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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.11 ■■■

皇帝祭祀次第

漢代皇帝の祭祀が、どうしてこのような式次第になるのか、ということでの収録。・・・

漢竹宮用紫泥為壇,
天神下若流火,
玉飾器七千枚,
舞女三百人。
一曰
 漢祭天神用萬二千杯,
 養牛五,重三千斤。

   [卷十四 諾皋記上]

"竹宮"地区の背景説明が必要である。
秦の始皇帝はB.C.220年に咸陽[長安]北西の甘泉山に離宮を建造。B.C.138年とB.C.109年、漢の武帝はさらに通天、高光、迎風宮等を増築。盛大な祭祀を行なうため。[「漢書」揚雄傳]

そして牛だけで重さ三千斤を消費するというとてつもない大儀式が執り行われたのである。・・・
至武帝定郊祀之禮,祠太一於甘泉,就乾位也;---
  :
以正月上辛用事 甘泉 圜丘,
使童男女七十人歌,
昏祠至明,
夜常有神光如流星止集于祠壇,
天子自【竹宮】而望拜。
百官侍祠者數百人皆肅然動心焉。
唐 顏師古注引韋昭曰:
 「以竹為宮,天子居中。」
師古曰:
 「《漢舊儀》云竹宮去壇三里。」

   [「漢書」禮樂志]

《漢舊儀》を引いているので、そこに記載されている、さらに詳しい内容を見ておこう。
参加は群臣だけでも1,540名。・・・
《漢舊儀》曰:
漢制,
 天地以下,群臣所祭,凡千五百四十,新益爲萬五千四十。
漢法:
 三一祭天于雲陽宮甘泉壇;以冬至日祭天,天神下。
 三一祭地于河東汾陰后土宮;以夏至日祭地,地神出。
 五帝祭于雍五畤。
又曰:
 祭天用六彩綺席六重,長一丈,中一幅,四周縁之玉飾器。
 凡器七千三百,物具備,養牛五,至三千斤。
又曰:
 皇帝祭天,居雲陽宮,齋百日,上甘泉通天台,高三十丈,以候天神之下。
 見如流火舞,女童三百,皆年八
 天神下壇所,舉烽火,皇帝就竹宮中,不至壇所。
 甘泉台去長安三百里,望見長安城。
 黄帝以來,所祭天之圓丘也。

   [「太平御覽」卷五百二十七 禮儀部六]

黄帝祭祀伝説の地とされているようだ。
驚いたことに、児童の歌舞が不可欠。成式は控え目に"舞女"としたが、なんと、それは8歳の女童三百名である。選りすぐりの子供達に赤いネッカチーフを着けさせ、首領様万歳の大演舞をさせる大マスゲームを想起させないではいられまい。
その挙行に至るまでの、皇帝の意気込みも半端なものではない。先ずは雲陽宮で斎を百日すませるというのだ。その上で、高さ三十丈の通天台に昇り、天にお伺い。祭壇には烽火。
ところが、皇帝はその場から離れ竹宮に入るのである。そこから、盛大な儀式を眺め、天子位にあることで大いに悦にいっていたのだろう。

つまり、この儀式は、独裁者に宗教権威を与える機能を担っているのである。

この儀式に加えて、独裁者に統治権を与える"官僚組織"としての礼式と宴が別途設定される。「酉陽雑俎」を読むと、これらが中華帝国の核心的仕組みであることがよくわかる。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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