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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.3 ■■■

王清本

桃栗三年でわかるように、栗樹は成長が早い。そのような場合は寿命が短いものだが、そうではない。
大切にしていれば数百年生き続け、太い幹の立派な老大樹となるのである。そうなると神樹である。

そのような、栗樹精霊信仰が根底にありそうな話を取り上げてみよう。・・・

元和[806-820年]初,洛陽村百姓王清,傭力得錢五銀。
因買田畔一枯栗樹,將為薪以求利。
經宿,為鄰人盜斫,創及腹,
忽有K蛇舉首如臂,人語曰:
 “我王清本也,汝勿斫。”
其人驚懼,失斤而走。
及明,王清率子孫薪之,
復掘其根,根下得大甕二,散錢實之。
王清因是獲利而歸。
十余年巨富,
錢成龍形,號王清本。

  [卷十四 諾皋記上]
一寸前のこと。
洛陽の村落の"王清"という百姓がいた。
雇傭で、五銀ものお金を得た。
(無駄遣いせず、)
そのお金で、ご近所の田圃の畔に植わっている栗の木を購入した。
と言っても、、
(誰も見向きもせず、放置されっぱなしの、)
すでに枯れてしまった老樹である。
薪にすれば、十分儲かると考えてのことだろう。
ところが、その翌日のこと。
隣に住む百姓がこれはチャンスと見て、
盗伐すれば大儲けということで、
この枯木の幹を切り始めた。
すると、忽然として黒い蛇が出現。
鎌首を持ち上げて、ヒトの言葉で
 「吾輩は、"王清本"なり。
  汝、切る勿れ。」と。
驚愕し、斧を残して逃走。
王清は、夜が十分明けてから、
一族を率いて、薪にすべくやってきた。
一家総出で、根っこまで掘り起こしたところ、
その下に大甕があった。
その中には、沢山のバラ銭が入っていた。
そんなことで、王清は十分すぎるほどの利益を得て帰宅。
その後、十年以上経つと、王清は大富豪に。
その錢は龍に見立てられた。
そして、"王清本"と呼ばれることになった。


"王清"は百姓とされているが、植林的業態を始めた木材業者の祖ということではないか。中華帝国で造園業を始めたことで、富豪になったという話と見る。
サラッと読んでしまうと、いかにも、薪にすることに眼目があるように感じがちだが、そうだとすれば、"王清本"なりとの言葉が唐突すぎる。おそらく、枯れてしまった樹木をも大切に扱い、薪として銭を得ることで、代替わりの苗樹を育てていく資金にあてるということだろう。樹木を育てることを核にしている商売ということ。
おそらく、王宮御用達の園林業者"王爺"との地位を獲得したのである。

そう考えたのは、後代の"河神"創作話に「王清本」という言葉がでてくるから。
「子は怪力乱神を語らずではなく、語り尽くすべし」と言いたげな、清代の小説、袁枚:「子不語」@1788年の卷十七にでてくる。・・・

湖北巡撫陳公葬其父文粛公於祖,卜有日矣,其弟縄祖夢有持貼来拜者,上書「王清本」三字。
入門,即十三人也,坐無一語。俄而,十二人辞去,独留一人告公曰:
 「此十二人皆河神也。」
公驚醒。
次日,到墳伐其樹之碍路者,樹文有「王清本」三字,数之,十二枝也,大,遂命停斧。
其木今尚存于家。
此事嚴侍讀為余言,並云:
 「偶閲《五色線》説部,果載河神名王清本。」

湖北巡撫の陳公は、父の文粛公を祖先の墳墓に葬るための日程を占っていた。その弟の縄祖は、「王清本」と書いてある帖を持って弔問に来た人々の夢を見た。門を入ると、13人が黙りこくって座っており、うち12人が帰って行った。残った一人が、皆、河神だ、と告げた。
翌日、墳墓を訪れてビックリ。通路の障害になっている樹木を伐採したところ、「王清本」との文字があった。枝の数は12。
驚き懼れ、斧を止めさせた。
その木は、今も、その家にある。
侍讀學士に色々話を聞いたが、それによれば、偶々のことだが、「五色線 説部」を閲読していたら、河神の名は王清本と記載されていた、と。


河神の名前が「王清本」ということのようだが、樹木を伐採すると「王清本」の文字が現れるから、樹木霊の名前でもありそう。
「酉陽雑俎」の話と無縁ではなかろう。

(参考邦訳) 手代木公助 訳注 袁枚:「子不語」東洋文庫/平凡社2009年
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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