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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.9 ■■■

揚州の逆さ塔

朱景玄[841-846年]は「唐朝名画録」編撰者である。
そんな人の言として、「卷四 物革」に収載されているのが、葛飾北斎筆:「冨嶽三十六景」"甲州三坂水面"の逆さ富士についてのコメントのような話。・・・

咨議朱景玄見鮑容説,
陳司徒在揚州,
時東市塔影忽倒。
老人言,海影翻則如此。


揚州は江蘇の大都市だが、古代の"九州"の1つとして広域を表す時代もあった。
地理的には、長江と高郵湖に繋がる運河沿いにあるため、要衝の地と言える。
この時代は、外国との交易港としての役割を担っていた筈で、江南の中心地として発展著しかった頃だと思われる。

そんな地の東市にある塔の影像が倒立した、というのである。
そして、老人の解釈は、海の影響で、そんな現象が発生した、というもの。

揚州の東市の塔の話になっているが、成式は寺の石造りの舍利塔を思い出したので、とりあげてみたのではなかろうか。
その石塔とは、現在も揚州市の観光スポットになっている。・・・838年に建造されたと伝わる、高さ約10mの6角5層構造。

観光地ではあるものの、拝観とか、鑑賞する対象とは言い難い。なにせ、文昌中路(文昌帝君の中央通り)のほぼ道路上に残る小さな緑地にポツンと存在する遺跡だからだ。[石塔路街心緑地]26尊の仏像が彫られているいるそうだが、近くでのんびり見れるような状況にはないのである。
つまり、もともとの伽藍[惠照寺/木蘭院@晋代]は石塔以外すべて崩壊してしまい、立て直す人もいなかったということ。

この塔の傍らに銀杏の老木がある。塔建立時に植えられた可能性が高い。
そんなことが気になるのは、「酉陽雑俎」には銀杏が登場していないからだ。歯が鴨脚形と、極めてユニークであり取り上げそうなものだと思うのだが。(これ以前に、銀杏にあたりそうな樹木を記載した文章は見つかっていない。呉其濬:「植物名実図考長編」1880年には、「酉陽雑俎」に記載、とされているらしいが。)知ってはいたが、書く気にならなかったのかも。

話がそれたが、この石塔、王播[759-830年]の詩「題木蘭院」で有名になったらしい。

宋代の蘇軾の詩に「石塔寺」がある位。
その前書きには、王播(少年期播父早死家貧。)の飯后鐘(少年寺客に意地悪な僧侶達が斎食後に就食合図の鐘を鳴らした。結果、吃白食。)の話が寺名の由来だと。但し、この詩は、戲れの創作であるとことわったうえで、王播が執拗に覚えていたことへの批判的内容。(現代で言えば、働かない若者にタダ飯を提供するなどもっての他。それがまともな見識では、というもの。)
木蘭院の僧は、節度使[822-827年]の王播を訪問した筈だが、この故事が有名ということは、和解に至らなかったのであろう。

成式の父、文昌は、王播の次の淮南節度使[827-830年]。成式が王播の話にまつわる様々なことを知っていたのは間違いなかろう。
「酉陽雑俎」の東市の塔とは石塔寺の塔を示唆しているのではないか。その塔の影が倒れたのである。石塔寺の将来を見越していたということでは。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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