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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.5 ■■■

巫祝の祖

殷朝第23代武丁王[B.C.1250-B.C.1192年]は巫祝[=神子/みこ]であり、群巫の長でもあったことが河南安陽の出土品から判明している。
甲骨文字の文章とは、卜辞そのものと言うことでもあろう。

この時代から、文字を刻むようになったようで、巫の専門分化と朝廷式典の規格化が一気に進み、官僚的職掌が明確になったと見ることもできよう。

「酉陽雜俎」を読んだ印象でしかないが、これ以前に、様々な巫祝家が存在していたと考えるのが自然である。「礼」の前に、先ずは民を束ねて鬼神崇拝というのが、部族の紐帯創出の鍵だった筈で、それを支えるのが巫祝家ということで。

成式は、そんな10家の名前を、「山海経」大荒西經からママ引用している。・・・
有靈山,巫咸,巫即,巫[or ],巫彭,巫姑,巫真,巫禮,巫抵,巫謝,巫羅十巫,從此升降,百藥爰在。

このことは、靈山あって、巫ありではなく、巫祝の一族が居住する山を霊山と呼ぶようになったことを意味していそう。
靈の文字からして、巫祝が祝詞容器を並べて儀式を執り行うと天命が降ってくることを示しているのは明らかだから。

ついでだから10家の文字をじっくりと見ておこう。「説文」の文字の意味も記載しておいた。・・・

昆侖之墟,帝之下都,百神所在也。
大荒中有靈山,有十巫,曰

【咸】,
 ・・・皆也。悉也。
総てとか、悉くということからか、巫祖との解説が多いが、その理由はわからぬ。但し、巫咸人は殷朝第9代太戊[B.C.1535-B.C.1460年]の代との記載があるので、発祥がえらく古いのは確か。猛毒そうな蛇を使う能力を見せつける巫祝だから、シャーマニズムの元祖であると考えるべきだろう。
巫咸國在女丑北,右手操青蛇,左手操赤蛇。在登葆山,群巫所從上下也。[「山海経」海外西経 注]

【即】, ・・・即食也。
翻訳仏典語彙で、「不即不離」的な印象を与える文字だが、物が持つ力を身体に取り入れる呪術の巫ではないか。

】, ・・・白K分也。
目偏ではなく、肉月偏の「 or 」かも知れない。"肉及車"[「儀禮」聘禮]とあり、いかにも生贄に関係しそうな感じがするだけだが。

【彭】, ・・・鼓聲也。
文字から見ると、もともとは、銅鼓による防敵/鰐・虎を専門にしていたのではないかと思うが、医の領域で名前をあげたようである。
巫彭作醫,巫鹹作筮,此十二官者,聖人之所以治天下也。[「呂氏春秋」]

【姑】, ・・・夫母也。
儒教臭紛々。

【真】, ・・・僊人變形而登天也。
真人概念は古そう。

【禮】, ・・・履也。
禮と言うより、衣であろう。いかにも、官僚組織の巫祝。

【抵】, ・・・擠也。
その他、なんでもかんでも天に要請する役も必要だろう。

【謝】, ・・・[=辞]去也。
誤りがあった時に、それを帳消しにでもするのか。

【羅】, ・・・以絲罟鳥也。
羅は、普通は、薄地の絹織物のことだが、網目柄の鳥のようだから、豹の毛皮のように綺麗ということか。そんな鳥が棲息する地の部族的巫祝家かも。

從此升降。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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