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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.11 ■■■

ガマの糞

ヒキガエル[蟾蜍]由来の漢方薬の話が「卷十 物異」に収録されている。

【土檳榔】,状如檳榔,在孔穴間得之,新者猶軟,相傳蟾蜍矢也。不常有之,主治惡瘡。

なにを指すのかは、後世の本草書を見るとわかる。矢とは屎なのである。・・・

矢主惡瘡,謂之土檳榔,出下濕地處,往往有之。
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蟾蜍矢,謂之土檳榔,下濕處往往有之。亦能主疾。

  [宋 唐慎微:「證類本草卷第二十二 下品」@欽定四庫全書]
榔主惡瘡諸蟲咬及瘰癧疥瘻等細研油塗
之状如榔於土穴中及除間得之新者/猶軟云蟾蜍屎也蟾食百蟲故特主惡瘡

  [曹孝忠:「重修政和經史證類用本草卷第五」(C) Kanseki Repository]

成式も、いくらなんでも、コリャ本当かいネ、と見たのではなかろうか。

ヒキガエルなどどこにでもいるから、生物観察好きがその生態を観察していない訳がない。小生は、飼育したことがあると見る。
皮膚を濡らすことさえできるなら、なんの難しさも無いと言われているからだ。なにせ、闘争心の欠片も感じさせないらしいし、死んでいる虫を目の前で動かせばすぐにペロリとくる。

糞はある程度まとめて出るらしく、不定期で、体の割には太くて長いものになるようだ。
常識的には、フンコロガシ的な昆虫に分解されるのだろうが、水溜まりに残っていたりすると、土中に軽く埋まる状態になることもあろう。ガマ君が昆虫のキチン質を消化できる訳もないし、土中ですぐに分解されることもないから、そんなものが沢山入っているウンチそのもの。
それを、ハレモノに塗ると効果ありというのである。

成式先生、家人達に試してみナと、やった筈。そして、その結果、これは「物異」として扱う価値ありと判断したのだと思う。

何故かといえば、真の"ガマの油"は本格的な薬であるからだ。
それは、ヒキガエルの耳腺から分泌される毒性液体を収集したものを円盤状に乾燥させたもの。"蟾酥"と呼ぶ。
それを"油"か"アルコール"で溶けば立派な薬剤になる訳である。

この"蟾酥"だが、舐めると舌端に麻痺を感じるそうだ。素人でも、それなら、局所麻酔薬として使えると断言できよう。
実際、その主要成分はブファリン/Bufalinと判明しており、そうした作用機序があるのは間違いない。
マ、毒なら、適応さえ見つければ薬効ありということでしかないが。
そのブファリンだが、化学構造はジギタリスとほとんど変わらない。"蟾酥"に強心効果ありとの話は至極まとも。(不飽和ラクトン環が6員環と5員環の違い。)

しかし、常識的に見て、"蟾酥"の生産はとてつもない労力を要する訳で、貴人以外はおいそれと使えるようなものではなかろう。
従って、効果はそれよりは薄れるが、同様に効くと称し、ヒキガエルに関係するものがすべて薬として処方されることになったと思われる。その最たるものが、糞と言えよう。
早い話、プラセボ効果極めて大といったところか。ただ、下手なことをすれば、危険そのものではあるが。
もっとも、中華帝国では、命は軽いものと見なされているから、そんなことを気にすることなどあり得ぬ。それよりは、効く筈というだけで、なんにでも試してみたに違いない。その情熱は凄まじいとしか言いようがない。

道教がヒキガエルを聖なるものとみなして、月に住む話を重視してきた理由は、この薬効にもありそう。
仙薬になる重要生物と見なしていたということでもある。なにせ、寿命四万年が実現できるというのだから。・・・
肉芝者,
謂萬蟾蜍,頭上有角,頷下有丹書八字再重,以五月五日日中時取之,陰乾百日,以其左足畫地,即為流水,帶其左手於身,辟五兵,若敵人射己者,弓弩矢皆反還自向也。
蝙蝠---。
此二物得而陰乾末服之,令人壽四萬

  [「抱朴子 内篇 仙薬」]
("霊芝"は、石芝、木芝、草芝、肉芝、菌芝で、このうちの"肉芝"は、万歳蟾蜍、千歳蝙蝠、千歳霊亀、千歳燕。)
"肉芝"に該当する、"万歳のヒキガエル"は頭に角が生えている。下顎の下には赤い八文字がだぶって見える。
これを端午に捕獲し、100日陰干しにする。
その左足を使って地で描けば水が流れ、
左手を身体に当てれば、五兵を避けることができるし、
もしも敵に矢を射る者がいれば、
その矢は反転して射た者の方に還っていく。
次が、千歳蝙蝠。---
この2つを蔭干しで乾燥させたものを服用すると、仙的令人なら寿命は四万歳に達する。


【付録】
著者自らが語るように、「酉陽雑俎」は小説。
全くの創作話ではなく、それなりの"事実"を記載してはいるが、エスプリあっての作品。"どう読むかはご勝手に"であることをお忘れなきよう。医学・薬学的情報の引用記載に見えるからといって、それをママ受け取る必要などない。体裁はそのようなものであったとしても。"パロディ話"に仕立て上げられていて当たり前。
江戸期の本邦作品の、その手の"凄さ"を見よ。
それらは、大衆相手の書とされるが、医学書に全くの無知であれば、読んでも面白くなかろう。「酉陽雑俎」は読者対象が社会の上層である点で異なるが、同じような発想の作品。当然ながら、こちらも、医学書の知識を欠くと、なんだかさっぱりわからぬ奇譚だらけだネ〜、となること請け合い。・・・
後漢 張仲景[150-219年]:「傷寒論」 v.s.
   江戸中期[洒落本] 侠町仲介:「瓢軽雑病論」
 孔子曰 生而知之者上 学_則亜之 多聞博識 知之次也。 v.s.
 格子曰 遊而為之者客 間夫則次之 多分博奕 為之次也。
 小青龍湯 v.s. 小青楼湯,甘草湯 v.s. 勘当湯,
   理中湯 v.s. 女中湯,柴胡加芒消湯 v.s. 期加往生湯
明 李時珍[1518-1593年]:「本草綱目」⇒
[浮世草子]「加古川本草綱目」@1769年,[滑稽本]腐脱散人:「翻草盲目」@1780年,[黄表紙]十返舎一九:「垣覗本草盲目」@1796年,[黄表紙]曲亭馬琴:「加古川本草蔵目」@1797年,[黄表紙]山東京伝:「化物和本草」@1803年,[滑稽本]東西庵南北:「本草盲目集」@1919年
(引用) 福田安典:"医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界" 笠間書院 2016年5月

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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