表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.26 ■■■ 韋行規と雷武侠小説の主人公"韋行規"は、作られた人物像ではなく唐代に実在した有名人だったようだ。"博學多藝"らしい。[李翱:「李文公集」韋氏月録序]・・・ 韋行規自言少時遊京西,暮止店中,更欲前進,店前老人方工作, 曰: “客勿夜行,此中多盜。” 韋曰: “某留心弧矢,無所患也。” 因進發。 行數十裏,天K,有人起草中尾之。韋叱不應,連發矢中之,復不退。 矢盡,韋懼,奔馬。 有頃,風雨忽至。韋下馬負一樹,見空中有電光,相逐如鞠杖,勢漸逼樹杪,覺物紛紛墜其前。 韋視之,乃木劄也。須臾,積劄埋至膝。 韋驚懼,投弓矢,仰空乞命。拜數十,電光漸高而滅,風雷亦息。 韋顧大樹,枝幹童矣。鞍馱已失,遂返前店。見老人方箍桶,韋意其異人,拜之,且謝有誤也。 老人笑曰: “客勿持弓矢,須知劍術。” 引韋入院後,指鞍馱言: “卻須取相試耳。” 又出桶板一片,昨夜之箭悉中其上。 韋請役力汲湯,不許。 微露撃劍事,韋亦得其一二焉。 [前集卷九 盜侠] 韋行規が若い時、京西で遊んでいた頃のコト。自ら直接話してくれた。・・・ 日が暮れ、とある駅に着いた。更に先を急ごうとしていたら、店の前で工作中の老人がおり、言うことには、 「お客人、夜道を行くのは止めた方がよいよ。 此処は、盗賊が多いところだから。」 韋行規は、それに応え、 「私には、弓矢の技には覚えがあり、 賊に心患することなど無いのです。」と。 ということで、早速、出発。 10里も進んだろうか、真っ暗になってしまい、草叢のなかに、なにやら韋行規を尾行している者がいる感じ。 何ヤツと叱咤すれども返事無し。 そこで、ソヤツ目掛けて矢を連発。 されど、ひるまずに平然と追ってくる。 次々と矢を放ったので、ついに矢が尽きてしまい、韋行規恐懼。馬を疾走させ、逃げの一手に。 そうこうするうち、忽然として、風雨到来。 しかたなく、韋行規は馬から降りて樹木の下で雨宿り。 空に稲妻が走るのを見ているだけ。それは、あたかも、ポロのスティックで球を強打し飛ばしているかのよう。暫くすると、その勢いが樹木に被さるようになってきた。 そして、目の前に、芬々とした調子でモノが墜ちてきた。 これをじっくり視てみると、どうも木のお札のよう。それが続いたので、積もり積もってついに膝の高さにまで。 恐懼し、弓矢を投げ捨て、天を仰いで命乞い。数十回も拝したろうか。どうにか、徐々にだが、稲妻も収まり、風や雷鳴も落ち着いてきた。 樹木の周りを顧みてみると、幹も枝も大わらわの状況。馬の鞍に乗せた荷物もどこかに失踪。しかたがないので、もと来た道を駅の方に引き返すしかなかった。 戻ってみると、先の老人は桶に箍を嵌めている最中。韋行規は、常人ではないお方と見て拝礼。非礼な態度で接し自分は間違っていたたと深謝。 老人は笑い、言った。 「お客人、弓矢に頼るのは止めた方がよいよ。 剣術にはとうてい勝負にならんことを知っておくべし。」と。 老人は韋行規を、院の後ろの方に連れて言った。そこには、鞍と荷物があり、それを指さし、 「これを持っていきなさい。 どんなお力なのか、ちょっと、試してみただけなので。」と。 そして、さらに、桶板を一枚取り出した。なんと、その上には、昨夜放ったすべての矢が。 韋行規は、苦力や湯沸かし等の仕事をしますので、使ってくれまいかと頼んだが、断られた。 しかし、僅かではあるものの、剣で撃つところを披露してもらったので、一二の小技を習得することができた。 (岡本綺堂訳@青空文庫があるが採用しなかった。) どうも、ステレオタイプの話に映るので、読む方としては今一歩感しか残らぬ。もっとも、武侠伝とはそういうモノかも知れぬが。 しかし、成式が収載した、武侠人"韋行規"のお話は、コレだけでなく、もう一本ある。そちらと、一緒に読むとなかなかの面白さ。 上記の出来事を切欠として雷好きになったのかナと思ったりして。 なにせ、当人が、わざわざ皆に伝えた話でもあることだし。・・・ 興州有一處名雷穴,水常半穴。 毎雷聲,水塞穴流,魚隨流而出。 百姓毎候雷聲,繞樹布網,獲魚無限。 非雷聲,漁子聚鼓於穴口,魚亦輒出,所獲半於雷時。 韋行規為興州刺史時,與親故書説其事。 [續集卷二 支諾皋中] 興州に"雷穴"と呼ばれる(洞窟のような)場所がある。何時も水があるが、丁度、穴の半分位。 ところが、雷鳴が聞こえると、毎回のことだが、水が流れ出し、穴を塞いでしまう。その上、魚がその流れに従って穴から出てくる。 百姓達は、ここぞどばかり、雷鳴を耳にした途端に出かけて行って、樹を繞らせ、そこに網を布いて、魚を獲る。 それこそ、漁獲量は無限。 雷鳴無き時は、 漁師衆は集まって穴の入り口で太鼓を叩いて (雷鳴のような音を出すことで) 魚を出させるのである。 と言っても、 本当の雷鳴の時の漁獲量の半分しかないが。 この話は、 興州刺史の韋行規が、書にしたためたお話。 興州は陕西略陽のようだが、甘粛や湖北にもあったようだし、後代だと山西や遼寧にも存在している。韋行規の職歴はわからないので、陕西が確実という訳でもなさそう。 と言うことで、小生は、ココは成都辺りの沔陽と、勝手に、考えたい。そこには丙という地があり、穴があるからだ。 それを、韋行規が"雷穴"と呼んだとみなすのである。 丙穴の漁師の所謂"百姓"姓が"雷"なので、雷穴と命名されたと考える訳。言うまでもないが、雷穴で獲れるのは嘉魚ということになる。勿論、美味。知る人ぞ知る場所である。・・・ 「将赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首 其一」 杜甫 得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。 魚知丙穴由来美,酒憶郫筒不用酤。五馬旧曾諳小径,几回書札待潜夫。 "成都の草堂に行く途中の作:行先にいらっしゃる嚴鄭公に寄せて" 成都の茅屋に帰ることができるようになりましたのは、 再度赴任された文翁のお蔭以外のなにものでもありませぬ。 閭閻をして、揖譲の雰囲気が成都に満ちておりますなら、 我家の松竹が荒廃したことなど論ずる要もありませぬ。 あの丙穴で獲れる魚の美味さも知っておりますし、 郫筒の酒も用立てなくして呑める所なのですから。 草堂への小径の道筋を随分と通って頂きましたし、 待っているからと、何通もの書状も送って頂きました。 到着を前にして、様々な想いがよぎってまいります。 おわかりになると思うが、このような穴は成都でなくても、そこここに存在していてもおかしくあるまい。雷姓の漁民もほうぼうに拡散していそうだし。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |