表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.5 ■■■ 仏典逍遥詩 獸事篇「續集卷五 寺塔記上」には、仏典逍遥詩が収録されている。仏教コミュニティのサロンにおけるお遊びだが、難し過ぎてとてもついていけない。しかし、「酉陽雜俎」を読んでいると、その気分がわかるような気がしてくるから不思議だ。 道教の影響下にある社会は、どう見ても、上からの膨大な情報の垂れ流しだらけ。それは、ただただ細かく、しかしそれなりに常に秩序だって整理されたものとなる。コピーと編纂で、思想が形作られるようなもの。 博学強記とは、こうした情報の海のなかで、欲しいものを見つけ出す能力以上ではない。 インテリが本物の「知」に飢えていたのは当然と言えるのではないか。 それに気付いているかどうかは別として。 ということで、多少はシンパシー的感情をもって、詩を眺めてみたい。 先ずは、仏典逍遥詩 獸事篇。・・・ 徵獸中事,須切對: 仏典の中から獸に関する事を呼び出してみよう。 【その1】 金翅鳥王, 金の羽を持つのは、鳥類の王様ガルーダだ。 銀角犢子。 (柯古) 銀の角を持つのは、子牛の先生だ。 金翅-銀角、鳥王-犢子が対になっていて見事だが、"子牛の子"とは何なのだろう。 しかも、尊崇の対象たる牛の角が銀なのも解せぬ。今村注記によると、金角銀蹄しか無いというし、モーゼが異教徒の信仰像として指摘しているのも金の子牛だ。 (閻浮提話では、"池東面銀牛口"で、銀がでてくるとはいえ。) 【その2】 地名鹿苑, 釈尊が悟りを開いた後の初説法の地の名称が、鹿苑。 塔號雀離。 (善繼) カニシカ王が建てた塔の名称が、雀離。 雀離塔は絵画として唐に伝わったようである。場所は王都のペシャワールではないかと思うが、玄奘の記載から、他とする説もあるようだ。 【その3】 啐啄同時, 雛が殻を破ろうとするのと、母鳥が殻をつつくのは同時。 𢤱悷調伏。 (升上人) 調子を合わせず悪行で手向かうなら、修法で撃破。 啐啄も𢤱悷も仏典で少なからず使用される語彙のようだ。従って、"修行者と指導者の心は悟りを開く時には同期する。"とか、"害を及ぼす者に対しては、僧侶は調伏するのみ。"との考え方は常識の類いと言ってよさそう。 それはそれでわかるが、お題は獸なのに鳥が登場。尚、今村注記によれば、最後の部分は、象や馬を徹底的な鞭打ちで従わせるということのようだ。 深入りは避け、獸事篇はここまでとしたい。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |