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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.10 ■■■

Kachin族

時代を明確にしておきながら、恣意的に場所を明記しない話が収載されている。

さすれば、ソコにタネあり。・・・

虞道施,義熙[405-418年]中,乘車山行。
忽有一人,烏衣,徑上車言寄載。
頭上有光,口目皆赤,面被毛。
行十裏方去,臨別語施曰:
 “我是驅除大將軍,感爾相容。”
因留贈銀環一雙。
  [卷十四 諾皋記上]
虞道施が、5世紀初頭に山中を馬車で移動していた時のこと。
忽然として、真っ黒な衣服の人が現れ、
走っている最中というのに上がってきて、
 車に載せてくれないか、と。
後光が射しており、口も眼玉もすべて真っ赤。
顔の全面が毛で被われているという、異様なお方。
そのうち十里も進んだだろうか。
別れの言葉をかけて、去って行った。
 「我は、是、駆除大将軍たるぞ。
  お前の、相容な態度に感じいった。」と。
と言うことで、銀環一組が贈り物として残されていた。


はてさて、これを、どう読もうか。

"驅除大將軍"が何者かはわからぬが、道教的な名称かナとの印象を与える。
ところが、該当しそうなポジションが見つからない。
一方、その姿の描き方は、密教仏像的な様相と言ってよいだろう。はたして、「佛説安宅陀羅尼咒經」[釈尊精舎にて説教の場]に、"二十八部 鬼師大將軍"の単語が見える。だからといって、ソレとは限らぬが。だが、二十八部衆的な位置付けに映るように書いたと見ることはできよう。つまり、初期の仏教勃興時に帰依した、インド周辺少数部族の長ということ。

そうだとすれば、このシーンは、山間部に住まう部族長が、中華帝国からやってきた高官の品定めにやってきたの図ではあるまいか。不逞な中央官僚なら、即座に駆除すべく、目を血走らせてやって来たのである。
同乗し、ほんの短時間にすぎぬが、その振舞いから、直観的にこの男ならOKと判断したのだろう。言葉が違うので会話はできぬが、なんとなしに両者気心が通じあったのであろう。銀環はお仲間として承認した"お印"ということ。これがあれば、この地を安全に通行可能であるぞヨと宣ったのと同義。

その、贈り物の銀環だが、日本の感覚だと、この単語はイヤリングになる。しかし、ここでは、ブレスレット(釧)と見た方がよかろう。

銀製は別だが、腕輪自体は先史時代からあり、日本も含め、どの地でも、老幼男女を問わず、魔除け用に使っていた、汎用的装身具だ。つまり、誰にあげてもよさげなモノ。
ただ、中華帝国の権力者が好んだのは、もっぱら玉製(白,黄,紅,碧,玄)かガラス系。象牙,貝,骨も使われているが、銀は除外されていたようである。葬祭儀式に拘る風土だから、表面がすぐに錆てしまう銀は不適と見なされたのであろう。

ところが、腕輪を含め、銀製を特別視している少数民族が存在する。
瀾滄江〜金沙江辺りの山間部に住む景頗族/チンプオ/Jingpoである。[インド〜ビルマ〜タイのKachin族とほぼ同一。(精霊信仰とされる。キリスト教が普及しているとも。)]
少数民族紹介写真を眺めると、男達は、たいていは黒あるいは白の襟付き上着を着ている。(観光情報はそれなりに豊富だが、何故に黒衣を好むのかの記載は見つからなかった。烏がトーテムとの話も無さそう。)
マ、このようなことがすぐにわかるのは、この少数民族に関心が集まっているからに他ならない。その理由は、銀細工の類い稀なる技巧ではない。諏訪大祭と同じように4本の長さ約20mに揃えた巨大柱[木代]を立てる大祭[目腦節]が開催されるから。
そこで、その写真を眺めると、人々は、これでもかと言う程に銀のアクセサリーを装着している。それほどの情熱をもって銀への執着を見せるのは、身に着けていると、それらが龍の鱗に変わるとの伝説があるかららしい。龍がトーテムなのである。
そこでの男達は、まさに鬼に成り代わって祭りを大いに盛り上げる訳だ。
この祭には、土着信仰を次々と習合して官僚制度に組み込んで来た道教によって消し去られた、古代信仰の輝きが残っているのは間違いない。

ということで、成式は、少数民族の風俗話を、怪奇譚として描いて見せたのである。

話が変わって恐縮だが、小生の勝手な推測を付け加えておこう。
銀環をつけた景頗族の女性は、当時の都市のインテリ層には極めて魅惑的に映ったのではないか。美人であるのは勿論のことだが、その心情に。
そう思うのは、白楽天が詠んだ"銀環"歌曲があるから。
歴代文人が惚れこんだ名妓女が、枝で銀環をつくり、葉の草笛を玉笛のように吹いてくれると、そこには、格別な風情あり、と。もちろん、その蘇家小女が景頗族という訳ではなく、両親を亡くして独り身だったので詩妓として生きただけのこと。おそらく、早逝。・・・

「雑曲歌辞 楊柳枝八首 其六」 白居易
 蘇家小女舊知名,楊柳風前別有情。
 剥条盤作銀環,卷葉吹爲玉笛聲。


現代観光の目玉も、実は大祭そのものではなく、美しく磨き上げた少女が大勢揃うことにあるのかも。その雰囲気に浸るだけで若返った気になれるからである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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