読書著作"。
そうなると、煙たがれておかしくない。周囲敵だらけ。
そんななかで、日々、帰宅すれば禅室で過ごし、仕事一途。

相公宅,忽有物投瓦礫,五六夜不絶。
乃移於安仁西門宅避之,瓦礫又隨而至。
經久復歸招國,鄭公歸心釋門,禪室方丈。
及歸,將入丈室,
子滿室懸絲,去地一二尺,不知其數。
其夕,瓦礫亦絶。翌日,拜相。


子とは、 蜘蛛の一種で、身体細長で暗褐色だとか。室内の壁間に網を張る。「詩經國風 風 東山」の"伊威在室、蛸在戸。"のこととも。
(姿からすれば脚高蜘蛛だが、室内棲なので網を張らず徘徊性。暫く空き家的にしていれば、室外棲の蜘蛛がやってきて網を張るということだろう。)
"喜楽之瑞"とされる。おそらく、道教社会だと蜘蛛の巣の形状が吉兆とされたのだろう。仏典の"蜘蛛の糸"話とは無関係だが、成式は、邪を絡め取ってくれる網こそ佛道の表象と感じたのではないか。

【その3】
鄭復も朋友なのだろう。ひどい目に合わせることを喜ぶ連中をよく知る人から見て、信頼がおけると断言できる軍人とはこのお方。

[n.a.-846年]は父の劉廷珍も大将軍。
軍隊とは、功をあげそうな部下を虐める組織である。それにめげず、勤め上げた傑物。

成式見大理丞鄭復説,
淮西用兵時,劉為小將,軍頭頗易之。
毎捉生踏伏,必在數,前後重創,將死數四。
後因月K風甚,又令捉生。憤激深入,意必死。
行十余裏,因坐將睡,忽有人覺之,授以雙燭,
曰: “君方大貴,但心有此燭在,無憂也。”
後拜將,常見濁影在雙旌上,
 及不復見燭,乃詐疾歸宗。


燈燭とは、仏陀の智慧で暗闇を明るくするという意味だろう。
その自信が揺らいできたらリタイア時期と考えているお方。そこに軍人としての気概が見える訳である。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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