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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.15 ■■■

音楽鑑賞に於ける外交バトル

帝国における外交イベントとは、どのようなものか、現代の例で見てみようか。

2006年のこと。
覚えて来たテキストを無表情で棒読みするだけの政治家との評判ができあがっていた国家主席が、世界を差配する立場にあると任じていた米国を訪問。
国賓待遇ではないが、両政権ともに、経済交流をさらに増進させようとの目論見の外交と言われていた。

ところが会場で、「法輪功」系新聞の記者が突然立ち上がり、主席の演説を中国語と英語で数分に渡って妨害。世界にその様子の映像が流れたのである。大統領補佐官は、その後、国内記者団に、主席は大変寛大だったと説明。総勢大笑いの図である。

そもそも、歓迎の国家演奏時の紹介からしてトンデモない仕掛けが組み込まれていた。"The Republic of China"とアナウンス。主席は英語も理解できぬとのオチョクリでもある。
そして、その企画者は俺だといわんばかりの写真もリリースされた。首脳会談の場で寝ているかに思える副大統領が写っていたのである。おまけに、歓迎時に、大統領が主席の袖をつかんで位置を変えるところも。
独裁者の面子を潰すための実に手が込んだやり口と言えよう。同時に、幼稚な為政者であることもよくわかる。(日本の新聞だけは、この手のニュースはできる限り伏せる方針を取るから、知られていないかも。小生もうろ覚えにすぎないが。)
これを、2006年、主席「臥薪嘗胆」の図と呼ぶ。

6世紀では、はたしてどうであったか。
「酉陽雜俎」には、そんな様子が収録されているのだ。

541年のこと。
訪問した人物は、北の魏の使者、李騫と崔
それを南の梁の賀季が迎えた。・・・

梁宴魏使李騫、崔
樂作,
梁舍人賀季曰:
 “音聲感人深也。”
曰:
 “昔申喜聽歌,愴然知是其母,理實精妙然也。”
梁主客王克曰:
 “聽音觀俗,轉是精者。”
曰:
 “延陵昔聘上國,實有觀風之美。”
賀季曰:
 “卿發此言,乃欲挑戰?”
  :
  [卷十二 語資]

歓待は先ずは音楽から。
そこで、すかさず、
 「音楽は深い感動を与えますな。」と。
使者は、周代の故事をあげる。
 「悲しくなって、母の歌だとわかったりするもの。
  真実と妙なる精霊の仕業といえましょう。」

 突然、そこに合いの手が入り、
 「音楽を聴くとは、風俗観賞でもありますナ。
  そんな趣意の方が、精霊的かもしれませんゾ。」


南楽と北楽の違いが大きかったのであろう。

これが、一大帝国の隋代に入ると、東西の違いになってくる。というか、外交使節のために天竺、西域、高麗、百済-倭国、南蛮地域まで一切合切用意する必要が生まれたということ。その辺りの事情は、日本に残っている資料が雄弁に物語る。
おそらく、漢代から続く古楽は、南北楽と一緒に統合された筈。涼州あたりまでを、伝統音楽の地域としたのではないか。そして、唐代に入り主流は西域の音楽に。臣下との宴会もそちらに靡いておかしくない。帝室内の儀典音楽は例外だろうが、もともと古楽の系列に属さない家系のようだから、古楽はフェードアウトしていったと見てよろしかろう。

かように、中華帝国の音楽とは政治そのもの。
さて、続き。・・・

梁と魏の宴会では、音楽の話が続いた。
頃合い良しと見た魏の使者が癖球を投げたからだ。
 「延陵がいた頃ですが、
  そんな、昔は、
  "上"国に礼を尽くして訪問したものでしたナ。
  それこそが、実のある風俗観賞で、
  素晴らしきものといえましょうソ。」

梁の使者も馬鹿ではない。
 「貴殿のそのようなお言葉は、
  戦争を挑発するつもりですかネ。」
  :


"そんな昔"の南とは、南蛮扱いだったのである。
文化的にとるにたらぬ人々が住んでいる未開の地であり、礼を尽くして"上"国に朝貢してくるならヨシという態度そのもの。

面子大事な文化であり、これを口火として、本格的知的バトルが始まるのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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