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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.24 ■■■

麝香が薫る錦袋に入っていた蟲

六朝時代の都である健康/南京の宮城正南口は"宣陽門"。そこでの拾得物の話。

【麝
晉時有徐景,於宣陽門外得一"錦麝"。
至家開視,有蟲如,五色,後兩足各綴一"五銖錢"。

  [卷十 物異]

この門の通称は"白門"。逢引の地というイメージでは。
もちろん、以下の詩から考えた、素人の想像でしかないが。・・・

  「春雨」 唐 李商隱
 悵臥新春白袷衣,白門寥落意多違。
 紅楼隔雨相望冷,珠箔飄灯独自歸。
 遠路應悲春晩,残宵犹得梦依稀。
 玉緘札何由達?万里云羅一雁飛。


そうだとすれば、錦の"麝"とは、麝香練り込み墨で染めた超高級な錦の袋と見てはどうだろう。
魅惑的な袋の中に蟲を閉じ込めていることになる。

ただ、蟲といっても、多分、蝉の抜け殻の一種。
ご存知のように、蝉は、成虫になって生きている期間は極く短い。その間だけ、一心に鳴き続け、すぐに逝ってしまう。まさに、儚なき生命そのモノ。
日本の精神文化だと、そこにジーンとくる訳だが、中華帝国にはそんな無常観は似つかわしくはなかろう。されど、"短くも美しく燃え"ならぬ、たとえ短くても太く生きるべしが望ましい人生観では。

そんな蝉の抜け殻を五色に塗り分け、足に"五銖錢"をくくりつける。
流石に、コリャ、一体ナンダカナ、である。

この貨幣、前漢武帝時初鋳[B.C.119年]とえらく古いが、普通に流通していた、なんの変哲もないコインでしかない。なにせ、廃絶は開元通宝発行時[621年]であり、極めて長期間使われているから、その発行枚数が最大であることは間違いないのである。
但し、改鋳が頻繁に行われたから、細々したデザインでの違いは色々ありそう。しかしながら、文字表記だけは、数字の"五"と"銖"[重量の単位]という至ってシンプルなもの。
従って、表象的には、"僅かな価値"ということになろうか。
言ってみれば、そんな些細なモノに足をとられている蟲の図となろう。

そうなれば、"蟲"の意味は必然的に決まってこよう。・・・
戯れ遊ぶ仙人の境から、くだらぬモノに係り合わざるを得ぬ娑婆の世界へと、落ち込んでしまった謫仙、となろう。

娑婆の世界は儚きものと頭ではわかっていても、惚れてしまえば毎日の逢瀬がいたく嬉しいものヨのう、と言ったところ。日々、仙界で遊ぶこと、それこそが楽しみ、と言っていられなくなってしまった訳だ。

そんな、謫仙を閉じ込めた袋を抱えた、魅惑的かつ知的でもある女性が、毎日のように白門にて、くだんの男が現れるのを心待ちにしていたことになろう。
しかし、ついぞ現れなくなったので、ついに諦め、袋ごと捨てたのであろうか。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡 社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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