表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.4 ■■■ 蒟蒻"魔芋"(古代は"妖芋")とは蒟蒻/Konjacの名称。製品としてのコンニャク/Devil's tongueは"魔芋豆腐 or 雪魔芋"と呼ばれているとか。"去腸砂"とも言われたりしていたようで、今でこそ、四川〜雲貴辺りで大量に栽培されているものの、長いことまともに食用にされていなかったのはこの名称から自明と言えよう。(1980年代だと、ほぼ日本だけが食材に利用と見てよかろう。米国では安全性未確認で未承認扱いだった。)ところが、そんな植物を、僅か一行にすぎないとはいえ、成式がとりあげていたのである。 蒟蒻、根大如椀。 至秋葉滴露随滴、生苗。 [卷十九 廣動植類之四 草篇] 蒟蒻の根は椀くらいの大きさ。 秋になると、葉からの露が随時滴り落ちて、苗が芽吹く。 それなりに知られた植物で、その注目点は根の大きな塊だと言っているに過ぎないが。 ただ、芋とは呼ばず、根と指摘しているのは流石。 そうそう、常識的には春苗作物である。(2年モノの春苗秋収穫を標準的栽培と見て。) こんなことを、間違える訳がないから、あえて、秋季の露による秋栽培が行われているとの指摘に他なるまい。つまり、マイナー作物化してしまったということ。春苗不適な夏乾冬湿地域で、冬小麦生産ができないから、やむなく、ほそぼそと栽培されている状態ですゾと書いている訳だ。 その地域は蜀@四川ではなかろう。 と言うのは、「酉陽雑俎」の70年ほど後の日本の文献に、蜀の珍味として紹介されているから。[「和名類聚抄」[931〜938年]"園菜類"] 蒟蒻文選蜀都賦注云 蒟蒻(栩弱二音和名古邇夜久)其根肥白 以灰汁煮則凝成 以苦酒俺食之 蜀人珍焉 「文選」の"蜀都賦"の(李善による7世紀末の)註記には、蒟蒻の根は白色であり、灰汁で煮ると凝固する、と。苦酒[=酢]で食べる。蜀人の珍味。尚、"蒟蒻"は「古邇夜久(こにやく)」と読む。 但し、この"珍"は人気を意味する訳ではなく、ほとんど廃れているが、例外的に残存しているという意味だろう。 "蜀都賦"は「酉陽雑俎」より400年以上古く[250-305年]、その頃は作物とみなされていたが、成式の頃になると、蒟蒻に関心を払う人はほとんどいなくなっていたということでは。 其園則有 蒟蒻,茱萸,瓜疇,芋區,甘蔗,辛薑。 [魏晋 左思:「蜀都賦」] その園芸畑では、蒟蒻、茱萸、瓜疇、芋区、甘蔗、辛薑が育っている。 何故に、食材として嫌われたかといえば、李時珍:「本草網目第十七草之六毒草類四十七種 」@1596年南京での記載内容からなんとなく想像がつく。 "局箬" [釈名] 頭、鬼芋、鬼頭 【気味】辛,寒,有毒。 李廷飛曰:性冷、甚不益人、冷氣人少食之。 生則戟人喉出血。 【主治】癰腫風毒,摩敷腫上。 搗碎,以灰汁煮成餅,五味調食,主消渴。 毒性ありと耳にすれば、長命願望の観点から嫌われる可能性大である。それに、湿布薬的に用いられるから、使用後に食用にされたりしかねず、避けたい材料と言えよう。 日本の感覚とは正反対では。芋にはシュウ酸カルシウムが入っているから、生で食べることなどあり得ない。球茎を粉にして、草木灰を加えた水でよく混ぜ、煮沸し、ゼリー状化させる。その上で、灰汁を抜くため、もう一度煮沸するのだから、毒性を気にする人はいそうにない。 一方、平安時には、糖尿病罹患貴族が多かったろうから、治療食として人気があった筈である。さらに、鎌倉期からは、禅寺が精進食を勧めたから、大いに普及が進んだのだと思う。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |