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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.23 ■■■

呉の国の百足

ムカデ話。題して、「綏県蜈蚣」。

潰れた感じの短円筒の殻に、対になった脚が付いているユニットが、先頭から末尾まで一直線に並んだ体躯構造の生物群のなかで、見た瞬間、大いなる違和感を与えるのがムカデ[百足]。しかも、毒腺を持つ顎脚を用いてすぐに攻撃する肉食動物だから、嫌われモノ。
従って、天井から落ちてきたりすると、思わず鳥肌が立つと宣われる方も少なくないようだ。

そんなこともあるのか、俗説では、蛇もかなわぬとされていたりする。

マ、正しいともいえるし、全く間違った見方ともいえる。
小さなムカデなら、顎脚も小さく毒の量もさほどでないから、周りは天敵だらけである。鳥や魚は勿論のこと、肉食の虫類なら、見つければすぐに食べてしまうこと請け合い。蛇もこれ幸いと食いつくだろう。
しかし、脱皮動物であるから、いくらでも大きくなれる。そうなると、蛇もかなわぬ。不用意にも、大きなムカデを呑みこんだりすれば、顎脚で逆に殺されてしまう可能性は極めて高い。消化するどころか、口腔から食道辺りの粘膜が麻痺してきて飲み込めなくなり、顎脚で肉を徐々に切り刻まれていくことになりかねないからだ。

これを踏まえて、蟲篇のムカデの記述、「呉公」を読むと、状況がわかってくる。

そもそも、「呉公」とは呉の国の王という意味だ。そんじょそこらの虫につけるような名前ではない。つまり、彼の地では、それほどまでの信仰対象ということ。
文字的には、こういう変遷か。
  「百足/Centipede」=「呉公」→「虫呉虫公」→「蜈蚣」

本文はえらく短く、こんな具合。・・・
呉公,
綏安縣多呉公,
大者兔尋,能以氣吸兔。
小者吸蜥蜴,
相去三四尺,骨肉自消。

  [卷十七 廣動植之二 蟲篇]
綏安縣はムカデだらけ。
大きなモノは兎ほどの広さがある。
「気」を発しており、その力で兎を吸い込む。
小さなモノだと、そこまではいかぬが、トカゲを吸い込む。
3〜4尺離れた場所から吸い込むのだが、
 骨も肉も、ムカデのなかで消化されていくのである。


綏安縣という地名は各地にあるが、呉の国だから、福建省境の地であろうか。

読んでわかるように、呉の国の南人に根強いムカデ信仰があったのである。
それは、蜈蚣に「氣」があるとの、呪術的な発想。おそらく、蛇多き地だから、その力を奪うのに不可欠な生物とされたのであろう。

内容的には、兎を喰らうなど、いかにもオーバーな表現に映るが、さほどのことではない。今と違って、体長50cmを越すムカデは珍しくはなかった筈だから。となれば、脱皮動物だから、それ以上に巨大なムカデが棲息していておかしくなかろう。
そこまで大きくなくとも、トカゲを喰らうシーンは珍しいものではない。もちろん、その戦いに負ければ逆に餌になってしまうが、そんなことを恐れない、えらく攻撃的な体質の生物なのである。

ヒトとしては、恐ろしき蛇をも恐れぬだけでなく、戦いまで仕掛ける、その王者的な気概を是非にも頂戴致したく、となる訳だ。
その気力こそが、ここで言うところの「氣」ではあるまいか。まさに、道教が習合してきた土着の考え方と言ってよいだろう。
もちろん、特別な考え方ではない。現代でも、現実を直視せず、気力があればなんだろうと夢は実現するものとの信仰を流布する教団は少なくない訳で。

そのあたりの発想は、「抱朴子」で読み取ることができよう。

又南人入山,皆以竹管盛活蜈蚣,蜈蚣知有蛇之地,便動作於管中,如此則詳視草中,必見蛇也。
大蛇丈餘,身出一圍者,蜈蚣見之,而能以氣禁之,蛇即死矣。
蛇見蜈蚣在涯岸間,大蛇走入川穀深水底逃,其蜈蚣但浮水上禁,人見有物正青,大如者,直下入水至蛇處,須臾蛇浮出而死。
故南人因此末蜈蚣治蛇瘡,皆登愈也。
  [「抱朴子」卷十七 登渉篇]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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