表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.25 ■■■ 謝豹謝豹,虢州[河南靈宝]有蟲名謝豹,常在深土中。司馬裴沈子常治坑獲之。 小類蝦蟆,而圓如球,見人以前兩腳交覆首,如羞状。 能穴地如鼢鼠,頃刻深數尺。 或出地聽謝豹鳥聲,則腦裂而死,俗因名之。 [卷十七 廣動植之二 蟲篇] 虢州に"謝豹"と呼ばれる動物が棲んでいるとの話。 土中深くに常時棲息するとされる。 司馬の裴沈子が、坑の工事を統治していたので、この動物を獲ったとか。 蝦蟇の一種とされているが、体形は球のように丸い。 首に両前脚を交錯させ、 (頭を隠す仕草をし、) 羞恥の姿勢をとっているように見えるという。 : この地域には"謝豹鳥"がいるのだが、 "謝豹"はその声を聴いた途端に、 脳みそが破裂し死んでしまうという。 それが、命名の由来。 いい加減な拙訳版は、一行抜き。[モグラの如くに地中に穴を掘るのが得意で、たいした時間も掛けずに深さにして数尺に達する。] この部分は、さも実在の地中生物を描いているように、成式が恣意的に入れ込んだものと見た。その意気に応えて、現代版なら、ここはカットした方がよかろうということ。 つまり、こういうこと。・・・ 上記の最後をそのような文章で〆ている文章があるからだ。[朔雪寒 編集:「蝸觸蠻三國爭地記」] 蟲天逸史或曰,謝豹人也,抱恥而死,其魂爲蟲,潛入地中,羞見人,掘出之,猶以是自覆其面作忍恥状。 ある人曰く。 "謝豹"とはヒトである。 恥ずかしい思いをしたので、死んでしまった人がいた。 その魂は蟲に為り、地中に潜行することに。 人に見られること自体が恥ずかしいからだ。 従って、掘り出されると、 顔を覆って恥を忍ぶ態度を示すしかない。 この部分は、「酉陽雑俎」の読み本の註記あるいは、後世のフィクション部分の可能性もあろう。 しかし、解説としてみるなら、ポイントをズバッと指摘していると言ってよいだろう。 この手の考え方を敷衍するなら、"謝豹鳥"の声を聴くと、余りの恥ずかしさのあまり、頭が爆発してしまうことになる。 この鳥だが、唐末の詩人張泌の詩に登場してくる。あだ名であろう。 「晩次 湘源県」 烟郭遥聞向晩雞,水平舟静浪声齊。高林帯雨楊梅熟,曲岸籠云謝豹啼。 二女廟荒汀樹老,九疑山碧楚天低。湘南自古多離怨,莫動哀吟易惨悽。 今村与志雄が指摘するように、杜鵑/不如帰[ほととぎす][→]かも。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |