表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.22 ■■■ 冬の行事国家の祭祀ではなく、民間の風習について、どこからか引用してくるというのが、成式好みと言えそう。現代の民俗学手法を彷彿とさせるものあり。と言うか、現代の学問は学際的とされているものでも蛸壺的に映る。それと比べれば、「酉陽雑俎」の対象はとんでもなく広い。 もちろん成式は学者ではないし、執筆目的も明示していないから、比較すること自体に無理はあるものの、人間社会の本質を抉ろうと苦闘しているのは間違いなく、それほどの違いがある訳ではない。 その手法の特徴は、対象範囲を広げることにある。但し、その場合、網羅性を狙わずに、直観で全体像を見つめる。俯瞰的に全体像をとらえているから、そんなことができるのである。そして、感じたことを、皮肉や冗談まじりで書いているのだ。 そんな例を「冬至」の習俗話に見ることができる。 僅かに1行。・・・ 北朝婦人,常以 冬至日進履襪及靴; 正月---立春---五月---夏至--- 皆有辭。 [卷一 禮異] 南北朝時代の、北朝の夫人の風習はこんなところだと言われている。 冬至には、履襪と靴を進呈。 正月---立春---五月---夏至---と、 すべて、辭句をつけるのが習わし。 書いてはいないが、どう見ても、嫁が舅姑に履襪を献る行事だろう。 これから日が長くなっていく時だから、同様に履物も長持ちするとのアナロジーがありそうと指摘しているようなもの。要するに、それに伴って命も伸びるように祈っておりますといったセンスでの贈り物。 履物は権威の象徴グッズでもあるから、ママでは官の規定に取り入れるのが難しそうな印象を与える話である。 尚、この風習自体は一般的だったと見てよさそう。 「冬至獻襪履頌」 魏 曹植@「曹子建集」 玉趾既御,履和蹈貞。行與祿遇,動以祥並。 南窺北戸,西巡王城。翱翔萬域,聖體浮輕。 古代の自然暦なら、冬至が年の切れ目だった筈だから、そこでの再生儀式に則れば身につける物も新品にしていたに違いない。その習慣が履物に残ったと見ることもできよう。女系制の時代の古層の観念に由来している可能性は高い。 (為政者に、冬至の役割を、農暦の春節や、太陽暦の元旦に移すように強制されても、家庭では捨てきれないということ。) ただ、韈/襪は、履物といっても靴下だから、"寒さが厳しくなるのでお大事に"グッズともうけとられがち。しかし、その手の品は立冬が似つかわしい。歳時の記載には以下の例が必ずあがっており、温帽、襖子とくれば、厚手の靴下が加わっていておかしくない。 漢文帝以立冬日,賜宮侍承恩者及百官披襖子。 [「古今注」という書らしい] 成式は、他の冬の行事については、余り興味を覚えず、結構冷淡だったかも知れぬ。そう感じるのは、海外での状況を羨ましく思っていそうだから。なんと、十月十四日を過ぎると、大晦日まで楽戯三昧という国もあるのだ。[卷四 境異] 焉耆國,---十月十日王為猒法。王出首領家,首領騎王馬,一日一夜處分王事。十月十四日作樂至歲窮。 もっとも、年末に二手に分かれ擬似戦争をする国もあるから、なんとも言い難いところはあるが。 拔汗那,十二月十九日,王及首領分為兩朋,各出一人著甲,衆人執瓦石東西捧杖,東西互系。甲人先死即止,以占當年豐儉。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |