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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.6 ■■■

怪僧難陀

トンデモない高僧がいるものと半ば呆れて書いたのではないかと思われる話をとりあげてみよう。

僧の名前は難陀で、釈尊の異母兄弟の名前と同じだが、特段の意味は無い。"喜"という意味で古代インドではよく使われているからだ。
しかも、姓は不詳。どの国の人かもさだかではないとくる。
建中[780-783年]の頃に、特段の目的もなく四川[岷蜀]にやってきたという。

もちろん翻訳僧ではなく、その人となりは"詭異"とされ、倫恭的な穏やかな姿勢の人に見えることもあるが、その一方で定見などなき傲慢さも見てとれる不可思議なお方。北宋 賛寧:「宋高僧傳」卷第二十@988年に、そう書いてあるのだ。

成式の情報と100%一致する。・・・

張魏公在蜀時,有梵僧難陀,得如幻三昧,入水火,貫金石,變化無窮。
初入蜀,與三少尼行,或大醉狂歌,戍將將斷之。
及僧至,且曰:
 “某寄跡桑門,別有樂術。”
因指三尼:
 “此妙於歌管。”
戍將反敬之,遂留連為酒肉,夜會客,與之劇飲。
僧假襠巾,市鉛黛,伎其三尼。
及坐,含睇調笑,逸態絶世。飲將闌,僧謂尼曰:
 “可為押衙踏某曲也。”
因徐進對舞,曳緒回雪,迅赴摩跌,伎又絶倫也。良久,喝曰:
 “婦女風邪?”
忽起,取戍將佩刀,衆謂酒狂,各驚走。
僧乃拔刀斫之,皆於地,血及數丈。
戍將大懼,呼左右縛僧。
僧笑曰:
 “無草草。”
徐舉尼,三支杖也,血乃酒耳。

又嘗在飲會,令人斷其頭,釘耳於柱,無血。
身坐席上,酒至,瀉入瘡中。
面赤而歌,手復抵節。
會罷,自起提首安之,初無痕也。

時時預言人兇衰,皆謎語,事過方曉。

成都有百姓供養數日,僧不欲住。
閉關留之,僧因是走入壁角,百姓遽牽,漸入,唯余袈裟角,頃亦不見。
來日壁上有畫僧焉,其状形似。
日日色漸薄,積七日,空有K跡。
至八日,跡亦滅,僧已在彭州矣。
後不知所之。
  [卷五 怪術]

トンデモ事件が発生したのは、張延賞/寶符[726-787年]が成都尹〜劍南西川節度觀察使で赴任中のこと。
如幻三昧、入水不濡、投身火無灼、能變金石化、と称していたが、若い尼3人をを連れているという不可思議な出で立ち。
その上、泥酔し狂歌放吟する一方で、大衆に説法するといった具合なので、将に捕捉されてしまう。

しかし、術ができる上に、尼は歌舞が得意ということで、歓迎されることに。

大宴会で酔いが進み、僧は将の持つ佩刀で尼を切り捨てる羽目になるが、そう見えただけで尼に見えたのは杖で、血飛沫とは酒だったという訳のわからぬ結末。

これ以外にもあるが、格段の意味はなさそう。
なにせ、兇衰の予言をしてくれるが、謎めいていてなんだかわからずなのだ。事後に、そういうことかと、どうやらわかる程度。
ほとんど価値無し。

─・─"唐西域難陀傳"@「宋高僧傳」─・─
釋難陀者。
華言喜也。未詳種姓何國人乎。
其為人也詭異不倫恭慢無定。
當建中年中。無何至於岷蜀。
時張魏公延賞之任成都喜自言。
我得如幻三昧。
嘗入水不濡投火無灼。
能變金石化現無窮。
初入蜀與三少尼俱行。
或大醉狂歌。
或聚衆説法。
戍將深惡之。亟令擒捉。喜被捉隨至。乃曰。貧道寄迹僧門別有藥術。因指三尼曰。此皆妙於歌舞。戍將乃重之。遂留連為置酒肉。夜宴與之飲唱。乃假襦袴巾櫛。三尼各施粉黛並皆列坐。含睇調笑逸態絶世。飲欲半酣。喜謂尼曰。可為押衙舞乎。因徐進對舞曳練迴雪。迅起摩趺伎又絶倫。良久曲終而舞不已。喜乃咄曰。婦女風邪。喜忽起取戍將刀。衆謂酒狂。坐者悉皆驚走遂斫三尼頭。皆於地。血及數丈。戍將大驚。呼左右縛喜。喜笑曰。無草草也。徐舉三尼乃竹杖也。血乃向來所飲之酒耳。喜乃却坐飲宴。別使人斷其頭釘兩耳柱上。皆無血。身即坐於席上。酒巡到即瀉入斷處。面色亦赤。而口能歌舞手復撃掌應節。及宴散其身自起就柱取頭安之。無瘢痕。時時言人吉凶事。多是謎語。過後方悟。成都有人供養數日。喜忽不欲住。乃閉關留之。喜即入壁縫中。及牽之漸入唯餘袈裟角。逡巡不見。來日見壁畫僧影。其状如日色。隔日漸落。經七日空有墨迹。至八日墨迹已滅。有人早見喜已在彭州界。後終不知所之。
系曰。難陀之状迹為邪正。邪而自言得如幻三昧。與無厭足王同。此三昧者即諸佛之大定也。唯如幻見如幻。不可以言論分境界矣。四神通有如幻通。能轉變外事。故難陀警覺庸蜀之人多尚鬼道神仙。非此三昧不足以化難化之俗也。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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