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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.16 ■■■

安思順献上の五色玉帶

唐の最盛期とされる玄宗朝も安史の乱[755年〜763年]勃発でズタズタに。
それは、白頭になってしまった杜甫が、ようやくにして、"夢"見ていた仕官がかなった頃でもある。なんの影響力も無い老人なので、処刑を逃れ、反乱軍の捕囚の身に。そんな悲哀感を結晶させた詩が「国破れて山河在り」ということ。

唐の国際化による繁栄を支えたのはソグド人ネットワーク。それを生かせる人材を節度使に起用するのは当たり前。しかし、軍事的に馬賊的風土の胡兵依存を進めれば、そのうち暴発するのはわかりきったこと。傭兵とは、戦乱ビジネスで食べていく人達なのだから。故郷に残した家族が実質的に人質化してしまう漢族兵士とは気質が全く違うのである。
そのような、当たり前のこともわからず、国際的なパワーバランスにも鈍感な指導層を抱えるとえらい目にあうという好見本。

安思順[突厥族西域安国人:695-756年]は、反乱の首謀者たる安禄山の従兄だが、その人の話から始まる項を取り上げてみよう。・・・

天寶初,
安思順
進【五色玉帶】,又於左藏庫中得【五色玉杯】。
[=玄宗]怪近日西盡無五色玉,令責安西諸蕃。
蕃言:
 “比常進皆為小勃律所劫,不達。”
上怒,欲征之。
群臣多諫,獨李右座贊成上意,且言武成王天運謀勇可將。
乃命王天運將四萬人,兼統諸蕃兵伐之。
及逼勃律城下,勃律君長恐懼請罪,悉出寶玉,願貢獻。
天運不許,即屠城,虜三千人及其珠而還。
勃律中有術者言:
 “將軍無義,不祥,天將大風雪矣。”
行數百裏,忽起風四起,雪花如翼,風激小海水成冰柱,起而復摧。
經半日,小海漲湧,四萬人一時凍死,唯蕃漢各一人得還。
具奏,玄宗大驚異,即令中使隨二人驗之。
至小海側,冰猶崢エ如山,隔冰見兵士屍,立者坐者,瑩徹可數。
中使將返,冰忽稍釋,衆屍亦不復見。

天寶元年[742年]のこと。(節度使の)安思順が【五色玉帶】を献上してきた。
(おそらく、健康維持の護符的な帯であろう。道教の五行ではなく仏教五佛の象徴ではないかと思う。)
また、【五色玉杯】が宮殿内の左藏庫で見つかった。
帝は、ここのところ、
(西域からの)献上品のなかに【五色玉】が含まれていないことを怪しんでおり、安西の蕃族を責めた。
蕃族達の言うことには、
 「常に進んで貢いでおりますが、
  間に入る小勃律が没収するので、お届けできないのです。」
帝激怒。征服せよと。
群臣はそれを諫めたが、
独り右座宰相の李
(林甫)だけが上意に賛意を示した。
それに付け加えて、派遣軍の将として、
謀略と勇気で卓越している、武臣の王天運の起用を勧めた。
そこで、帝は、王天運に討伐の任に当たらせた。
結局、諸蕃兵を含めた四万人を率いて進軍することに。
その大軍勢が、小勃律の城下に迫ると
君主は懼れ慄き罪を悔い、
 手元の寶玉すべてを提出。
 さらに、これから先も献上を続けるので許してくれと願いでた。
しかしながら、王天運はそれを聞かず、
 城を一気に壊滅させ、3,000名もの捕虜と珠寶を獲得して帰還。
小勃律には術者がいたが、その者は、
 「将軍には義が無く、不祥そのもの。
  天は、将に、大風雪をもたらしましょう。」と。
軍勢が数100里行ったところで、それは現実に。
 忽然として、四方から吹きつける風に遭遇したのである。
 雪は風花のように飛び散り、
 激しい風は小さな海の湖面を叩きつけた。
 波飛沫は氷柱となり、柱ができては破砕の繰り返し。
半日後、湖は漲るごとくして氷の山に。
派遣軍4万人はあっという間に凍死。
只、蕃族と漢族のそれぞれ一人づつが生き延びて帰還してきた。
生存者はその凄まじき状況を奏上。
玄宗は大いに驚き、すぐに、2人の案内による実態調査を命じた。
調査団が湖に到着すると、氷は未だに山のように聳え立っていた。
 その氷の中に閉じ込められている兵士の屍が見えた。
 しかも、立位や座位のママ。
 しっかりと遺体を数えることができるほど。
ところが、派遣使がまさに引き返そうとした瞬間、氷は忽然と溶けてしまったのである。
すると、どうしたことか、沢山あった遺骸も一緒に消えてしまった。


さて、ここで今村与志雄註を取り上げておこう。これが滅法面白いからだ。「酉陽雑俎」の小説としての醍醐味を指摘しているとでも言おうか。
上記の文章を考証した話が引いてあるからだ。

それによると、・・・
 「とほうもないでたらめ」
 「たいへん可笑しい」、というのだ。
王天運が小勃律討伐をしたことはなく、史実からすると、高仙芝が1万人を率いて戦ったという。凍り付くような話ももちろん無い。
五色玉に関する話の方はどうなのかは定かではないが、すでに西域では吐蕃の力が強くなっており、ほとんどの国々がそちらに靡いていたのである。

要するに、正史とは、所詮は、都合のよい解釈本でしかないから、自分の頭で考えヨと呼びかけている訳である。だからこそ、「酉陽雑俎」は消されずに残ったのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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