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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.12.1 ■■■

辞典的記載例

辞典はピンキリ。
白川静:「字統」に驚いた人は多かろう。癖は感じさせるが、語史がわかる初めての本だったからだ。
と言うか、日本における漢字とは國字以外のなにものでもないと認識させられる画期的な本でもある。

そのセンスに触れていると、「酉陽雜俎」のレベルの高さにも脱帽せざるを得ない。

「續集卷四 貶誤」というタイトルにいかにもふさわしい、字義に関する話が記載されており、まさに辞書の1項目例と言ってよいだろう。
つまり、中華帝国にたいした辞書が無いことを指摘しているようなもの。

その部分を読んで、小生編纂の「辞典」にすると、さしづめ以下のようになる。用例は、後述の原文で。

【罘
[1] 古代、宮殿の四隅につけた防御用網
[2] 古代、宮殿門外に設置した一種の屏風型の建築物
   形態は短い塀だが、樹扱い
[3] (雀)除けに、宮殿の軒端に取り付ける金網
   とも。
[個別漢字]
【罘】 狩猟(兎)用の網
 屏樹門外

なんだかバラバラな印象を与えるが、これだけで何を言っているかわかると思う。

"罘=四つの不"と見る、当て字感覚のものは4隅の意義に繋がる。
一方、"=網"と考えれば、別な系列に。

成式が怒っているのは、"罘"とは、もともとは網を意味する文字であり、その場合は1文字で使えということ。
 「想東游五十韵」  白居易
 蛾須遠灯燭。兔勿近罘。

単なる網に、ごたいそうにという文字をつけるなということ。それになんの意義もないのだから。
""はもともと宮廷の門辺りに設置していた、外部と隔てる建築物。歴史があり、様々な意義が与えられた重要なものである。

どうでもよいモノに、様々な意味が含まれている呼び名を転用し、元祖の方の意味を抹消していくなど言語道断ということだろう。

士林間多呼
 殿榱桷護雀網為罘
 其淺誤也如此。


成式の用例を見ていこう。・・・

《禮記》曰:
 “疏屏,天子之廟飾。”
鄭註雲:
 “屏謂之樹,今罘也。
  列之為雲氣蟲獸,如今之闕。”


本来は、これだけで、決まりである。
しかし、単なる用例であって、何故に、今、罘と呼ばれるのかはわからない。
雲氣蟲獸を刻するのだから、特別な意味がありそうだと言う以上はなんとも。
そこで、推測のヒントが提供される。

張揖《廣雅》曰:
 “復思謂之屏。”
劉熙《釋名》曰:
 “罘在門外。
  罘,復也。
  臣將入請事,此復重思。”


なんだ、そういうことかと納得できる話である。
門を入るに当たって、臣下はその塀の前に立ち止まり、何を請うべきか改めて頭を整理せよという訳だ。
重要なポイントだけを網にかける場所ということになろう。
"[網]+思"とは、なかなかのできばえ。

その建築物は重要なものでもあったらしく、被害にあったことが、「漢書」に記載されるほど。
そこには諸侯像が刻されていたらしく、後ほど、ことごとく反乱とか。

《西漢》:
 “文帝七年,未央宮東闕罘災。

   (七年---六月癸酉,[「漢書」卷四 文帝紀])
  罘在外,諸侯之象。後果七國舉兵。”

ここまでくると、どうして、そんな重要物の名前が消滅するのだとなるが、その一つの答も用意されている。
漢の中央集権体制を想いだしたくないから、罘は抹消してしまえという勢力も少なくなかったようなのだ。

又:
 “王莽性好時日小數,
  遣使壞渭陵、延陵園門罘
  曰:
    ‘使民無復思漢也。’”


もっとも、三国時代の222年、魏は罘を構築したとのこと。

魚豢《魏略》曰:
 “黄初三年,築諸門闕外罘。”


ところが、成式は、出仕以来、これを知っている人に出会ったこと無しというのだ。
官僚が罘廃止を決め、その徹底のために鳥除け名称として設定し、すべての関連情報を消滅させたのであろう。
中華帝国では珍しいことでもない。

予自筮仕己來,凡見縉紳數十人,
皆謬言梟鏡、罘罳事。


マ、成式先生は、そこまで考えていた訳ではなく、杜甫もそんな使い方していたから、大いに気にくわなかったのであろう。
 「大雲寺贊公房 四首 其一」  杜甫
 --- 黄鸝度結構,紫鴿下罘罳。 ---

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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