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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.7 ■■■

未亡人背義

東魏 楊衒之:「洛陽伽藍記」@5-6世紀は、1,300もの寺が立ち並んでいた魏の首都の様子を描いた書。国家が分裂し遷都したために荒廃してしまった都市の変遷状況を対象としている。そのため、伝聞が多い。成式達の長安寺院巡礼の「寺塔記」は実録なので、本質的に異なる作品だが、こちらも廃佛後の情景を記述しているので対比されることが多い。

そんな書からの抄録。・・・

魏韋英卒後,妻梁氏嫁向子集。
嫁日,英歸至庭,呼曰:
 “阿梁,卿忘我耶?”
子集驚,張弓射之,即變為桃人茅馬。
  [卷十三 冥跡]

原文はコレ。・・・

後魏洛陽阜財里,有開善寺,京兆人韋英宅也。
英早卒,其妻梁,不治喪而嫁,更納河内向子集為夫。
雖云改嫁,仍居英宅。英聞梁嫁,白日來歸。
乘馬,將數人,至於庭前,呼曰。
 「阿梁,卿忘我也。」
子集驚怖,張弓射之,應箭而倒,即變為桃人。
所騎之馬,亦化為茅馬。從者數人,盡為蒲人。
梁氏惶懼,捨宅為寺。
出《洛陽伽藍記》。
  [「太平廣記」精怪四 梁氏]
後魏の時代の洛陽。
阜財の里に開善寺あり。
ここはもともとは都出身の韋英の邸宅。
韋英は早逝だったこともあり、その妻の梁は服喪せずに再婚。
お相手は河内の向子集。
再婚だが、そのまま韋英宅に居住。
亡霊の韋英は梁が再婚したと聞いて、真真昼に帰宅。
馬に乗り、数人を引き連れて、庭の前までやってきて呼びかけた。
 「おーい、梁!
  貴方は私を忘れてしまったのかイ?」
向子集は驚愕。弓を引いて韋英を射たところ、矢が当たり倒れた。すると、桃の木の人形に変じてしまった。
騎上していたのは茅製の馬で、数人の従者は蒲の人形だった。
梁はとてつもな懼れ,屋敷を捨てることにし、寺に寄進したという。


ここは、阜財の地と記載しているところがミソ。開善寺は「洛陽伽藍記」巻四 城西篇に収載されているが、その地域全体についての説明があり、ソレを知らないとインパクトは弱い。・・・
ここらは城の西陽門外から距離にして4里の、御道南にある洛陽"大市"地区。周囲8里という広大な場所で、そこには、以下の10の里があった。
 【東南】 通称、達貨・・・屠殺、行商
 【南】  調音、樂律・・・ 絲竹、歌
 【西】  延、治觴・・・酒造
 【北】  慈孝、奉終・・・棺桶、霊柩車賃貸
 【さらに北】阜財、金肆・・・職人、商人[資財巨万で美麗な邸宅域]

阜財里では、奴婢までもが着飾り、五味八珍の生活。流石に、禁令の動きがでたが無視されどうにもならず。

言うまでもないが、茅馬・蒲人とは墓場での葬儀で燃やし故人をお送りするのに用いる。おそらく、売られていた筈で、珍しいモノではない。そんなモノを頻繁に家に投げ込まれ、いたたまれなくなったのであろう。

「酉陽雑俎」のように、余計な部分を全て削除すると、実につまらぬ話である。
寺に屋敷を喜捨したといっても、事実上、懼逃であり、それでどうにかなるものでもなかろう。

(参照) 楊衒之[入矢義高 訳]:「中国古典文学大系21 洛陽伽藍記」平凡社 1974
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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