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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.14 ■■■

韶石

今村村与志雄が何故か軽視している箇所がある。・・・

荊州利水間,有二石若闕,名曰韶石。
晉永和
[穆帝代:345-356年]中,有飛仙衣冠如雪,各憩一石,旬日而去。
人咸見之。
 [卷二 玉格]

この文章は、前蜀 杜光庭[850-933年]:「神仙感遇傳」卷三にも収載されている。おそらく、道教にとっては重要なのである。

江南王朝である東晉のこの時代は、344年生まれの穆帝は幼児であり、荊州を本拠地とする桓温[312-373年]が牛耳っていた。347年には蜀を支配下におさめ一大国家に。

韶石は、荊州ではなく、現在の廣東韶関曲江辺りに位置する。利水の方だが、そこらは北魏 道元:「水經注」卷三十八に書かれている。・・・
南流注于東江。東江又西與利水合,水出縣之韶石北山,南流逕韶石下,其高百仞,廣圓五里,兩石對峙,相去一里,小大略均,似雙闕,名曰韶石。
古老言,昔有二仙,分而憩之,自爾年豐,彌歴一紀。
利水又南逕靈石下,靈石,一名逃石,高三十丈,廣圓五百丈。
耆舊傳言,石本桂林武城縣,因夜迅雷之變,忽然遷此,彼人來見歎曰:石乃逃來。
因名逃石,以其有靈運徙,又曰靈石。
其傑處,臨江壁立,霞駮有若焉。
水石驚P,傳響不絶,商舟淹留,聆翫不已。利水南注東江,東江又西注于北江,謂之東江口。
水自此,有始興大之名,而南入陽縣也。


当然ながら奇岩がそそり立っている風景。従って、現在でも景勝地である。

その"韶石"という名前の由来だが「昔舜游,登此石,奏韶樂,因以名之」[「元和郡国志」]ということらしい。(「太平寰宇記」によれば、舜帝南巡で山に登って百越の巫歌"韶楽"を奏でたとのこと。苗族も武器を収め、奇岩になったという訳か。)

要するに、そのような伝説を基にして、政権に役立ち、道教教団も栄えるようなお話に仕上げている訳だ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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