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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.21 ■■■

紅沫

「卷十 物異」に、とってもつまらぬ記述としか思えない一行がある。
「朱筆で石に明記」という以上ではなさそうな内容だからだ。

もちろん、朱墨で石に書き入れてから、それを削っても、文字がはっきりと残っていたので、それを"異なモノ"と扱っただけと言えないこともないが。・・・

【紅沫】
練丹砂為黄金,碎以染筆,書入石中,削去逾明,名曰紅沫。


丹砂[=硫化水銀が主成分の鉱物"辰砂"]はもともとは錬金術が対象とする主原料だった。
それが、不老不死の丹薬の素とされるようになった訳であるが、主用途はあくまでも朱色の顔料。砕いて朱墨としても広く使われており、珍しいものではなかろう。

コレ、インテリ層にとっては、ほとんど常識の範疇とはいえまいか。現代も唐代も似たような状態と思うが。
にもかかわらず、それをわざわざ記載した理由はなんなのだろう。

書入石中ということは、儒者 蔡の事績@175年を想起せよかネ。
太学の門外に建てる光滑ある碑石に、朱砂で六経[五経+1か?]の文字を下書きしたとの、熹平年代の"丹書"話である。[「後漢書」]
(言うまでもないが、考古学的にはそれ以前から存在する。未刻なら朱筆は殷の時代に普遍的に存在していたようだから当然だろう。)

それを考えると、未刻の、墓志が丹書されている碑石の話かも知れぬ。なんらかの理由で、それを削り取った石碑があるが、まだ、昔書いた字の痕跡が残っているゾとの指摘。

そう思うのは、いかにも、"紅沫"と呼ぶ点に注目せよという調子の記述だからだ。

その"沫"だが、古水名と言われている。
蜀西徼外の東南入江[大渡河のことであろう.]を指すらしい。[「説文解字」]
常識的に考えれば、跳波や瀑流といった状態での、浮沫とか噴沫といった表現に用いる文字である。
従って、湯茶の用語にも転じたり。・・・
 凡酌置諸𷍎[=椀],令沫均。
 沫,湯之華也。
 華之薄者曰沫。又紅沫。
 [陸羽:「茶經」]

もちろん、唾沫という言い方にもなる。内容無き演説屋の仕草にピッタリな単語だが、それよりは"泡沫"という単語の方に人気がありそう。

それはともかく、この場合に参考とすべき用例としては、屈原の代表作である長編の「離騒」@楚辞。もちろん、語感で素人が勝手にそう思ったにすぎぬが。

 時繽紛其変易兮,又何可以淹留。
  :
 惟茲佩之可貴兮,委蕨美而歴茲。
 芳菲菲而兮,芬至今猶未沫。
時世は乱れて繽紛たり。ただただ移り変わるのみ。
 どうして、留まったままでいられるというのだ。
  :
それにしても、なんとまあ、
 惟茲の佩物が醸し出す貴賓の見事さヨ。
 その美は委ねてしまったから、茲に歴史の藻屑のなかへ。

だが、その芳香、菲菲として虧け難く、
 今に至っても芬々とし、今猶、飛沫化せず。


もちろん、成式の【紅沫】とは、南方由来たる屈原の芳香たる精神ではないし、ましてや、北方由来の詩経の精神でもない。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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