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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.19 ■■■

四言両句釈詩[1:象宝]

仏典を題材にした、オリジナルな4文字対句が、「卷五 寺塔記上」に収録されている。・・・

  語。
  各象事須切,
  不得引俗書。

語。 それぞれ、具象で事実に限る。俗書からの引用は駄目。

なかなか含蓄ある作品に仕上がっているので、じっくり見ておこう。・・・

一寶之數,
無鉤不可
(鼎上人)

仏典中の宝といえば、鳩摩羅什 訳:「妙法蓮華經」卷四 見寶塔品第十一の冒頭に忽然と出現する所謂多宝塔となろう。
爾時佛前有七寶塔,---
其諸幡蓋,以金、銀、瑠璃、、瑪瑙、真珠、瑰、
七寶合成、高至四天王宮。


現生での話が続いているところに、突然、虚空に、なんの脈絡もなく、宝飾品で矢鱈に飾り立てた塔が登場するのである。小生など、何故に、このようなお宝で飾る必要があるのかさっぱりわからず。しかも、その塔から、法華經説法は素晴らしいとの大声があがる。
まさに、ナンダコリャのシーン。

そもそも、このお宝だが、同経典の前段[卷二 信解品第四]に、富豪の持つ財宝として倉に溢れている、として記載されている。・・・
其家大富,財寶無量,金、銀、琉璃、珊瑚、琥珀、玻璃、珠、等,其諸倉庫。

マ、そうした豪奢な生活が約束されるのが極楽浄土という思想がからんでいると見るしかあるまい。・・・
又 舍利弗 極樂國土 有七寶池 八功コ水 充滿其中 池底純以 金沙布地 四邊階道 金銀瑠璃 玻璃合成 上有樓閣 亦以金銀瑠璃 玻璃 赤珠碼碯而嚴飾之
[鳩摩羅什 訳:「佛説阿彌陀經」]

ここでは、どうも、このような財宝としてのお宝ではないようだ。
考えてみれば、そのような財宝だらけの塔の壁画があったとしても、人気が沸くとも思えない訳で。

現実感覚濃厚なお宝の壁画を拝見しての一言と考えた方がしっくり来る。
今村注記もそんな見方をしていそう。
転綸聖王出現時に、七宝が自然に出現する話を採択しているのである。・・・
時,王自在以法治化,人中殊特,七寶具足。
[竺佛念 訳:「長阿含經」卷六(六)佛説長阿含第二分轉輪聖王修行經第二]
  【1】金輪寶
  【2】白象寶
  【3】紺馬寶
  【4】神珠寶
  【5】玉女寶
  【6】居士寶
  【7】主兵寶


「大寶積經」によれば、それはこういうこと。・・・
一日紫金輪,有千輻。二曰白象,有六牙。三曰紺色神馬,烏頭朱髦。四曰明月化珠,有八角。五曰玉女后,口優者,身旃檀香。六曰主藏聖臣。七曰主兵大將軍,御四域兵。

初期仏典における7つの宝には、パトロンや将軍が登場する訳だ。まずは宗教活動の基盤を整え、美しい才媛の王妃が存在しないと、国家は安定しないということであろう。
さらには、統治者の権威の"象"徴も必要となる。珠と武器は、古今東西どこでも王権について回るから、それ以外が仏教国としての特徴となろう。それが象である。
象は、土木工事や荷役だけでなく、戦いの先頭にも立ったであろうから、白象が神聖な動物と見なされるのは当たり前。
ただ、随分と現実的な社会感覚である。ここらの発想は、道教とは随分と違う。

今でも、日本の寺院には、この七宝が飾ってあった時代があったから、晩唐期の成式達は長安の寺院巡礼では、七宝像を拝観していたのは間違いあるまい。
それに、釈迦三尊像があったとすれば、脇侍の普賢菩薩の乗り物は象である。
従って、詩のイの一番に象を取り上げたのはごく自然なこと。
仏教徒なら、象とくれば「鉤」。
打って響くような対句と言えよう。

「菩提王子経」[南傳(巴利藏経=上座部佛教)経蔵中部第八十五経]には、五精勤支[信仰, 健康, 誠実, 精進, 智慧]を教えるために、ボーディ王子に対する、鉤を使って象に乗る術の説話が収載されている。・・・
菩提王子乘象知用鉤術,我于彼處学習,乘象用鉤之術。

信, 健康, 誠実, 精進, 慧が無くて、象を操る術をいくら習っても技が身に付く訳がないことに気付かせることで、それらがすべて揃ってこそ、学びに入れるというのがガイスト。五精勤支あって、初めて"鉤"の意義もわかることになる。
"鉤"は、決して、象を脅したり傷めるための武具ではなく、ヒトと象の間でのコミュニケーションに不可欠な道具なのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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