表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.16 ■■■ 樹木に浮かんだ文字なんということなき、お寺の改架屋の際に、古樹に現れた祥瑞話が収載されている。齊永明九年[491年],秣陵[江蘇南京]安明寺有古樹, 伐以為薪,木自然有“法大コ”三字。 [卷十 物異] “法大コ”という言葉が意味するのは、"大コ!大コ!大コ! 善哉、善哉。"だろうか。 (善現告言。由斯我説有情無邊故諸菩薩摩訶薩所學般若波羅蜜多亦無邊。憍尸迦。) 爾時會中。天帝釋等欲界諸天。梵天王等色界諸天。 及伊舍那神仙天女。同時三返高聲唱言。善哉善哉。大コ善現。 [大般若波羅蜜多經卷500 第三分現窣堵波品第五之一] さすれば、この引用理由の鍵は、"永明九年"かネ。 抜群の血筋を誇り、"三十内望為公輔"と自ら語る権力欲紛々の王融[467-493年 字:元長]が、齊武帝の命で《三月三日曲水詩序》を書き、一躍時の人になった年である。しかし、その2年後、27才の若さで獄中で自殺を迫られることになる。阿修羅的な、たいした大人物と言えよう。 マ、そう思ったのは、「永明九年策秀才文五首」@文選卷第三十六を著しているから。一種の科挙受験生用心得帳なのか、文章はこんな風に始まる。・・・ 問秀才高第明經: 朕聞神靈文思之君,聰明聖コ之后,體道而不居,見善如不及。 永明十一年版もあり、それが秀逸。 問秀才: 秀才の諸君に問いたいことあり。 朕秉籙御天,握樞臨極。 朕は天命で帝に。 五辰空撫,九序未歌。 ところが、時は経つが、さっぱり。 至於思政明臺,訪道宣室, 政の道はどうなの?と詰問される。 若墜之惻毎勤,如傷之念恒軫。 心傷む以外に打つ手なし。 故卹貧緩賦,省繇慎獄。 さればと、貧民を想い、 負担を減らし、罪も軽くす。 幸四境無虞,三秋式稔。 幸に、国境穏やかにして、実りも健やか。 而多黍多稌,不興兩穗之謠; だが、 穀稌豊穣にもかかわらず、謠で寿ぐことなし。 無褐無衣,必盈七月之歎。 逆に、 褐さえ無く、衣も無しと、"豳風 七月"風に嘆くのみ。 豈布政未優,將罷民難業? 優れた政事拡がらず、だろうか。 はたまた、民が仕事をしにくいとでもいうのか。 登爾於朝,是屬宏議。 諸君! 朝廷に馳せ参じ、活発に議論してはくれまいか。 罔弗同心,以匡厥辟。 心は同じ。 君主を正道にのせてはくれまいか。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |