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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.23 ■■■

易姓革命

たった2行の歴史小説あり。

潁陽[河南許昌]碑,魏曹丕受禪處,後六字生金。
司馬氏金行,明六世遷魏也。

   [卷十 物異]

後漢の献帝/劉協の治世最期[220年]の元号が延康。
その元年1月、三国時代の魏の基礎を作った曹操(丞相・魏王)が死去し、曹丕が爵位を継いだ。そして、10月には帝位禅譲(易姓)へ。
1行目はその話。

出典を教えてもらわねば、なんの面白味も無い。そもそも、碑がなんなのかもわからない訳だし。・・・

《魏書・國志》曰:
文帝以漢獻帝延康元年,
行至曲蠡,登壇受禪於是地,
改元黄初,其年以潁陰之繁陽亭為繁昌縣。
城内有三台,時人謂之繁昌壇。壇前有二碑。
昔魏文帝受禪於此,自壇而降,曰:
  
舜,禹之事,吾知之矣!
故其石銘曰:
  遂於繁昌築靈壇也。
於後其碑六字生金,
論者以為司馬金行,故曹氏六世,遷魏而事晉也。

  [「水經注」卷二十二潁水]

魏の文帝/曹丕は、早速にして、黄初と改元。
五行では黄色は「土」を示す。
漢は「火徳」王朝なので、それを継ぐ王朝は「土徳」たるべしということ。堯から禅譲された舜や、さらに禅譲された夏の初代帝たる禹王朝における「徳」のなんたるかを知っているとは、そのこと。。

そういうことで「蒼天已死 黄天當立 在甲子 天下大吉」をスローガンにした反乱も発生した訳である。鎮圧された訳だが、その辺りで"劉"姓王朝の命運は尽きたのである。第13代は半年待たずして退位させられ、その後、朝廷不穏につき毒殺される。第14代もほとんど力発揮できずの態。
儒教的には、"劉"王朝は徳不足とされるのである。これこそが中華帝国の歴史観である。

もちろん、"思想的"裏付けあってのこと。
陰陽五行家の祖とされる鄒衍[B.C.305-B.C.240年]が著した五行相勝の王朝交代「原理」がもち出される。(黄帝「土徳」⇒夏「金徳」⇒殷/商「水徳」⇒周「木徳」⇒漢「火徳」⇒次王朝「土徳」⇒・・・延々と現代まで続くのである。それが中華帝国の"誇り"なのだ。)

マ、臣下が君主を廃位させるだけでなく、その地位をのっとる行為に、お墨付きを与える屁理屈以上ではない。もっともそう感じるのは、儒教に染まっていない国の人々だけ。

さて、曹丕の次の改易と言えば、(西)晋の初代皇帝"武帝"司馬炎[236-290年]
「酉陽雑俎」の上記の文章では2行目にあたる。
魏から禅譲を受けたのは266年のこと。都は洛陽。久方ぶりの帝国樹立。
今度は、「金徳」王朝にあたる。
従って、"金碑"話は願ってもないこと。

成式も嫌味で、魏の曹王朝は「丕→叡→芳→髦→奐」の5世代だというのに、曹氏は六世と記載している。つまり、漢の時代の曹操を"太祖"「武帝」としていることになる。(髦と奐は「廃帝」で十分。)
実際、曹操の視野は広かったようだ。呉や蜀の内情もよく知っており、手に入れたいものだと公言する剛毅な性格だったようである。・・・

嘗在司空曹操坐,操從容顧衆賓曰:
“今日高会,珍羞略備,所少呉松江鱸魚耳。”
放于下坐應曰:
“此可得也。”
因求胴盤貯水,以竹竿餌釣于盤中,須臾引一鱸魚出。操大拊掌笑,会者皆驚。
操曰:“一魚不周坐席,可更得乎?”
放乃更餌鈎之,須臾復引出,皆長三尺余,生鮮可愛。
操使目前会之,周浹會者。
操又謂曰:
“既已得魚,恨無蜀中生姜耳。”
放曰:
“亦可得也。”
操恐其近即所取,因曰:
“吾前遣人到蜀買錦,可過敕使者,搦s二端。”
語頃,即得姜還,並獲操使報命。
后操使蜀反,驗問搴ム之状及時日早晩,若符契焉。

  [「後漢書」卷八十二下方術列傳 第七十二下 左慈]
魏の曹操は宴会[おそらく洛陽]で、
呉の松江の鱸魚
[スズキ]があれば素晴らしいのだがと言う。
方術師が即座にかなえると、これには蜀の生姜が欲しいところだと言う。
こちらもかなえられる。
確かめると、その通りだったと。


─・─・─皇帝一覧─・─・─
  <(後)漢>
25年即位初代光武帝/劉秀[B.C.5-57年]
   :
146年即位第11代桓帝/劉志[132-168年]
167年即位第12代霊帝/劉宏[156-189年]
   黄巾の乱@184年
189年即位第13代少帝/劉弁[173-190年:毒殺]
189年即位第14代献帝/劉協[181-234年]
   ↓禅譲=易姓
  <魏>
220年即位初代文帝/曹丕[187-226年]
226年即位第2代明帝/曹叡[206-239年]
239年即位第3代少帝/曹芳[232-274年]
254年即位第4代少帝/曹髦[241-260年]
260年即位第5代元帝/曹奐[246-303年]
   ↓禅譲=易姓
  <(西)晋>
266年即位初代武帝/司馬炎[236-290年]
290年即位第2代恵帝/司馬衷[259-307年]
307年即位第3代懐帝/司馬熾[284-313年]
313年即位第4代愍帝/司馬[300-318年]
   :
   :
  <隋>
581年即位初代文帝/楊堅[541-604年]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡 社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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