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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.24 ■■■

一物不知と黥

「酉陽雑俎」を本気で読みたいなら、「卷八 黥」の最終3話は必読。

この本がどのような姿勢で奇譚を収録し、その文章をどんな形に編集したのかわかるからだ。

釋僧祗律:
涅盤印者,比丘作梵王法,破肉,以孔雀膽、銅青等畫身作字及鳥獸形,名為印黥。

仏教の"(摩訶)僧祇律"には、「涅槃印」なる教えがある。
(「不生不滅の悟りの境地は、静寂たる安らぎである」ということ。)
そんな教えに従う僧は、肉を削いで、"孔雀膽
[=胆:猛毒扱い]"の印をつけていた。
["孔雀膽"は、現代でも、嫉妬が題材の小説で使われる、ステレオタイプのモチーフ。唐代にしても、似たところがある。成式のサロンにも、そんな作家(魚玄機)が出入りしていたのは間違いなかろう。]
さらに、銅錆の緑青を用いて、身体に鳥獸の姿や文字を彫り込んで、画を描いていた。
これらすべては「印黥」と呼ばれている。


小説に使われているとはいうものの、これは作り話という訳ではない。
西双版納の/泰老族[=インドの阿薩姆阿豪姆人/Ahom]には、海人でもないのに、紋身の習慣があることが知られている。それに、インド系文化が流入した地では、梵王信仰があって当然。
そのような地に仏教が入れば、当然ながら、入れ墨で梵王信仰の表現をせずにはいられまい。

要するに、刺青の風習は、皆さんお考えのもの以外もあるのですゼ、と指摘しているのである。いくら暗記に励んで、博識を誇ったところで、こんなことさえ気づかないのですゾ、と言いたげ。

刺青による刑罰とパンク野郎処刑に対しての、怒りの感情を隠そうともしない成式らしき叙述と言えよう。

さらに、南越国討伐後に設置された日南郡[ベトナム中部ユエ近辺]における風習についても語っている。

《天寶實録》雲:
 “日南山連接,不知幾千裏,裸人所居。
  白民之後也。
  刺其腦前作花,有物如粉而紫色,畫其兩目下。
  去前二齒,以為美飾。”
日南郡の山奥には裸で生活する部族あり。
山海経
[海外西経]に引かれている"白民"のような異文化の地の人々。
紫色の染色粉のようなモノを使い、花を頭に彫り込んだりする。両目の下に描くようだ。
美しく飾るためには、前歯二本も抜歯する必要があるとされている。


これも、異文化の風習。門歯不要を示すのだから、肉類のような、堅い食物は一切食べない生活を送っていそう。そのライフスタイルがお洒落なのだろう。しかも、花を顔に描くなど、現代のピース種族と似た感覚を持っていそう。

ということで、成式はここでガツンと一撃。・・・

成式以
 “君子恥一物而不知”,
陶貞白毎雲
 “一事不知,以為深恥”。

況相定黥布當王,淫著紅花欲落,刑之墨屬,布在典冊乎?

偶録所記寄同誌,愁者一展眉頭也。

君子は、「一物不知」を恥と考えているもの。
[漢 揚雄:「法言 君子」では、"聖人之於天下,恥一物之不知。"とか。]
陶貞[=道教茅山派開祖;陶貞景[456-536年]]も、
 「一つでも知らないことがあれば、それを深く恥じざるを得ず。」と言ったそうである。
[恣意的に「読書万巻」という4文字を削って紹介している。この道教の親玉は、知識欲の塊のような御仁だったのである。仏教的に言えば、阿修羅界に墜ちる典型的な人物と言えよう。]
(そんな姿勢を称賛される方々も多いから、ご存じないことを一つお教えしておこう。)
黥布[=英布[n.a.-B.C.196年]が淮南王になった話は、皆さんご存じの筈。[司馬遷:「史記」卷九十一 黥布列傳第三十一]
やがて刑罰を受けて刺青が目立つことになるが、王になるお方でもある。"との見立て通りになったというだけのストーリーでしかないが。
(従って、自ら、黥布と改名し、刑を受けたことを誇っていると解釈しがち。)
実は、黥布、その刑で入れられた墨を紅花で落そうとしたのである。
偶々、気になったので、こんな話もあるのだヨ、と言うことで。
「一物不知」を恐れ、競争して丸暗記に勤しむ皆様方に是非ともお伝えしておこう、と。


知らなかった珍しい話を、大騒ぎして次々と覚えることにご精を出すのは大変でしょうが、マ、せいぜいご精進のほどというのが成式の言。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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