表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.5 ■■■ ひと芝居至ってつまらぬ話が収録されている。玄宗幸蜀,夢思邈乞武都雄黄,乃命中使齋十斤,送於峨眉頂上。 中使上山未半,見一人幅巾被褐,須鬢皓白,二童青衣丸髻,夾侍立屏風側, 手指大盤石臼: “可致藥於此。上有青録上皇帝。” 使視石上朱書百余字,遂録之。 隨寫隨滅,寫畢,上無復字矣。 須臾,白氣漫起,因忽不見。 [卷二 玉格] 玄宗皇帝は峨眉山に使者を遣わす。 すると、真っ白な髭を生やした男に出会う。 男は、盤状の石を指さし、 「そこに書いてあることを記録し 皇帝へ上奏せよ。」、と。 そこで、使者は、 石上の百文字余りの朱で書かれた文を視て、 逐次書き寫した。 寫すたびに、文字は消滅した、と。 完了すると、そにには一文字も無かったのである。 思うに、成式、たまたま、感じるものがあったのではなかろうか。 後代編纂の公案だが、以下の話を、知っていた可能性が高いからだ。[宋 無門慧開宗紹:「禪宗無門關」1228年 二 百丈野狐] 百丈和尚。 凡參次有一老人。常隨衆聽法。衆人退老人亦退。 百丈和尚の説法に一人の老人が来ていた。終了後、その老人も含めて皆退席。 忽一日不退。師遂問。 面前立者復是何人。 老人云。 諾某甲非人也。於過去迦葉佛時。曾住此山。 因學人問。 大修行底人還落因果。也無。 某甲對云。 不落因果。 五百生墮野狐身。 今請和尚。代一轉語貴。 ところが、場に残ったままのことあり。そこで理由を尋ねると、答えが返ってきた。 実はそれがしは、今はヒトではないのです。 迦葉佛がいた頃、間違ったことを言って狐に落とされてしまいました。 不落因果、と。 そこで、和尚様にお願いが。どうか転生のほど。 脱野狐遂問。 大修行底人還落因果。也無。 師云。 不昧因果。 老人於言下大悟。作禮云。 某甲已脱野狐身。住在山後。 敢告和尚。乞依亡僧事例。 [狐の質問] 修行をしても因果で堕ちるのですか? [師の答え] 不昧因果。 狐は悟って、深々と礼。 これで解脱できますので山に躯を残すことに。 ついては、和尚様、僧侶の葬儀のように弔っては頂けまいか、と。 師令無維那白槌告衆。 食後送亡僧。 大衆言議。 一衆皆安涅槃堂。又無人病。何故如是。 師は食後に亡き僧の送りの儀を行うと皆に伝えさせる。 一同不審に思いでガヤガヤ。死人も病人もいない筈だから。 食後只見師領衆。 至山後巖下。以杖挑出一死野狐。乃依火葬。 とあれ、食後に師は皆を引き連れて山に。 一匹の野狐の死体あり。手厚く火葬に。 師至晩上堂。舉前因縁。 黄蘗便問。 古人錯祇對一轉語。墮五百生野狐身。 轉轉不錯。合作箇甚麼。 師云。 近前來與伊道。 黄蘗遂近前。與師一掌。 師拍手笑云。 將謂。胡鬚赤更有赤鬚胡。 師、夜になって、くだんの老人の因縁話を一席。 弟子の黄蘗質問。 受け答えの後、黄檗は師のお側に。 そして、突然の張り手のお見舞い。そこで、師は拍手し、お笑いに。 ついに素晴らしい僧のお出まし、と。 ここに登場するのは南岳系、江西百丈山の懐海[720-814年]禅師。質問する弟子は黄檗希運[n.a.-850年:臨済義玄の師]。 自給自足が可能な禅院の制度を確立した人であり、成式がそれを知らぬ筈なし。・・・ 托鉢とお布施だけで生きるのではなく、寺院の枠内とはいえ就労を肯定する上、建前とはいえ一所不住との大原則を否定したのである。天竺伝来の戒律を棄てたことを意味する訳で、革命的な動きが始まったのである。 それは、天子さま命の中華帝国文化とは相いれないものではあるのだが。 となれば、この話もどういうことか想像がつこうというもの。 常識で考えれば、百丈和尚は一人で裏山を散策している際に、野狐の遺骸に出会っただけのこと。 そこで、修行僧全員に、食後に僧の葬式を行うと通達。全員、ナンナンダ、となる訳である。 そして、皆で、狐を仏教式に手厚く葬り、そうなった訳を言い出す。 そこで黄檗は気付く訳である。そして、師匠を平手打ち。・・・当たり前だが、畜生に転落しようが、それをママ受け止めるべしというのがが佛の教え。高僧がそれを救ってあげようと考えることも、と言語道断。 おそらく、そこで、もごもごと二人で話込んで大笑いの態である。 当然ながら、百丈を継ぐのは、この黄檗以外に考えられない訳で。 成式先生、この手の話は大好きな筈。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |