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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.21 ■■■

「畢」は文字の構成から言えば、「田+𠦒」で田罔のことだとされている。[説文]
「罔」は「网+亡」であり、隠してしまう網という意味のようだ。
しかし、そのような道具の名称として使われることはなく、もっぱら天体の表象。さすれば、田とは天球かも。(月在甲曰畢。又星名。[詩 小雅朱註])
普通、使われるのは、二十八宿中の西方白虎七の第五宿の名前としてだという。この宿は、牡牛座を中心とする15の星官からなるが、そのうちの"畢"は長い柄の兎捕獲網(状如掩兔之畢)とされている。
ただ、どういう訳か雨師でもあるらしい。

ところが、死後の世界では、それとは全く別な用語として使われているとの話が収載されている。・・・

太和五年[831年],復州[湖北仙桃]醫人王超[「仙人鑒圖訣」著者],善用針,病無不差。
於午忽無病死,經宿而蘇。
言始夢至一處,城壁臺殿如王者居。
見一人臥,召前袒視,左有腫,大如杯。
令超治之,即為針出膿升余。
顧黄衣吏曰:“可領畢也。”
超隨入一門,門署曰畢院,庭中有人眼數千聚成山,視肉瞬明滅。
黄衣曰:“此即畢也。”
俄有二人,形甚奇偉,分處左右,鼓巨吹激,眼聚扇而起,或飛或走,或為人者,頃刻而盡。超訪其故,
黄衣吏曰:“有生之類,先死而畢。”
言次,忽活。

   [續集卷一 支諾皋上]
腕が立つ鍼灸医が病でもないのに突然死。
それが、どういう訳か、蘇生。
その人が見てきたと主張する死後の世界。
そこは娑婆同様の社会であり、腫を患う王に呼ばれて治療を施し、成功したと。そのお礼なのか、
  官吏から"畢"を賜られることに。
(正確には、連れて行って"畢"を見せよ、と王が官吏に命じただけ。)
連れていかれた部署は"畢院"で、そこには人の目が数千も山のように集められていた。その"視肉"がそれぞれ勝手に瞬きをしていたのである。
  官吏によれば、それが"畢"だと。
暫くすると、奇異で偉大な印象を与える者がやってきて、扇で風を送って、眼の山を吹き飛ばしてしまった。
 官吏が、死ぬ前に先ず"畢"が来るのだ、と説明してくれた。
それを聞いた塗炭に復活したと言う。


いくら検索しても出典らしき文章が見つからない。
このような意味の"畢"も見当たらない。

僅かに関係ありとすれば、"畢用桑"@禮 雜記か。
註によれば、杖のような葬儀用具。田[=ヒトの魂]を捕らえる罔[=網]の柄の感覚かも知れぬということで。

もう一つ、おどろおどろしい単語、"視肉"も登場する。
こちらは、知る人ぞ知る「山海經」に並ぶ怪獣名称の一つ。"帝堯、帝、帝舜葬於岳山。"@大荒南經等々に住むとされている。
儒学とは対立的な書である上に、妖怪だらけと決めつけられているので、信頼できる解説情報は少ないのではないか。そう考えたので、ほとんど調べていないが、郭璞[276-324年]の注による定義が通用していそう。未詳や未聞との記載もあるので、信用してもよかろうということか。
 聚肉,形如牛肝,有兩目也;
 食之無盡,尋復更生如故。


「酉陽雑俎」では、屍視肉といった意味で使っているが、「山海經」もそんな見方の可能性もあろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 4」東洋文庫/平凡 社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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